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黒騎士は初恋を拗らせている  作者: 来生珱甫
第二章 追憶のマルジーネ
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第一話

 その子供は突然オクタヴィアンの前に現れた。


「あなたがオクタヴィアン?」


 月光の降り注ぐ森に近い前庭。葉擦れの音と梟の鳴き声だけがしたそこに、唐突に現れた子供。

 森には不似合いなワンピースを纏った、幼いその子供はただ真っすぐにオクタヴィアンを見据えた。まるで射抜くようなその目に、知らずオクタヴィアンの呼吸は止まった。


 一人その子供と対面することになったオクタヴィアンは、自分の名を呼び、不躾な視線を寄越す子供を知らなかった。故に気づいた。この子供がナタニエルが言っていた『客』なのだろう、と。




 その日の朝、オクタヴィアンはナタニエルやイヴァンと共にマルジーネに向かうはず──だったが、それができなくなった。

 それというのもマルジーネへと向かい始めてすぐ、王都を出るよりも先に王城より使いが来たから。その使いはナタニエルへの伝令を携えていて、それを聞いた彼は戻ることになった。勿論オクタヴィアンもそれに付き従うつもりだった。

 けれどナタニエルから一言。


「オクト、済まないけれど僕がマルジーネに向かうまで頼んだよ」

「私が、ですか?」

「そう。イヴァンはどうしても連れて行かなくてはダメでね」


 そう言ってナタニエルは苦笑した。


「オクトとイヴァンのどちらが人当たりがいいかはわかっているよ。けれどイヴァンを伴わなければいけないんだ」

「──城で何かあったのですか?」

「あー…うん、そこまで大したことでもないよ。ただ少し問題が発生してね」


 ほんの僅か沈黙がその場に落ちる。

 王太子たるナタニエルを呼び戻すことの意味は幾つかある。そのうちの一つが起きたのだろうとはオクタヴィアンにもわかる。それを強固に引き止めることもできない。そしてマルジーネに誰かを向かわせなければいけないこともわかる。けれど人当たりがいいとはお世辞にも言えない自分で良いのか。迷うオクタヴィアンは頷くことができなかった。

 そんな逡巡に気づいたのか、随行する騎士の内の一人が前へ出る。王太子の護衛騎士の一人でもあるアレクシスだ。

 人好きのする爽やかなその顔を引き締め、口を開く。


「ナタニエル殿下。自分がオクタヴィアン様の代わりにマルジーネに向かいます。その、殿下の身をお守りする上でも我らよりもオクタヴィアン様の方が……」

「そうだね。それは確かにそうだ。けれどこの場でオクトとイヴァン以外に僕の名代として立てる者がいるかい? マルジーネに招いたのは極秘ながら()の賓客だ。そんな方に名代以外の使いは送れない、わかるだろう?」


 ナタニエルの言葉にアレクシスの顔が強張る。差し出口であることに気づいたのだろう。アレクシスは護衛騎士の中で一番身分の低い子爵家の三男。幾らナタニエルが主らしからぬ気遣いを見せてくれるとは言え、身分の差はあって然るべきもの。


 王太子のナタニエル。公爵家のイヴァン。侯爵家のオクタヴィアン。子爵家のアレクシス。四人の中で名代に相応しい身分の高さで言えば、イヴァンの次はオクタヴィアンしかいない。

 ナタニエルの護衛の中にはオクタヴィアンと同じ侯爵家の息子もいる。嫡男ではないが、物腰柔らかで人当たりもよく、護衛らしからぬ雰囲気の人物だ。そんな彼がどうしてこの場にいないのか。それはナタニエルが事前に決めたから。少しもそれを疑問に思わないまま、オクタヴィアンはアレクシスの前に出る。


「殿下。自分が向かいます」

「そう? 悪いね、オクト」


 微笑み頷いたナタニエルを見送ったオクタヴィアンは、その後すぐ単騎でマルジーネに向かった。

 馬車で向かうならば二日はかかるが、馬であれば早くその日中に着ける。オクタヴィアンは森が闇に沈む頃にはマルジーネに辿り着いた。

 茂る葉の隙間から覗くのは星の瞬く闇夜。満月前の月の光はまだ弱く、道無き道を進めば迷うだろう様相だった。

 そんな中をオクタヴィアンは迷うことなく進んだ。

 見えずともわかるその景色。マルジーネの森は何度となく訪れた場で、オクタヴィアンの心に幾つもの思い出が蘇る。胸が痛む。昼でないお陰で辺りが窺えないことがまだ救いか。


 あの小屋のある地をとうに過ぎ、もう離宮の姿が映る。闇夜に浮かぶ質実たる立ち姿はどこかオクタヴィアンの迷いを薄まらせてくれる。もう離宮と森とを繋ぐ門を潜る──そうほんの僅かオクタヴィアンの気が緩んだその時、門の内から人影が一つ現れた。それもごく小さな人影が。

 焦るように馬を止めたオクタヴィアンはその人影を見やった。


 淡い月の光に照らされ見えるのは、馬に跨ったままのオクタヴィアンを見上げる十二、三ほどの子供。オクタヴィアンはその姿を見て息を飲んだ。

 肩を越えるほどの長さの、極々淡い金の髪。緩やかな癖のあるそれを結うこともなく背に流し、不躾なまでの視線を寄越す淡い緑の瞳。そして纏うライラック色のワンピースに、オクタヴィアンは在りし日のソフィアのを思い出した。


「あなたがオクタヴィアン?」

「──そう、ですが……」

「そう。あなたがオクタヴィアン・マルケーゼ・ディレツィオーニ。ふうん……」


 細く高い声で名を呼ばれる。その訝しむ色を乗せた射るような視線。どれにも混乱は高まる。

 あまりにもその子供は、ソフィアにに過ぎている。

 その容姿も、声も、二度目にまみえたソフィアの姿によく似た子供。実際目の前に存在しているのだと理解していても、常に見る白昼夢が現実として現れた幻なのではないか。そう疑ってしまうほど、ソフィアに似ている。

 けれどソフィアと同じ色彩のその子供が寄越す視線は、彼女と似ても似つかない。いつだってソフィアは柔らかにこちらを見ていた。見てくれていた。だから彼女ではない。彼女の幻ではないのだ。詰めていた息をゆっくりと吐き出しながら、オクタヴィアンは馬を降りた。


 今マルジーネにいる、オクタヴィアンの知らない人物。それはナタニエルが招いた賓客である。つまりはオクタヴィアンの見たことのない子の子供がそれであるとすぐに理解できる。

 どれほど幼い子供であろうと、王太子であるナタニエルの賓客であるならば礼を尽くさねばならない。馬上から言葉を交わし続けるような無礼な真似はできなかった。心の底では、ソフィアのようにしか見えないこの子供の前から逃げ出したかったけれど。


「ナタニエル殿下の名代として参りました」


 膝を着き、首を垂れる。口数は多くないオクタヴィアンだが、こんな時に口にすべき口上であればスラスラと言える。淀むことなく紡いだ。

 ナタニエルが所用にて遅れること。

 その間自分が付き従うこと。

 どちらにもさしたる返答がないまま、妙な沈黙が流れる。

 整えられた地を見つめ、二呼吸分間を置いて立ち上がろうとした。離宮へと案内をしなければならない──オクタヴィアンのそんな心を読んだのか、細く高い声が届く。


「顔を上げたら?」


 子供らしからぬ平坦な声だ。自分を棚に上げながら、オクタヴィアンは言われるがままに顔を上げる。

 膝を着いたオクタヴィアンと丁度同じ高さにある、幼い顔。表情の薄いそれを目にして、またオクタヴィアンは息が止まる。ソフィアに似ている子供から向けられるその視線が、自分を罰するために現れてくれたソフィアそのもののような気がして。


『ねえ、ヴィー。少し休みましょう?』


 罰せられたいと望んでいるはずのオクタヴィアンの耳に、甘い声が届く。それは幼い頃、根を詰めて本を読んでいた自分にかかったソフィアの声。それが今また届いた気がして、オクタヴィアンの胸はいっそう苦しくなった。


「オクタヴィアン、私のことはリアンと呼んで」

「──リアン、様」

「様は要らない」

「しかし──」

「オクタヴィアンに敬われるような人物ではないし、呼ばれたところで嬉しくない。あなたが様をつけるのなら、私も様をつける」

「わかり、ました」

「それじゃあ、オクタヴィアン。食事の支度はできているから、中に入ろう」


 それだけを口にするとリアンは踵を返し、離宮へと向かう。一拍の間を置いてオクタヴィアンもその背に着いて歩き始める。歩くたびに揺れる髪と、小さな歩幅と、真っすぐに前だけを見るその姿。本当にソフィアに似ている。


 ソフィアがいなくなってもうすぐ十年経つ。鮮明に記憶しているオクタヴィアンの心の中以外に、彼女の面影は少しずつなくなってしまった。風に吹かれ形を変える砂像のように。

 唯一元の形のまま残ったのは、近づくこともできないあの小屋くらいだろうか。薄れていくソフィアの存在を未だオクタヴィアンだけは鮮明に覚えているけれど、それは罪故。そんな忘れられないソフィアの姿に似るリアンの背を見つめたまま、何かが変わるのだろう予感をオクタヴィアンは感じた。

 それが望む形である、罪の軛から解放される罰を受けるためのものであるのか。わからなかったけれど、オクタヴィアンはその時気づいた。自分が心の底で罪から解放されることを望んでいなかったのだ、ということに。


 オクタヴィアンは罪から解き放たれ、そしてソフィアを忘れたくなかった。自分が忘れてしまえばもう彼女はこの国にいなかったものとして扱われてしまうのではないか。それだけは嫌だ。あの嫋やかで穏やかで、オクタヴィアンを惹きつけてやまないソフィアという存在を消し去るくらいなら、死に際まで罪に苛まれても構わなかった。

 一生ソフィアに囚われていられるのならば、それはオクタヴィアンにとっては幸せ以外の何物でもないのだから。


 オクタヴィアンは自分がどれほど彼女を思っていたのか。そして今なお思っているのか。それを今知った。

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