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23 ときめくんです?

「お熱いねえー、お二人さん。まあまあまあ、新婚なんてそんなもんだよねー」


温もりに身を委ねて、何なら眠気すらやってきた頃、溌剌とした声で我にかえった。

はっとして慌てて距離を取ろうとしたけど、流石というか焔さんは怪力だ。

恥ずかしさのあまり涙もどこかへ引っ込んだ。

体の隙間に手を入れたいけどそれさえ出来なくて、背中をぱしぱし叩く。

あれ、微塵も力が緩まないんだけど、どうしよう…。


「ほ、ほむらさん…」


苦しくなってきて声を出したけど、おかしいなもっと苦しくなったぞ。

本格的に命を危機を感じ始めたので、今度は手加減なく背中を叩く。

ばしばしと豪快な音に反して、全くと言っていいほど緩まない抱擁。

そろそろ酸素が足りなくて意識飛びそうです。


「おーい焔チャン、嫁さん死にかけてないかーい?」


透さん、もっと言ってやって下さい。

背中を叩く力も残ってない。

あ、さよなら現世。

意識を手放すその直前に、ようやく私は解放された。


「っ、けほ、けっほ」


足りない酸素を肺が求めたまでは良かったが、急な供給に追いつかなくてむせた。

このやろう焔さん、しばらく許さないぞ。

とにかく距離をとろうと焔さんの胸を押し返したのに、あっさりその手を握られた。

いや、握ってほしいんじゃなくて、一旦距離を置いて欲しいんですけど。

願いは何一つ言葉にならず、けほけほと咳ばかりが喉から飛び出てくる。


「大丈夫か…?」


焔さんの声は切なくて、とてもじゃないけど叱れそうにない。

ようやく咳が治ってきて、なんとか呼吸が整ってきた。

さっきとは別の意味で涙が出てきた。なんだよちくしょー。


「蛍…?」


焔さんの声に、思わずぞくりとした。

ようやく戻ってきた呼吸を捨てて、思わず焔さんを見上げる。

優しくて優しくて、溶けそうな程甘い声。

焔さんの吐く炎が、私にも燃え移ったのだろうか。

かっと体の中心が熱くなって、ついでに顔もものすごく熱い。


固まった私の頬を、焔さんの手が滑る。

繊細な飴細工に触れるより優しく、優しく、柔らかく。

その仕草が私の知らない熱を伝えてきて混乱する。

私を覗き込んでくる、茹だるような熱を宿す赤い眼から逃げられない。


「あれ、もしもーし? 俺の存在忘れてなーいー?」


こうして見るとやっぱり焔さんの顔って恐ろしく整ってると思う。

私を射抜く視線が、真剣な光を灯している。

このヒトは、こんな顔をするヒトだったのか。

私がこのヒトのことをよく知らないのは当然な筈なのだが、今はそれが不服に思う。


「おーい、お二人さん、もしかしなくても二人の世界ですー?」


固まって動けない私の両頬を、大きくて暖かい、優しい両手が包んできた。

それが宝物に触れるような繊細さをもっていて、何故だか泣きたくなる。

焔さんの指の腹が私の目尻を柔らかく撫でた。

この人は私を燃やすつもりなのかも知れない。

溶けるなんて優しいものじゃなく、焼き尽くされるかのような熱が、焔さんの触れたところに宿っている。


「ねー、俺チャン一年ぶりよ? なのに無視っすかー?」


でもその熱は痛みを連れてこない。

ただひたすら甘やかな、痺れる毒のような優しさをもって私を焦がしていく。

心臓が口から出そうとはこのことか。先人の言葉は正しかった。

耳のすぐ後ろに心臓が張り付いているかのように、自分の鼓動がうるさい。

寧ろ私自身が心臓になったかのように指先まで脈動を感じる。


「…俺チャン帰ろっかなあ…」


絶対赤面してる。溶けそうな自分が恥ずかしい。

私はこんなにちょろかったか。

いや、考えてみれば寧ろ当然かもしれない。

前世の記憶に恋愛の記憶は全くというほど残ってないし、今世に至っては5歳で全てを諦めたのだ。

そのブランクを考えてみろ。と、ときめきなんてこっぱずかしい感覚は慣れてないどころの騒ぎではない。


「ねぇー、龍樹チャンか龍海チャン、居ないー?」


混乱に乗じて暴露すれば、私はまだバージンだ。

つまり、本当に全く、完全無欠に完璧に、私はこういう感情に慣れていない。

笑って躱すことも、可愛らしく恥じらうことも、冷静に排除することもできない。

ええい、心臓がうるさい。もう少し静かに動けんのか。

目尻に留まっていた焔さんの指が柔らかく滑り、あっつあつの私の頬を悪戯に撫でた。

それだけでぞくぞくと背中を登る痺れる毒に、いっそくらくらする。


「あ、俺チャン帰るわ。なんか新婚さんの邪魔みたいだし」


のぼせあがった私にはもう出来ることなんて何もない。

慈しむように、ただただ優しく私を撫でる焔さんの指に、一つ残らず溶けていく。

少なくとも既に腰は溶けてるので、暫く立てないと思う。

やはり燃えるより溶ける方が先だったようだ。

というか、なんなのだろうこの熱は。

目を白黒させてとにかく耐えている私を誰か褒めて欲しい。


「なぜ泣いた…?」


甘い毒が耳にまでやってきた。

獲物を捕らえる獣の色を宿す赤い目の奥の奥で、迷子の子供みたいな炎が燻っている。

ああ、泣いた山猫に声をかけた雀は、絶対にこんなに甘い声なんか出さない。

開放されてしばらく、行き場のなかった両手を使って焔さんの両眼を塞いだ。

私の両手はまだ溶けずに残っていたらしい。

…当然か。何考えてんだ。


とりあえずこれで、あの恐ろしくも美しい視線から隠れられる。

ようやく、視線も顔も動かせるようになった気がする。

…魅了系の魔法とか使えるんじゃないです?

そんな馬鹿なことを考えてしまうくらいには、破壊力というかなんというか、ヤバかった…。

よし、今度同じ事が起こったらまず目を塞ごう。

一人心に誓う。


「…あれ?」


自由になった思考と視線で、先ほどまでいた大きな犬が居なくなってることに気づく。

え、あの犬って瞬間移動とかできるの?

それとももしかして、一部の人間が異様に憧れるという透明化ができるとか?

私の手を顔から引っ剥がした焔さんも、一緒になって周りを見回した。

が、見つからない。


「透はどうした?」


そう言う声には、もう熱も甘さもなく。

声に従って顔を向けてしまったが、あの紅蓮の瞳に捕まることもなかった。

いつものように凪いだ目で、友人の姿を探している。

…この場合、友人ではなく友犬ゆうけんだろうか…?

なんだよ、ゆうけんって。


まだ少し私の脳みそは混乱が残っているようだが、まあ問題はないだろう。

それより、焔さんの様子からいっても、あのワンコに瞬間移動や透明化の能力は無いようだ。


「どこか、いっちゃったんでしょうか…」


なんだか久しぶりに声を出すような気がする。

焔さんは頭の後ろを軽くかき、少し困ったように周囲を見回している。


「透?」


少し大きめの声で呼んでも、返事はない。

あの犬はよくこうやって消えるんだろうか?

すたん、といい音で戸が開いた。

その音に導かれて戸口を見ると、龍樹くんがいた。


「ああ、龍樹、透を知らないか?」


「透さんでしたラ、先ほど帰られましたヨ?」


焔さんの質問に、まるで当然のように答えた龍樹くんは、何をバカなことを、と言いそうな顔をしていた。

思わず焔さんを見れば、丁度視線がぶつかった。

その視線が何かを訴えている様だったが、詳細は分からないので取り敢えず首を横に振った。

無言のやりとりを見ていた龍樹くんは、すこし呆れたようなため息をついた。


「お二人を見ていたら奥さんガ恋しくなったとかでデ帰られましたガ、お話は済んでいないのですカ?」


「えっ」


思わず声をあげてしまったが、よく思い返すと混乱した頭の端に、何かあまり聞き馴染みのない声が聞こえてたような気がする。

焔さんの方を確認すると、彼は真面目腐った様子で考え事をしている。

恐らく、彼も友人の帰宅になんとなーく思い当たる節があるのだろう。


「幸せなようで何よりダ、とおっしゃっていましたヨ」


とりあえず私は穴を探すことにしようかな。

人一人が安心して入れるくらいの。

そいで、蓋も探すんだー。

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