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35 自戒

焔さんは程なくして、静かな寝息を立て出した。

それでも繋がれた手を解けず、私は焔さんの側にいた。

朽葉さんたちはその様子を見て、みんな自分の仕事に戻っていった。

なんとなくみんなの視線が生ぬるかったのは気のせいという事にしておきたい。

私は片手が塞がれているため、出来るようなこともなく、ぼんやりと焔さんの顔を眺めながら思考を漂わせた。


焔さんと『災い』の因果関係の真実を、こんな風に聞かされるなんて思ってもみなかった。

その上想像だにしてなかったその真実の重さに、まだ心が追いついていない。

それも、この話を、当の本人は知らないでいるなんて。


「………なんで……」


ぽつ、と溢れた声は、誰の耳にも届かない。

真実を教えられて尚、私の口からは疑問が飛び出るのだ。

それははっきりとした疑問というよりも、飲みくだせない違和感そのものだった。


何百年と積み重ねられた嘘。

その嘘の始まりが優しいモノだったとしても、焔さんは、そしてその一族は、きっとたくさん苦しんだ。

他に方法はなかったのか。

人も魔物も、そんなに愚かしいばかりなのか。

鬼神族の平穏を守る?

ものはいいようだ。

だって、焔さんはここに囚われているように見えるのに。

ここから出られなくなっているように見えるのに。

優しい、ヒトなのに。

知らされないで、ただこの状況を飲み干すことなんて誰にできるっていうの。

それとも、知らないままの方が幸せなの?

なんで焔さんはこれを知らないの。

人も、他の神族も、ごく一部を除いて、何も知らない。

それが本当に争いを起こさない事につながるというの?


ぐるぐると纏まらない思考に溺れていく。

ふつふつと煮えるように怒りが込み上げてくる。

けれどその矛先さえ定まらなくて、行き場のない激情が私をめちゃくちゃにしていく。


話に出てきた鬼神族の長は、何を思ってこんなことを。

鬼神族を守ろうとするモノたちは、どうしてこんなことを。

これが最良だったの?

これしかなかったの?

これは果たして『幸せな結末』と呼べるの?


「蛍様」


そっと伺うような声に顔をあげると、朽葉さんが思いのほかそばにいた。


「焔様はまだしばらくお目覚めになりません。お休みになられたらどうですか?」


「…あ」


気づけば、焔さんに握られていた手は自由になっていた。

周囲も暗くなっていて、思いのほか時間が経っていたのかもしれない。

朽葉さんの言葉に甘えようかとも思ったが、静かに眠る焔さんの顔を見ていたら、なんとなく動き難かった。


「…もう少し、そばにいます」


「せめて、何か食べた方がいいかと」


朽葉さんはそっと手にお菓子を乗せてくれた。

それを見て初めて、自分がそこそこ空腹だという事に気づいた。

随分と、思考の渦にはまっていたらしい。

思わず苦笑いしながら、お礼を言う。


「何か、お悩みですか?」


我ながらわかりやすく動きを止めてしまった。


「昼間、色々といっぺんにお話ししてしまいましたから、混乱しているでしょう?」


「…混乱、ですかね………なんて言っていいか…」


「無理もありません」


お菓子を口に含むと、じんわりと甘さが染み入っていく。

幸せ、かぁ。

自分が今幸せであると思う気持ちに偽りはない。

でも、私は私の幸せのための努力を、随分と怠っていたと痛感した。


「朽葉さん」


私は、私が無知のままでいることを許せる類の人種ではない。

私の幸せが、他人の幸せに依拠するならなおのこと。

私は私のために、私の周囲には幸せでいてもらわないと困るのだ。

ならば私は当然、周囲が幸せで在れるために努力をするべきだったのだ。


「焔さんのお仕事とか、神の名を持つ一族のこととか、もっと、教えて欲しいです」


私はもっと、興味を持つべきだった。

もっと、歩み寄るべきだった。

知るべきことを、知ろうとするべきだった。

『災いと焔さんの関係性』なんてことよりもずっと、『今、焔さんたちがどう生きているのか』を知ろうとするべきだった。


「知っておきたいです。もっと、色々」


私の幸せのために、みんなの幸せが何なのかを、知りたい。

私ができることを、もっと正しく探したい。


「お願い、できますか?」


私の問いに、朽葉さんは微笑みと共に頷きを返してくれた。


「ええ。もちろんです」


その笑顔にホッとする間もなく、朽葉さんは「でも」と続けた。

一口分だけ齧られたお菓子をひょいと私の手から取り上げると、にっこりと笑みを深くした。

あ、この笑顔は見覚えが…。


「その前に、健康を損なう真似は許しませんよ?」


説教モードに入った朽葉さんの笑顔に、私は大人しく頷く他にできることはなかった。

クスリと笑って私を「いい子」だと褒めた朽葉さんは、まるで私のお姉さんにでもなったかのようだった。

少し前よりも、私のことを懐に入れてくれたのかもしれない。

目に見えて距離が近くなれたような気がして、こそばゆかった。


「まずはしっかりご飯をいただきましょう」


「はぁい」


くすくすと笑い合って、私たちは立ち上がる。

焔さんは穏やかな寝息を立てていて、それを確認できたら心が少し軽くなった。

そうしたらさっきまで離れ難かったのは嘘のように、私の足は素直にご飯の元へ向かっていった。


「奥様」


部屋を出てすぐ、朽葉さんは振り返って、私に頭を下げた。


「朽葉さっ…!」


「ありがとうございます。奥様」


「…え…?」


朽葉さんはスッと頭を上げると、柔らかく笑った。

見たことないくらい、綺麗に。


「ここにいらしたのが蛍様で、本当によかった、と思いまして」


「…」


「私にも焔様にも龍の双子にも、蛍様はきちんと向き合ってくださいました」


笑みを深くして、朽葉さんはもう一度頭を下げた。


「本当に、ありがたいことです」


「そんな、こと…」


「いいえ。あなたは我々を恨んでも不思議ではありません」


驚きすぎてろくな言葉が出てこない。

なんだか色々な言葉が頭を駆け巡るのに、そのどれも、口からは出てこない。

結局、魚みたいに口をパクパクさせることしかできなかった。

朽葉さんはお構いなしに言葉を続ける。


「望みもせずこのようなところへ連れられ、知りもしない者と夫婦になり、その上で歩み寄ろうとしてくださっている」


「そ、それは、まぁ…」


「改めて、ありがたいことだと痛感しました」


ですから、と言葉を止め、じっと頭を下げ続けている。

やはり、朽葉さんには伝わっていたのかもしれない。

私が今まで、この屋敷のみんなの方を向いていなかった事。

そして今ようやく、みんなの方を向こうとしていることを。


「朽葉さん、顔をあげてください」


不甲斐なさを教えられたような気分だ。

だからこそ、お礼だなどと頭を下げられるのはむしろ申し訳なくなる。


「お礼は、私の方が言うべきです」


朽葉さんは目を丸くして驚いているようだった。

前から思っていたけれど、ここの屋敷のヒトたちは優しすぎる。

人が良すぎる、とも言えるかもしれない。

不誠実でさえあった私に、こんなふうに頭を下げるなんて。


「私を、ここのヒトたちは受け入れてくれました。それがどれほど嬉しかったか」


だから本当は、私はもっと早く、気づくべきだった。

私が本当にすべきことを。

私は静かに、頭を下げた。


「ありがとうございます。私が今、幸せで在れるのは、ここのみなさんのおかげです」


「蛍様、蛍様こそ顔をあげてください」


朽葉さんが慌てたように私の方に手を置いた。

顔を上げれば、困り果てたような顔の朽葉さんがいた。

その瞳に、困り果てたような顔の自分が写っていて、なんだか滑稽だ。


「蛍様は、変わった方ですね」


「ええ? そうですか?」


なんだかおかしくて、どちらともなく笑った。

ふふふ、と美しく笑う朽葉さんは、今まで見たどの瞬間よりも綺麗だった。


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