さんじゅーいち
──〝恋〟
異性に特別強く惹かれて、特別な気持ちを抱き、その相手と共にいたいと。相手のことを四六時中考えてしまう好意のこと……を、恋というらしい。
マリアはそんな気持ちを抱いたことも。恋というもの自体も、知らずにいた。
だが、それも仕方のない話だ。周りの大人達はマリアのことを便利な道具としか見ていなかったし。酷使される辛い日々を生きていくためには、マリアは自分の周りに薄い膜を張って。自分の心を麻痺させて。考えることを止めて。罰を与えられぬように従順に言う通りにして。そうやってしか、自分を守ることができなかったのだから。
…………だが、今のマリアは恋に興味を持っていた。
それは幼い王女が恋を語る姿が、とてもとても……眩しかったからだ。
潤んだ瞳。赤く染まった頬。心の底から大好きだと語るその姿は、マリアの目にとても美しく。魅力的に見えた。
だからマリアは知りたくなった。
こんなにも人を輝かせる恋とは一体、どんなものなのだろうと──?
……となれば、恋を知らないマリアが恋を知るには。誰かに教えてもらうのが一番手っ取り早い、手段であって。
今、最も頼りになる相手にその問いの矛先が向くのは……ある意味、必然なのであった。
◇◇◇◇
「ロキは恋をしたことがありますか?」
「ぶはっっ!?!?」
ある日の朝食の席──。
唐突にそんなことを問われたロキは……当然ながら(?)思いっきり吹き出した。
「ロキ!?」
「パパ!?」
同席していたマリアとホープが急に吹き出した彼に、驚きの声をあげる。冷静なデイジーは「大丈夫ですか、ロキ様」と少し汚れたテーブルをさっと布巾で清拭した。
「ごほごほごほっ……! す、すまん……」
ロキは口元を拭う。
彼は思った。口に物を含んでいる時でなくてよかったと。下手をしたら食卓がもっと凄いことになっていただろう。
いや、今はそんなことはどうでもいい。何故、マリアは急にそんなことを聞いてきたのか……?
落ち着きを取り戻したロキは、探るような視線を彼女に向けた。
「えっと……なんでまた急にそんなことを」
「この間、ミラベル様がとタニア様と恋バナ? なるものをしまして」
「お、おう……(王女と聖女が恋バナしてんのかぁ……)」
「私は恋というものがよく分からないので。教えてもらおうと思い、聞きました」
「……な、なるほど……?」
マリアが唐突に、〝恋をしたことがあるか〟と聞いてきた理由は分かった…………が。
何故、聞く相手がマトモな恋愛経験がないロキなのだろうか……? 他にもっと聞く相手として相応しい奴がいたんじゃないだろうかと、思わなくもない。
「それで? ロキは恋をしたことがありますか?」
「……え"」
「どうなんですか?」
純粋な眼差しに、ロキは動揺する。
……はっきり言って、嘘は言いたくない。何故か分からないが、マリアにはちょっとした嘘もよくない気がしていた。
……だが、素直に話すのもなんか気まずい。というか……恋バナなんて……彼女に負けず劣らず恋愛初心者であるロキは、照れずにはいられない。となれば──……当たり障りなく答えるしかないだろう。
ロキは明後日の方向に視線を彷徨わせながら、歯切れ悪くそれに答えた。
「あ〜……まぁ、うん。こんだけ生きてれば一度ぐらいは、な。したことはある、ぞ……? (まぁ、現在進行形だが……)」
「そうなんですか? いつ? 誰に? ロキの恋は、どのような恋でしたか?」
「うぇっ!?」
更に踏み込んできた質問に、今度こそロキは答えに詰まる。
それもそうだ。だって彼が恋をしている相手は……今、目の前にいる女性──マリア自身であるのだから。
ここで自身の恋について語るということは、本人に想いを告げるというのも同然な訳で。
流石のロキも、これには上手く答えられそうにはないのだった。
そんな二人のやり取りを見ていたデイジーは微妙に呆れたような顔になる。側から見ると、マリアに淡い恋心を抱いているロキのヘタレっぷりにも呆れるモノだが……こんなにも分かりやすい彼に本人が、正面から堂々と問いかけるのも阿呆みたいだったからだ。
だが……長年培ってきた家政婦としての勘が囁いている。これは下手をすると拗れると。
案外、今の職場はデイジーにとってすんばらしい環境であるので。彼女はそれを壊されぬようにと、静々と二人の話に割り込むのだった。
「……マリア様。ロキ様のように誰かと恋のお話をするのは恥ずかしいと思われる方もおりますので、無理に聞き出そうとしてはなりませんわ」
「……恥ずかしい? 何故ですか?」
デイジーの言葉に、マリアはきょとんとしながら首を傾げる。
ロキは(ここで何故とか聞くか!?)と驚いたが……流石のデイジー。彼女はその小さな身体に見合わぬ大人びた笑みを浮かべながら、彼女の問いに答えた。
「これはわたくしの自論ですが。恋とは心の一番奥にある柔い部分を。綺麗な部分も。汚い部分も全てを曝け出すことであり……また、一等大切な想いを、特別な相手に捧げる行為だと考えておりますの。ゆえに、誰かと恋のお話をするというのは……自身の秘めた気持ちを、特別な相手以外に少しだけ打ち明けるということになりますでしょう? 自分の秘密を話すのは恥ずかしいではありませんか。…………それに、同性よりも異性相手の方が共感できる部分が少なくて、話す難易度が高いですから。そういった理由から、男性であるロキ様は女性であるマリア様と恋のお話をするのを、恥ずかしがっておられるのだと思われますわ」
「…………」
あまりにも大人びた回答にロキは心の中で拍手をした。なんか、恋の百戦錬磨の回答って感じである。
マリアは顎に手を当てて考え込む。そして、少し難しい顔をしながら、呟いた。
「…………デイジーの言ってることは分かるのですが。なんだか、私には難しい気がしました」
「ふふっ……そうでしょうね。恋はとても、難しくもありますから」
「……そういうもの、なのですか?」
「わたくしはそう思いますわ。今は難しくても……いつかマリア様も本当の意味でご理解なさる日がくるかと」
「…………」
デイジーの恋愛観を聞いたマリアは、そういうものなのかと納得した様子だ。
その時──……大人しく一人で朝食を食べ続けていた──最近のマイブームは、マリアに手伝ってもらわずに。一人でご飯を食べることである──ホープが、大きな声を出した。
「ごちそーさまでした!」
そこでマリア達はハッとする。なんだかんだとこの会話で、結構な時間を食ってしまっていた。
ロキは朝礼に間に合わなくなると慌てて食事を掻き込み、立ち上がる。
「ご馳走様でした! 悪い、先に行く。まだマリィは朝食の途中だから、見送りはいいぞ!」
「あ……ごめんなさい、ロキ」
「気にすんな! じゃあ、行ってくる!」
「行ってらっしゃい」
「ばいばい、パパ!」
「お気をつけて行ってらっしゃいませ、ロキ様」
慌ただしく食堂を出ていくロキを見送り、マリアは「さて……ひとまずは朝食を摂ってしまってくださいませ」とデイジーに促され、朝食を摂ることに集中する。
その間、ホープはニコニコとしながら彼女の食事が終わるのを待っていた。本当にいい子である。
「……ご馳走様でした。いつも美味しい食事をありがとうございます、デイジー」
「お粗末さまですわ、マリア様」
「お待たせしました、ホープ。片付けを手伝ったら、歯を磨きに行きましょう」
「うん!」
ワゴンにお皿を移動させるのを手伝い、その後の片付けをデイジーに託してから、マリアはホープの手を引いて食事の身嗜みを整えにいく。
…………この時のマリアは知らなかった。
……彼女が興味を抱き始めた〝恋〟というものが。これから、とんでもない事件を巻き起こすことを。
それはマリア達を巻き込むだけでは留まらず……セヴェール王国すらも巻き込む、大きな事件に発展していく──……。




