31 厄災
遅くなりまして申し訳ないです。そろそろ佳境といったところでしょうか……。
焔さんは私に気付かないのか、一心不乱に手を動かしている。
その背中の向こうにドクダミが見えることから、本当にドクダミを採取しようといるようだ。
話しかけていいものだろうか、悩みどころだ。
特に用事はないのに話しかけて、作業の邪魔をしても良いことはない。
だが、正直薬酒作りというのには興味がある。どうしようか…。
うじうじ悩んでいたのが問題だったのか、じっと穴が開くほど見ていたのが悪かったのか、焔さんが不意に振り返った。
ばちっと音がするかと思うほどしっかり視線がぶつかった。
「あぁ、起きたか。おはよう。具合はどうだ?」
言葉を探す一秒に満たない沈黙は、焔さんの方から破られた。
丁寧に手を止めて、こちらに体ごと向き合ってくれる。
このヒトは、いつも丁寧だ。僅かに胸の奥が軋んだ。
…筋肉痛では無いはずだ。
「お、おはようございます。寝坊して申し訳ないです」
「いや、昨日は無理をさせた。まだ寝てなくていいのか?」
過保護か。猛省した結果なのかなんなのか、大袈裟過ぎでは?
とは思うが、焔さんの顔は真剣そのものだ。
「大丈夫ですよ。むしろ寝過ぎたくらいなので」
「…しかし、少し辛そうだ」
「あ、え」
思わず言い淀む。それは筋肉痛のことですかね。
筋肉痛なのは足だけだが、良くわかったな、焔さん。
「大丈夫です。筋肉痛なだけなので」
ぱたぱた手を振って笑うが、焔さんは納得いってない様子。
ほんの少し、僅かに眉間に皺を寄せて、じっとこちらを見ている。
「………」
「………」
「……………」
「……………………」
なんだろう、無言で睨めっこでも始まったかな?
気まずい沈黙に、ついに視線がふらりと泳ぐ。
このヒトの熱視線はなんだかくすぐったくて、受け止めるのに苦労する。
「………きんにくつう…」
ぽつりと落とされた声は、納得いってない子どもみたいな響きを含んでいた。
「えっと、焔さんは薬酒を作るって聞いたんですが、その為にここに?」
「…そうだな。ドクダミが増えていたから、これで作ろうかと思ってな」
無理矢理会話を方向転換させたが、焔さんは答えてくれた。
「薬酒でもいいが、ドクダミならば茶も良い。おまえはどちらが好きだ?」
「んー、薬酒は飲んだことないのでなんとも…。お茶の方は嫌いじゃない、程度ですかね…」
「酒は弱くなかったな。今度飲んでみるか」
「えっ! いいんですか? 興味は抜群にありますよ」
食い気味に言えば、焔さんは柔らかく笑った。
心臓が大袈裟なくらい跳ねた。
昨日から、この柔らかい笑顔が増えたような気がする。
じゃあ、と再びドクダミに向き合うようにしてしゃがんだ焔さんの隣にお邪魔する。
「どれくらい採るんですか?」
「そうだな…」
口を開いて、長い指でドクダミに触れようとした焔さんの手が、ぴたりと不自然に停止した。
何事かと隣の焔さんの方を向いて、思わず絶句した。
いつの間にだろうか。焔さんの陶磁のような頬に、火傷のような痣が浮かび上がっていた。
言葉を失っている数瞬の間に、焔さんはくらりと体制を崩して、そのまま力なく倒れてしまった。
倒れ伏して色を失った顔のどこにも、もうその痣は残ってなかった。
「っ……! ほむらさんっ!」
私のその声はもはや悲鳴だった。
焔さんが倒れた時に散らばったドクダミなんて見向きもせずに、焔さんに呼びかけた。
迂闊に揺すってはいけないのは、接触事故の時だけ?
顔色が悪いけど、病気だったの?
真っ先に救急車、なんて今は呼べない。誰を呼ぶべき?
ぐるぐると知識が空回りして、手すら伸ばせない。
「だ、だれかっ……だれかぁー!」
朽葉さんの額を見た時よりも大きな声で、叫んだ。
離れたところから、双子のどちらかの声がした。
情けないくらい震える手を、ようやく焔さんに伸ばす。
顔を覗き込んでみると、かろうじて呼吸していることはわかった。
ただ、元から白い顔色は紙のようになっているし、触れた指先は火傷しそうなほどの熱を伝えた。
「どうしましたっ」
一番初めに駆けつけてくれたのは朽葉さんだった。
倒れている焔さんを見てぎょっとして、私を見た。
「い、いきなり…」
自分の声は驚くほど震えていて、喉が締められたように苦しい。
じわりと目に浮かぶのは涙か。泣いている暇なんてないのに。
朽葉さんは「失礼」と短く言ってから、焔さんを抱きかかえた。
そのころ、双子たちがばたばたと駆けてきた。
「坊っちゃン!」
「龍海様、すぐに冷たい水を。龍樹様、すぐに焔様の布団を。奥様、立てますか?」
朽葉さんの冷静な声に、ようやく我に帰れた気がする。
双子たちは声を揃えて返事をし、きた時よりも早い速度で母屋へ帰っていった。
私も慌てて立ち上がった。お手伝いしたいし、もしできなくても足手まといにはなりたくない。
「朽葉さん、私どうしたらいいですか?」
「旦那様は大事ありません。奥様は、もしよろしければ、旦那様のそばについていてくださいませ」
そんなことより役に立ちたい。そう口にしたかったが、それより先に朽葉さんは歩き出してしまった。
私では抱えることすら難しい焔さんを、朽葉さんは簡単に運んでしまう。
この屋敷に不慣れな私では、焔さんの布団も、冷たい水も用意できない。
何より自分が無力で情けなく思えて、先ほどとは違う涙が出てきそうだ。
唇をかみしめて実感する。私にとってこのヒトたちは、もう立派に『大切』なんだ。と。
「奥様、大丈夫です。時折旦那様は、こうして倒れられますので、初めてのことではございません」
それは何がどう大丈夫なんだろうか。
廊下を歩く朽葉さんの声は硬くて、緊張が伝わってくる。
それも相まって、やっぱり大丈夫には思えないのだ。
「焔様は、昨日、炎の力を使われましたか?」
静かな問いに、そう言えばと思い起こす。
昨日小鬼に遭遇し、それらを撃退するために焔さんが炎を出したことは、みんなには伝えていなかった。
必要以上の心配をかけたくないからだと焔さんに事前に言われていたためだが、私は特に疑問にも思わずそれを承諾していた。
もしかして、昨日炎を使ったことと、何か関係があるのだろうか。
それとも、私は知らないだけで、小鬼になにかされたのだろうか。
約束という単語が引っかかり、素直に頷けないでいる私を見て、朽葉さんはため息をついた。
そりゃそうだ。頷いてないだけで、肯定したも同然だ。
「ご、ごめんなさい」
「いいえ。焔様の差金でしょう」
ここでやっぱり咄嗟に答えられないのだから、私は嘘がつけないやつだと思う。
朽葉さんの覇気が心なしか強くなったように思う。素直に言えば怖い。
詳細を聞きたいが、どうしても口なんて出せない雰囲気だ。
ぱたぱたと足音をさせながら、龍海ちゃんが駆けてきた。
「朽葉、みズは用意しタ。坊ちゃんはドうだ?」
「この通りです。やはり、昨日のうちに炎を出した、と」
駆けつけた龍海ちゃんが、いつもと違う雰囲気で話す。
もしかしたら、こちらの方が彼女の素なのかもしれない。
それもやっぱり、聞けはしないけど。
「焔め。無理をしタか」
低く唸るような龍海ちゃんの声には、怒りというよりも呆れた色が乗っていた。
「無理? 無理って…」
焔さんが昨日炎を出さねばならなかったのは、小鬼のせいだ。
もっといえば、私が遅くまで滝を見ていたせいだ。
口にはしなかったけど、きっと歩くのだって私は遅い。
どんどん沈んでいく気持ちをよそに、私たちの足は焔さんの自室にたどり着いた。
「龍樹、布団は」
「こコに」
慣れた手つきで、朽葉さんは焔さんを布団に押し込んだ。
それから準備されていた水に布巾を浸し、焔さんの額に乗せた。
私はそれを、部屋のすぐ外から眺めているしかなかった。
「厄災か……。厄介なモのだな…」
ぽつりと言葉を落としたのは龍樹くんだった。
厄災。
鬼神族が厭われる原因ともいえるもの。
これが、その『厄災』なのだろうか…。




