22 雨漏
ようやく落ち着いた焔さんに安心したのか、ワンコの耳も少し立ち上がっている。
ワンコに座るように促せば、よく知るお座りの姿勢で座った。
…デカくても可愛いものは可愛いらしい。
「焔さん、差し支えなければ、ご紹介いただいても?」
中々沈黙を破らない両者に、助け舟もどきを出した。
というか純粋に興味アリ。
私の言葉に、二人は顔を見合わせてからこちらを見た。
仲良しかよこんちくしょー。
「こいつは病犬の根谷透だ」
「山犬…」
焔さんの紹介に、私の脳裏を真っ白な大きな犬のシルエットが横切った。
くそう、かっこいいじゃないか…!
というか大きい。
「で、こちらは蛍。俺の妻だ」
他人に妻として紹介されるの初めてだ。
どうしよう顔が熱い。
誤魔化しまじりにお辞儀をした。
「ホタルチャンか。よろしくねー」
私の中の山犬の印象が崩れていく。
一言で言えば、こいつチャラい。
「よろしくお願いします」
とりあえずと言わんばかりの挨拶だが許されよ。
私のコミュ力はそう高くはないんだぞ。
そわそわとする私に対して、透さんはとっても落ち着いている。
「俺はこの山の、もちっと上の方に住んでんだ。焔とは、まあ、類友ってやつ?」
「こいつは病犬族の生き残りだ。その名の通り、病を振りまくと言われている」
へえ、と相槌。
まてよ、やまいぬぞくって、山犬じゃないの?
飛び出た疑問は声にするには遅かった。
「まぁ、本当は俺たちが病を食う犬だから病犬なんだけどな。口伝や伝統なんて、半分は嘘と偏見だよ」
茶色くしっぽを振る山犬、もとい病犬。
山の犬じゃなくて病の犬なのね。紛らわしい。
ぺろりと薄い舌を出して、その仕草だけは本当にただのワンコだ。
「というか、病を食べる…?」
引っかかった言葉がそのまま私の口から飛び出てしまった。
ぱたりと透さんの尾が波打った。
焔さんは何故か私の視線から逃げるように、つい、と顔を逸らした。
叱られる前の子どもみたいだ。
「で、何用だ? 一年も行方を眩ませていたが…」
私の言葉には触れず、焔さんは話を変えた。
透さんは後ろ足で自分の顔をかいた。
やっぱり大きいだけのワンコに見える。
「いや、ようやく動けるようになったんでな、挨拶をと思ったんだ」
ふるふると頭を振りながら言う。
なんだか、動物映画のアテレコでも見ている気分だ。
焔さんは透さんの言葉に眉根を寄せた。
「お前、何があった?」
神妙な空気を出す焔さんに対して、透さんはのほほんとした雰囲気のままだ。
ぺろりと舌を出して、耳を垂れて、頭の位置を低くした。
もしかしたらそれは謝罪や罪悪感を示したモノなのかもしれないが、私には大きいワンコがしょげているようにしか見えない。
「いやぁ、語るとちょっと長くなるんだけど、戯れに山ノ怪を追い回しててさぁ」
「それは一年前の話か?」
「そうそう」
ポーズに対して言葉が軽い。
というか、戯れで追いかけられるモンか? 山ノ怪って…。
あいつらに命はない。それに付随する心もない。
ただの現象に近く、それを追い回すというのは陽炎に石を投げるようなものだ。
と、思っていたけど、そうでも無いのだろうか。
「んで、ちっとトチって崖から落ちたんだよねー」
軽い。ちょっと醤油こぼしちゃったんだよね、みたいな軽さだ。
崖から落ちたってそんな軽いものかなぁ…。
というかこの山、崖なんてあるんだ…。
「そしたら動けなくなっちゃってぇ。とりあえず養生? してた? みたいな?」
…どうしよう、このワンコ可愛くない。
尻尾をぱたぱたと降って、無邪気なワンコに見えるこの魔物、なんだか絶妙に腹が立つ。
先ほどのしょんぼりは何処へ消えたのか。
「とりあえず、番と山奥引きこもってたんだー」
きゃぴ。
どうしよう。こんなに腹立つワンコ初めて見た。
ぺろりと舌を出して茶目っ気をだしているつもりらしいワンコだが、いっそ言語が通じない方が可愛がれた気もする。
ちょっと古いギャルみたいなノリが、絶妙に怒りの琴線に触れる。
というか番がいるってことは、このヒト妻帯者かよ。
「ほう」
たった一言のそれに、部屋の温度が2度は下がった。
泣く子も黙る焔様の一言だ。
やばい。今度こそ焔さんの方を見れない。怖いわ。
そしてワンコよ。恐らく同情の余地は無いぞ。
「それで?」
地獄の底から這い出た鬼のようだ。
見なくてもわかる。これは怖い。
というか、焔さん大丈夫か。情緒不安定じゃないか?
透さんを見ると、可哀想なほどぺそりと耳を垂らしている。
今にも怯えた鳴き声が聞こえそうだ。
流石に同情したくなった。黙っていればデカイだけの可愛いワンコだ。
「す、すいません、でした…」
蚊の鳴くような小さな声で、なんとか絞り出された言葉は謝罪だった。
お辞儀などは一切無かったが、その言葉が本心からのものである事は明白だった。
「傷はもう癒えたのか」
焔さんのいつもの静かな声だ。
怒気が消えて、部屋の温度も戻った気がする。
「あ、ああ。もう大丈夫だ」
ぱたりと控えめに尾を振って、透さんが答えた。
まだ耳が垂れたままだが、緊張から入っていた余分な力は抜けたらしい。
先ほどよりリラックスした様子で座布団に座り直した。
「まあ、なんだぁ、そのぅ…。し、心配かけたかと思ったんでよ…あ、挨拶っつうか、何つうか?」
「なるほど」
テンション高めのワンコに、どこまでも冷静な焔さん。
なんか飼い主とペットみたいだ。
「腹はどうだ?」
焔さんの続く問いに、茶色いワンコの耳がついにぴんと立ち上がった。
まるまっていた背中を伸ばして真っ直ぐになる。
「ああ、麓の方まで降りて、病をたらふく食った所だ。大丈夫さ」
ぺろりと舌舐めずりをしたワンコは、悪戯好きの大型犬みたいだ。
目だけでニヤリと笑う犬は、犬というより猫みたいだと少しだけ思った。
「なんか流行り病があったみたいだが、根こそぎ食ったから多分もう大丈夫なんじゃねえかな」
その言葉に、一瞬思考が停止した。
ちらりと焔さんの視線がこちらに来たが、すぐに病犬の方へ戻ってしまった。
少しずつ回復した思考回路が、状況を整理し直した。
病を食う病犬が、この一年は姿を現さなかった。
その一年の間に新たな流行り病が現れた。
きっと普段であれば、ここまで大事になる前に、病犬が食ってくれたであろう病は、猛威を奮い続けた。
だがしかし、今こうしてその病犬が現れた。
そしてその病魔を、既にもう食い尽くしたという。
私のすぐそばで会話を交わす二人が、フィルムでもかかるかのように遠い。
分厚いガラスの向こうのように、音も光もくぐもって届かない。
何かを話し合っているみたいだが、私の目と耳はそれをうまく拾えないまま脳みそに不出来な情報を教えてくる。
ぱちり、とゆっくり瞬きをした。
じわじわと、胸の内に広がっていく感情。
それは、安堵だった。
ほ、と大きく息をついた。
力が抜けた。
少なくとも、きっと。両親は。
この病にかかって死ぬことはないのだと、知れたから。
「よかったぁ…」
膝に置かれた自分の両手を眺めて、ぽつりとこぼした。
そしたら、こぼれたのは言葉だけじゃなかったみたいだ。
言葉はもう出てこないのに、ぽたりぽたりと雫が落ちる。
室内だと言うのに、雨漏りだろうか。
天井を見上げてみても、何故だかぼやけてよく見えない。
「…蛍?」
焔さんの声が、恐る恐る私を引いた。
じんわりと歪んだ視界の向こうで、大きな茶色がそわそわ動いている。
はらはらと頬を溢れる雫は、雨にしては暖かい。
返事をしようと思うのに、喉に何かつっかえて、うまく声にならない。
大丈夫だと言いたくて、それ以上に、何だか温もりが欲しくて。
さっきとは逆だ。私の方が、焔さんに縋るように手を伸ばす。
「……!」
声にはならない声で、焔さんを呼んだ。
ちゃんと、届いたかはわからない。
視界が真っ黒になった。
体が暖かいもので包まれた。
大きくて暖かい、優しい手が、私の頭を撫でていた。
初めて嗅いだ焔さんの香りは、雨の匂いがした。




