24 知りたい。
ふうふ。めおと。連れ合い。伴侶。番。カップル。ペア。
つらつらと並ぶ呼び方のどれも、全くしっくり来ない。
私は焔さんの奥さんだ。焔さんは私の旦那様だし。
だけどどうにも、恋愛どころか見合いすらすっ飛ばしてこの関係にいる私たちは、その呼び名に慣れていない。
…ああ、いや、慣れていないのは、私だけなのかもしれないけど。
ここへ来て、一週間が経った。
私はいい加減この屋敷の間取りを覚えたし、みんなとも大分話しやすくなったと思う。
だけど未だに、奥様と呼ばれる事に慣れてない。
いや、慣れていないというより、本当の意味で『奥様』である自覚ができないと言うべきか。
なんか、八百屋とか行って、妙齢の女性はみんな奥さんて呼ばれる、あの感じ。
奥さんという響きから、焔さんの、という連想がイマイチできない。
いや、それは全く些細なことで、いっそどうでもいいような事だ。
私の心持ち一つだというなら、それらは全て些事だろう。
問題といえるのはそこじゃない。
私が問題だと思っているのはそこじゃない。
「………ひま」
庭に根付く合歓木を見上げながら、ほつりと落としたその一言こそが現在の最大の問題であり、本音そのものだった。
学校へ行けないのはもう解りきっていたが、それ以外のことに関しても、私にできることがなさ過ぎるのだ。
家事は一切手伝えない。いや、私の技量ではなく、私以外の全てがそれを許してくれないだけだ。
読書はあの少ない蔵書を読み終えた今、暇つぶしにすら為らず。
庭の散策は昨日でほぼ完遂したため、やはり暇つぶしにはならず、山ノ怪が出る門の外へ行くほど命知らずでもない。
大きな大きな山という籠は、やはり私を捕らえる檻にすぎなかったということか。
この何もない山で、焔さんも朽葉さんたちも、どうやって生きてきたのだろう。
いや、彼らには彼らなりの仕事が、多少なりともあるわけだが。
人間、仕事が一切なくなると腐るのかもしれない。
かこーん、と、年季の入った鹿威しが鳴る。
さわさわと風に揺れる繊細な葉の隙間をぬって、日差しがちらちらと私に降ってくる。
初夏とはいうが、山の上だからなのか、ここはまだ十分に涼しい。
日差しに手を向ければ、前世も見た覚えがある赤い血潮が透けて見えた。
「…わざわいのおに…」
今のところ災いとは全くと言っていいほど無縁だ。
巷では病魔が去ったという。
それ以降の災いと呼べるものは、私の周りにも巷にも現れない。
「…………」
調べられないのだろうか。
ふと、脳裏をよぎった考え。
災いと鬼の因果関係を、私は知らない。
そして、それは朽葉さんや焔さんさえも知らないのだと聞いた。
赤く光を纏う自分の手を握る。
血潮は見えなくなった。
どうにかして、研究できないだろうか。
好奇心が大きくなっていく。
持ち上げていた手を下ろして、手のひらを見つめる。
日に照らされてちらちらと光る私の手は、なんの変哲もないただのヒトの手だ。
先日重ねた焔さんの手も、同じだった。
暖かくて優しくて、大きくて強い手のひら。
「………」
基本的に、私は多くのことを放置できる。
それは容認、許容であって無関心ではない。
そのかわりに、私は私の気になることに関して、妥協しない。
知りたいことは研究してでも知ろうとする。
今までそれは植物にばかり傾いていたが、ここにきて見過ごせない疑問が渦巻いている。
鬼と病の因果関係。また、鬼と災いの因果関係。
焔さんが魔を宿すというのは知っている。火、吐いてたし。
けれど、炎の魔を持っていたところで、それそのものは病とも災いとも無関係なはずだ。
では何故、焔さんは災いの鬼なのか。
今の今まで、私はそれらを実感したことはない。
けれど焔さんも含めたみんなが、鬼神族は災いを呼ぶのだと信じている。
それは何故なのか。
何も知らない私は、何も知らないからこそ、きっと正しく物事を見られる。
「………ん」
何もない手のひらを、ぐっと握りしめて拳をつくる。
今はまだ何も掴めていないこの手で、病や災いと、焔さんの因果を探ろう。
私は確信に近い予感を持っているのだ。
きっと焔さんたちは、災いを呼ぶ鬼なんかじゃないはずだ、と。
「と、いってもさぁ…」
自分の情けない声が喉から漏れ出た。
今迄研究と呼べることは専ら植物に関することであり、それも目に見える分かりやすい事象を捉えてきたことしかない。
だが、病やら災いやらというはっきりしないものが、焔さんとどんな因果関係にあるかなんて、どうやって調べるというのか。
例えば私が風邪をひいたとして、それが焔さんのせいかどうかを、一体どうやって確認、証明するのか。
災いなんてもっと曖昧だ。そんな事を焔さんたちのせいにしていることそのものが、私にとっては侮辱のような、酷い言いがかりのような気がしてならない。
「まずは、情報を集めるところから、かなぁ」
例えばこれで、本当に焔さんたちが病や災いを振りまくなら、それを防ぐ方法だってあるはずだ。
どうしても防げないなら、私はそれ相応の覚悟をすべきだし、遺書とか、それなりの準備が必要になるかもしれない。
私は知りたいのだ。
焔さんという生き物が、どんな存在なのかを。
両手を握って開いて、もう一度握った。
ちっさいこの手では掴めるものなんて限られていて、私の望む全てなんて到底届かないかも知れない。
それでも、精一杯腕を伸ばして、掴めるだけ掴み取って、それらをちゃんと守る事を、怠りたくはない。
ぐ、と両手に力を込めてみれば、小さな拳が二つ出来上がった。
今までは、この両手に両親のわずかな幸せと、私自身の命だけを握ってきた。
頼りないこの両手で、掴み取ろうとしてきたモノはあまりにも少ない。
だけど今度からは、この両手に焔さんの幸せと、朽葉さんと龍樹くんと龍海ちゃんの幸福を、掴み取っていきたい。
その努力をしたい。
そう考えてみれば、案外私も暇だとばかり言っていられないかもしれない。
やるべきことを見つけられたような、そんな僅かな充足感を得て笑う。
私は基本的に我儘で自分勝手だ。
だから私は、私の幸福を守る人たちの幸せを、護りたいと思うのだ。
他の誰でもなく、自分自身の為に。
「始めは龍海ちゃんからかなぁ…」
そうと決まれば情報収集だ。
焔さんや朽葉さんにとって、デリケートな部分だったら、しょっぱなに地雷を踏みに行くのも問題だし。
何故鬼神族が『そう』なのか、まずは第三者から聞きたい。
龍樹くんは龍海ちゃんより焔さんに近い。
だから、出来れば龍樹くんより焔さんに遠い、龍海ちゃんから話を聞きたい。
何処にいるかしら、と、私は行動を開始する。
ちらちらと目の奥で、木漏れ日が焼き付いている。
それが視界を悪くしているけど、まぁ構うものか。
若干不安定になった足取りで、私は庭から屋敷に戻る。
こぉん、と、鹿威しが鳴いた。
なんだか試合開始のゴングみたいで、ちょっとだけ笑った。
遅れました申し訳ない…。




