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30 馴染む

屋敷に戻った瞬間、飛んできたのは龍海ちゃんのお叱りの言葉だった。

ひえ、なんて声が思わず飛び出てしまったが、それくらいは許してほしい。

少女とはとても思えない大迫力で、仁王立ちする姿は多分一生忘れない。

お叱りの言葉は主に焔さんに集中し、焔さんも黙ってそれを受け入れた。


「大体、奥さマの体力も考慮せずニあの滝まで休憩もなシに歩き通す時点デ信じられまセンよ!!」


「すまない」


「小鬼にしテも、焔様なラなんて事ないでショうけど、奥様はそういっタ物達ト無縁だったノですヨ!?」


「ああ」


「猛省なサい! 今回は偶々無事で済みマしたけドも、何があってモ不思議でハありまセんでしたヨ!」


「すまなかった」


「山ノ怪でモ出たらどウするおつもりデした!? 大体誰にモ言伝なシで出歩くなと以前モ申し上げましタよ!」


「ああ」


延々。この屋敷で一番怖いのは、龍海ちゃんだったのかも知れない。

朽葉さんの冷えた微笑みも怖いけど、龍海ちゃんのこの剣幕も普通に怖い。何より良心に刺さる。


「ほたるサまも!」


「は、はいっ!」


「無理は無理とおっしゃッて下さイ! この男ニは、察するとか気遣うトか、そういった事は出来なイのでスから!!」


飛び火してきた!

縮こまる事すら許されない剣幕で、私の背筋は木の板でも入ったかというほどピンと伸びた。

何の自慢にもならないが、私は説教されなれている。母は厳しくて、よく雷を落としたから。

その私がこうまで緊張するのは、龍海ちゃんの剣幕の凄さと、爛々と怒りに燃える目の色のせいだと思う。


「待て。蛍は悪くない」


「当然でス! けれどほむラ様の奥さマが傀儡かいらいでイテもらっては困りまス! 言うべきこトは言ってモらわなけれバ!」


「行き先も教えずに連れ出したのは俺だ」


「だカら焔さマにハ猛省しろト言っていマす!!」


お説教の筈が言い合いになっている…。

龍海ちゃんの後ろに控えている龍樹くんと朽葉さんに視線で助けを求めるが、二人とも爽やかな笑顔でそれを袖にした。ひどい。

居間か台所から、美味しそうな香りがする。沢山歩いた分、猛烈にお腹が減っていて辛い。

帰った時点で夕食の時間を過ぎていて、尚のこと空腹感が凄い。


…ここまで叱られていて空腹のことが頭をよぎるなど、我ながら随分な余裕だ。

やはり叱られなれているせいだろうか。

こんな思考が漏れれば、お説教の追加は間違いなしだ。

とはいえ、なにやら脱線してきているお説教を本筋に戻さねば。


「焔さん、龍海ちゃん、あの、私も悪かったのですし…」


「蛍は黙っていろ」

「ほたルさマはお静かニ願いマす!!」


えええええ。理不尽すら感じる…。

意を決して物申せば、ずいぶん呆気なく袖にされた。

ヒートアップした彼らに私の声は届かないようだ。

終いにはくるくるとお腹が鳴り出したが、それでも二人の言い合いは止まらない。

ああ、まって、龍海ちゃんの口の端からほとばしってる火花には気付かないふりするべきなの?


結局、夕食にありつけたのは、帰宅してから2時間後のことだった。

…冷めて伸びきったうどんでも、美味しかったです。ありがとうございます、朽葉さん。

自室に戻って布団に倒れ込んだら、あとは泥のように眠った。

小鬼が怖いだとか滝が綺麗だとか、何を思う暇もなく、疲労による睡魔に完敗したらしい。



⭐︎



翌日、目が覚めたのは日が昇ってだいぶ経つ頃だった。

今世、正確な時計はこの国にはまだなくて、時間の概念も大分ふわふわしている。

けれど不思議なことに、時計がないことに特別な不便を覚えることもなく、日々を穏やかに過ごせている。

本来ならば時間によってはっきり区切られるはずの学校の授業も、簡易的な日時計を元に鐘を鳴らすことで時間の区切りをつけている。

が、天気や季節にずいぶん影響され、午前の終わりなどは生徒や先生の腹時計の方が正確だったりした。


その鐘の音さえもない現在は、日の出と日の入りを唯一の導に大雑把に生きている訳なのだが。

ぽりぽりと頭をかく。

枕元には、多分龍海ちゃんが用意してくれたんだろう着替えが置いてあった。

起こしてくれて良かったのに、と思う反面、甘えてないで自力で起きるべきだと反省もする。


私はどうも、ここに慣れてきたらしい。

心置きなく寝坊するくらいには。


「んー…」


大きく伸びをして、布団から出る。

案の定、筋肉痛でばっきばきだ。痛い。

朝ごはんとか迷惑かけたんじゃないだろうか。

寝起きで力の入らない指をなんとか動かして、手短に支度を済ませて部屋を出る。

今日はまた天気が良さそうだから、布団を干そうか…。

思いの外寝ぼけてたみたいで、部屋を出て数歩目で右足の小指を壁に強打した。なんでよ。踏んだり蹴ったりか。

我ながら情けなさすぎて笑うしかない。おかげで完璧に目は覚めたけど。


「奥様、おはようございます。起きられたのですね」


「あ、朽葉さん。おはようございます…」


「蹲られてどうされました? お体の具合が悪いのですか?」


運がいいのか悪いのか。

無様な瞬間は見られなかったみたいだけど、今なお無様には違いない。

背後から来た朽葉さんに、愛想笑いで誤魔化しつつ立ち上がる。

筋肉痛の方の痛みも愛想笑いで濁せた、かな。


「昨晩はお疲れ様でした。よく眠れましたか?」


「お陰様で。寧ろ寝坊してすみません…」


「いえ。お疲れでしょうから起こすなと、焔様がおっしゃいまして。そろそろ昼食に取り掛かろうと思いましたが、もし必要なら、急いで軽く何かお作りしましょうか?」


「いえいえ! 大丈夫です。お昼ご飯まで待ちます」


わたわたと両手を振ったら、朽葉さんはくすりと笑ってくれた。

このヒトは本当に、目の保養というかなんというか。

美人て、性別とか関係なく目の保養だなと思いました。


「焔様でしたら、今日は薬酒を作るとおっしゃって、庭にいらっしゃいますよ」


え、これは会いに行かなきゃ行けない感じでしょうか…。

にこにこと笑う朽葉さんの謎の圧にやられ、じゃあ、と焔さんのいるらしい庭に足を向けることに。

…その前に顔洗いたいです。

というか薬酒って庭で作るの?


考えてみたらこの数日、朝は必ず龍海ちゃんがいて、彼女が桶に水を入れて持ってきてくれていたから、洗顔のために井戸に向かうのは初めてかもしれない。

この国に水道は殆どない。みんな近所の井戸や清水の湧き出る場所などから汲んで生活している。

ありがたいことに、この国の水は何処も綺麗だ。

その上水脈も豊富なので、水に困ることは殆どない。


水が豊かであることは、多くの生き物たちにとってありがたいことだ。


「おくさマ。おはようゴざいまス」


「おはよう、龍樹くん。お寝坊してすみません…」


庭にある井戸で顔を洗っていたら、龍樹くんが来た。

何気に、このお屋敷で一番話す機会が少ない相手でもある。

が、龍樹くんは龍海ちゃんに似た顔でにこにこ笑って、寝坊の件を許してくれた。


「よク眠れましたカ?」


「おかげさまでぐっすりと」


「それハ良かったでス。ほむらサまなら、すぐそこでドクダミを採取しテますよ」


何故みんな二言目には焔さんの話をするのか。

龍樹くんはそれだけ言ったら、特に何をするでもなく、雑巾片手に屋敷の方へ戻っていった。

…雑巾洗いに来たんじゃなかったのかな?


「ドクダミかぁ…」


焔さんが作るのはドクダミの薬酒なのかな?

今世にしろ前世にしろ、薬酒というものに縁がなかったので、ピンと来ない。

ドクダミと聞けばお茶のイメージだが、お酒にも合うのだろうか。

ドクダミ自体は前世の実家の庭含め、あちこちに自生しているのを見た覚えがあるが…。

そもそも、薬酒の作り方さえちゃんと理解できてないのだから、ドクダミの薬酒があるかどうかなんて知る由もない。


つらつらと思考を滑らせながらのんびり歩いていれば、大きい背中を小さくしながら、かがみ込んでいる後ろ姿が。

未だにあのヒトと自分が夫婦だという実感が家出したまま帰ってこない。が、あの背中は紛れもなく、私の旦那様である焔さんのものだ。


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