さんじゅーさん
「よいこと? タニア。貴女が覚えなくてはならないことが沢山あるわ。刺繍にピアノ、ダンス……。良い家に嫁ぐためには必要なことだもの。時間はいくらあっても足りないわ。頑張って学びましょうね」
幼い頃から、タニアは母からそう言われて育ってきた。
慎ましく、お淑やかで、従順な淑女であれと。そうすれば子爵家よりも上の爵位を持つ相手と婚姻ができるかもしれないからと。それこそ公爵家の令嬢が受けるような厳しい淑女教育を受けてきた。
あまりの厳しさに泣いたこともあったけれど。それでも教育の手を弱めてくれるなんてことは一切なかったから。だからタニアは大人しく、母の言うことに従うしかなかった。
けれど──。
(…………自由が、欲しい)
秒単位で組まれる教育予定の所為で、自由時間なんて一切ない。
母は全て、タニアのためだと言うけれど。タニアが貴族令嬢としての幸せを掴むためだと言うけれど。本当なのだろうかと、疑わずにはいられない。
だって、仕方ないのだ。母は事あるごとに言う。
〝これぐらい、わたくしならば簡単にできたのに〟──。
〝何故、こんなこともできないの?〟──。
〝なんて不出来なのかしら……。わたくしの娘だとは思えないわ……〟──。
そんなことを繰り返し、繰り返し言われ続けたら。高位貴族に見染められなかった自分の代わりを、娘であるタニアに果たさせたいだけにしか思えなくなっても……仕方ない話だろう。
(……これが本当に、わたくしのため? わたくしの幸せに繋がる?)
そんな風に、疑問を抱きながらも。それでも母に逆らえない日々を過ごしていたある日──。
タニアは偶然にも、自身の生き方を変える出会いを果たすことになる。
……正確には、居合わせたと言うべきなのだが。
その日は、流行にも聡くなくてはならないからと、母から命じられたまま……最近できたばかりのカフェテリアでお茶をしていた。
「いい加減にしてくれ! 君は本当に! わたしと婚姻を結ぶ気があるのか!?」
若い令嬢達が美しいケーキに目を輝かせている中──……唐突に、甘い空気を切り裂くような、男の人の声が響き渡る。
「あぁ。勿論、アンタとなら結婚をしてもいいかもしれない……そんな風に思っているとも。ただ、結婚したら騎士を止めろ──なんてふざけたことをアンタが言うものだから。だから、いつまでもアンタと結婚しないだけさ」
何事かと視線を向けた先にいたのは、一組男女だった。
線の細い男性は、濃い青色の髪に薄黄色の瞳を有する美丈夫だった。
向かいに座っているのは銀髪に碧眼の、男装をしている美女。
彼女の言葉は、タニアには信じられないものだった。だって、淑女は夫となる人の言う通りにしなければならないと、そう教えられていたのだから。
だから、女性でありながら男性に真っ向から歯向かう彼女の姿に……驚きを隠さなかった。
「ふざけるな! 君はわたしと婚姻を結んだら、ベンガー侯爵家に嫁入りすることになるんだぞ!? 家庭に入るなら当然、騎士を辞め──」
「誰が決めた」
「…………は?」
「誰が、それを、〝当然〟だと。〝当たり前〟だと決めたんだ。アタシはそう、アンタに聞いているんだよ。アイク」
彼女は立ち上がると、テーブル越しに男の胸ぐらを掴む。
そして獰猛な笑みを浮かべながら、怒りを込めた声で言い放った。
「貴族令嬢だろうがなんだろうが! 結婚することだけが女の幸せだと思うな! アタシの生き道はアタシが決めるんだよ! 誰だろうが! アタシがどう生きるかを! 邪魔させやしない!」
「っ……!!」
その言葉は、タニアの胸に大きく突き刺さった。
新しい世界へ繋がる扉を開け放つ……鍵となった。
「オーロラ……」
「…………この件は譲れない。だから……アンタがアタシに騎士を辞めさせたいって言い続けるなら、アタシらの結婚は、考え直させてもらうよ」
「…………っ!」
アイクと呼ばれた男性は顔を歪める。その顔は悲壮感に満ち溢れていた。それほど……彼女を愛しているのだと、分かる顔だった。
けれど、彼女の言葉は……彼を傷つけるのに、充分過ぎた。
「……そうか。なら、好きにしろ」
彼は懐からお金を取り出すと、テーブルの上に置いてその場を後にする。男は一度も振り返ることなく、店を出て行った。
静まり返った店に、彼女の溜息が溢れた。それから、周りにいる客達ににっこりと微笑む。
「……騒がせて悪かったね、レディ達。店員さん、今、ここにいるお客さん達の会計はアタシにツケてくれ。アタシはオーロラ・ネルサ。ネルサ伯爵家の娘で、王宮騎士だ」
彼女はそう言づけて、颯爽とカフェテリアを去って行く。
その後ろ姿をタニアは熱がこもった視線で見つめ続けた。
あんな風に、自由に生きるオーロラが……羨ましくて。眩しくて。殿方の庇護がなくても生きていけると、彼女が証明してくれていたから。
だから……その背中から、目が離せなかった。
──きっとこの出来事が、転機。
オーロラの言葉はアイクを傷つけた反面……タニアの運命を変える言葉にも、なったのだった──……。
◇◇◇◇
「ふぃ〜……ロキロキは容赦なさ過ぎぃ〜……」
ホープの護衛を務めるタニア達三人に、ロキからの訓練が行われるようになって早一ヶ月ほど。
ロキにいいように翻弄されているタニアとグラディスを見て、ブレイクは疲れ切った声を漏らした。
「お疲れ様です、ブレイク様」
「おつかれー!」
「ありがとーございまぁ〜す」
マリアとホープに労りの言葉をかけられたブレイクは、ヘラヘラと笑う。
けれど、直ぐに不満顔になって……「あ〜ぁ〜……」と大きなため息を溢した。
「にしても〜まさかこんなに大変だとは思わなかったなぁ。ホープ君の護衛。全然ハニー達と遊ぶ暇もないよ〜」
「…………ハニー、達?」
きょとりと首を傾げるマリアに、ブレイクは〝あっ、ヤッベ〟という顔をする。
しかし〝まぁ、いっか☆〟と思ったらしく……ニコニコとしながら、自分の恋愛事情(?)を勝手に話し出す。
「そーでーす! オレのマイスウィートハニー達! 酒場のミチュカ姐さんでしょ? パン屋のシュガーちゃんに〜お花屋の〜……」
ポンポンッと出てくる女性の名前多数。
途中で誰が誰だか分からなくなったところで、ブレイクはマリアの想像を超えることを言ってきた。
「ぜーいん、オレの可愛い恋人ちゃん達です!」
「…………え?? 恋人?? 恋人、なんですか? ……恋人って、普通……一人なの、では……??」
「…………お話の最中、割り込み失礼いたします」
困惑するマリアを見かねたのか……急に現れたデイジーが、話に割り込んでくる。
そして、微妙な視線──どことなく蔑むような感じ──をブレイクに向けながら……家事妖精はマリアに注意を促した。
「……時に、ブレイク様のように不特定多数の異性とお付き合いされる方もいらっしゃいますが。これは特殊な例で、基本的に一対一のお付き合いが普通です」
「……あ、そう……ですよね?」
「…………ただ、人には人の事情というものがございますし。血を絶やさぬために伴侶を数名娶る、という事例もありますので……一概に、ブレイク様がおかしいとも言い難いかと」
「うーん、フォローしてんのかしてないのか分かんないフォローだね! まぁ、オレの場合は〜……たっくさんの女の子と仲良くするのが好きだから、ハニーが沢山いるだけなんで! マリア様もオレと恋人になりたいってんなら喜んで受け入れま──……」
「オラァ!」
「ぷぎゅっ!!」
──スコォーンッ!!
ブレイクの顔面に剣の鞘が突き刺さり、後ろへと倒れていく。
ギョッとマリアと、驚きに口を開けるホープ。
飛んできた方を見ればそこには……鬼のような形相でブレイクを睨みつけるロキの姿with驚くタニアと蔑んだ顔のグラディス。
ロキは抜き身の剣──多分、さっき鞘を投げつけたから……──をブレイクに向けながら、大きな声で怒鳴りつけた。
「ウチのマリィに不誠実な付き合いを申し込もうとしたんじゃねぇぞ! この馬鹿!」
「……オ、オレなりに本気なのにぃ〜……」
「時々、〝他にも恋人がいるなんて聞いていない! 浮気じゃない!〟と、ぶっ叩かれてフラれてるのを、見てますけど?」
「「「…………」」」
グラディスからの暴露で、ブレイクの恋人達の中には……彼が他にも恋人がいると知らずに付き合っている女性がいることが分かってしまう。
「……女性達が、自分以外にも恋人がいることを知った上でお付き合いなさっているなら何も言いませんが……言わずにいるのは最低では?」
「セルリーツ卿の言う通り、間違いなく不誠実ですよね」
「マリィ、これは駄目な例だ。参考にするんじゃありません」
「あ、はい……止めておきます……」
「……ふぇ〜ん!」
…………と。ブレイクの最低な恋愛事情が分かってしまったが。
マリアは気づいていた。……いや、近くにいたから分かってしまったと言うべきだろうか?
ブレイクが何かを隠していたことに……。
(…………ブレイク様の恋には、何か秘密がある……?)
マリアは嘘泣きをするブレイクを……不思議そうな面持ちで観察するのだった。




