さんじゅーに
グラディスは、物心がついた時から既に孤児であった。
彼が暮らしていた孤児院はそれはもう、貧乏なもので。その日食べるものにすら困るほどのひもじい生活を送っていた。
なんせ孤児院の院長が……国からの助成金や貴族からの寄付金に手をつけて、自分だけ豪遊するようなクソ野郎だったので。ついでに言うと、幼い子供を求める人間に孤児院の子供を売り捌いて、金稼ぎをしているような悪魔みたいな奴だったので。
だから彼は……かなりの頻度で子供を引き取っていく貴族に目をつけられたその時に。自分が売られてしまう前に。院長の隠し持っていた金銭をくすねて、孤児院から逃げ出した──……。
孤児院から逃げ出し……荷馬車に忍び込んで移動したグラディスが辿り着いたのは、とある街の貧民街だった。そこで彼は、人に言えないような暮らしを送った。
だが、それも仕方ない話だ。悪いことはしちゃいけないと、馬鹿は言うけれど。それは本当に生活に苦しんだことがない人間が言う偽善だった。
その日を生きることすら厳しかったのだから、なりふりなんか構っていられない。それで死んでしまうぐらいなら、罪を犯す方が遥かにマシだ。
だからその日も、グラディスは今日を生きるために盗みを働こうとして。
けれどその日は──彼の運命が大きく変わる一日となる──……。
その日は、街の豊穣祭だった。
煌びやかな衣装を着た人々が楽しそうに遊び歩いて。阿呆みたいに踊っていて。
だからこそ、都合がよかった。祭りで人々が浮かれているから。警備の目が緩んでいる今だからこそ、悪いことをするのには最適だった。
…………そして、そう思うのはグラディスだけではなくて。
『きゃあっ……!』
騒がしい大通りから離れた、薄暗い路地裏。
人目を避けるように、薄汚れたローブを羽織って移動していたグラディスは……小さな悲鳴を耳にした。
「嫌、いやぁ……! 助けてっ……!」
「煩い! 黙ってついて来い!」
「可愛がってやるからよぉ!」
助ける気なんて毛頭なかったけれど。一応、万が一のことを考えて誰が何をしているかだけは確認しておくかと、グラディスはゆっくりと声の聞こえるの方へと移動する。
そこにいたのは、小さな女の子の腕を引いて路地裏の更に奥へと連れて行こうとする薄汚い男二人。
少女はとても可愛らしい容姿をしていた。薄桃色のふわふわした長髪に紫色の瞳。上品な服に身を包んだ彼女は、紛うことなく良家のお嬢様といった様子だった。
今日の祭りに遊びに来ていたが、人の多さからお目付役と逸れてしまい、男達に捕まった……といったところだろうか?
男達の方は偶に路地裏で見かける破落戸共だった。欲に満ちた顔から、その少女を酷い目に遭わせるつもりであるのは嫌というほど分かった。最悪の場合、証拠隠滅で彼女を殺す可能性があった。
(…………助ける義理はない、が。ある意味都合がいい、か?)
彼女が良いところのお嬢様であるのなら。彼女を助けたら、彼女の実家に恩を売れる。便宜を図ってくれるかもしれない。
こんな最底辺の生活から、抜け出せる可能性が芽生える。
(…………悪く思うなよ)
少女を汚すことしか考えていない馬鹿達の背後に、音もなく忍び寄る。
その手に握っているのは護身用、というには殺傷能力が高過ぎるナイフ。
グラディスは至近距離まで男達に近づくとその首筋に素早くナイフを添えた。
「動くな。少しでも動いたら首の皮一枚じゃ済まなくなるぞ」
「……ヒッ!?」
「そっちの奴も、だ」
運が良かった。男達は小心者だった。
少女を人質に逆にグラディスを脅す、なんてこともできたのに。自分達が死ぬかもしれないと視野狭窄に陥って、呆気なく少女を解放して逃げ出した。
更に運が良かったのは……少女が間違いなく良家のお嬢様であったことだ。
「ありがとう……! 本当にありがとう……! ユーディを助けてくれてっ……!」
少女……ユーディ・ラスレットはラスレット侯爵家の令嬢だった。
お転婆な彼女は祭りに興奮してお目付役の護衛を撒いて、一人で遊んでいたらしい。愚かにもそんな危険な行動を取ったからこそ、あんな奴らに目をつけられたのだろう。
もう少しで娘は、帰らぬ人になっていたかもしれないと……ユーディの両親からとても感謝され、恩人であるグラディスに〝君が望む謝礼を〟と言い出した。
──それをグラディスは狙っていた。
「……でしたら、騎士団への推薦をいただけないでしょうか? ユーディお嬢様をお救いしたように……誰かを救う人間に、ずっとなりたかったのです」
当然そんなの嘘だ。でも、人の良いラスレット侯爵家の人々は簡単にグラディスの言葉に騙されてくれて、容易く後見人として騎士団への推薦状を出してくれた。
そうしてグラディスは、騎士グラディス・セースになった。
……騎士団に入ったとはいえ、元々が平民であるグラディスは見習いというよりは雑用のような立場からの始まりだった。
けれど、彼は自信があった。野心があった。地獄のような世界で生き抜いてきたからこその、自負があった。
甘っちょろい世界で生きてきた貴族出身の騎士なんかよりも、遥かに優れている自信が。実際に、同期の奴らよりは強いという自覚があった。
けれど──……。
グラディスは、自分が井の中の蛙であったことを。今更ながらに知ることになる。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
「お、おぇっ……」
王宮敷地内に建てられた別邸。
今は幼い《魔王の卵》とその保護者、更には子守役の三人が暮らしているその場、その中庭で。グラディスは地面にぐったりと倒れるブレイクと共に、荒い呼吸を零していた。
「大丈夫か、お前ら」
向かい側から若干の呆れを含ませた声がかけられる。
膝に手をついたまま……顔を上げると。そこ立っているのは今の今までグラディス達と模擬戦訓練をしていた新人騎士ことロキ・セルリーツ卿の姿。
「…………な、なんでそんな元気なのぉ〜……」
ブレイクがぴぃぴぃ泣きながら、文句を言う。
こちらは既に疲労困憊だと言うのに、ロキは息一つ乱れていない。それどころか……剣を抜かせることすら──彼はハンデだとか言って、鞘から剣を抜かなかった──叶わなかった。
それだけで──。
「場数の違い、かね。潜ってきた修羅場の数が違うんだよ、修羅場の」
(そんなの……オレだって!)
地獄のような人生だった。生き残るためならばと、どんな汚いことだってやってきた。
甘っちょろい騎士達に負けないと。自分は強いのだも、自負していた。
けれど──……。
「……まぁ、本心でアンタらが何を思おうが構わんけど。もっと強くなった方がいいのは間違いねぇぞ? ホープの護衛役だってのに、こんなに弱くちゃ話にならんし。……それに……万が一戦争が始まったら。お前ら、真っ先に……死ぬぜ?」
同じ平民なのに。なのに、自分とロキの間には深過ぎる実力の差があった。手も足も、出なかった。
加えて、ロキが言ってることも間違っていない。平和ボケしたこの国の騎士達は、周辺諸国の騎士よりも遥かに弱い。万が一この状況で戦争なんかが起きれば。不必要に大勢の騎士が死ぬことになるだろうし。国を守るという務めも果たせずに敗北することになるだろう。
「……取り敢えず。大人しく今の戦闘スタイルを変えるとこから始めるべきだな。グラディスもブレイクも、合わない戦い方は止めとけ」
(…………クソッ……! クソッ!!)
それすらも見抜かれていて、グラディスは無意識の内にロキを睨みつけていた。
全てを見通しているらしい彼がに腹が立って。自分よりも強い彼が、憎くて仕方ない。
けれど、そんなグラディスの本心すらも知っているかのように。ロキは上から目線で笑っていて。
「……!!」
それが余計に腹立たしかった。グラディスの怒りを煽る。
もっと強くなって、この男に一泡食わせてやるという気持ちが……彼の胸の中に芽生え始めていた。
……それすらも、ロキの策略だと気づかずに。
◇◇◇◇
(グラディスは大丈夫だな)
ロキは目を細めて、グラディスを観察する。
闘志を燃やす瞳。悔しそうに食い縛られた歯。
怒りだろうがなんだろうが。その胸にそれほどの気持ちを宿しているならば、問題はない。
彼は本気で強くなろうとするだろう。優秀だという傲慢を容易く覆した、自分に一矢を報いるために。
(……問題は、ブレイクか)
ロキはそっと、地面に寝転がったままのブレイクを見る。
やる気を感じさせない、ヘラヘラとした笑顔。テキトーな振る舞い、の影にあるどこか投げやりな態度。
きっと彼は、自分の手に負えないような場面に遭遇したら全てを投げ出してしまうだろう。殺されそうになっても仕方ない、で抵抗なく殺されそうな気配がする。
それこそ、護衛対象を守らないと判断したら、容易く見捨てそうな気配が。
(…………何かを諦めちまってる奴の方が、面倒くせぇんだよなぁ……)
ロキはそう心の中で呟きながら……溜息を溢すのだった。




