ソフィアの思惑
いつか婚約者として彼の隣に立って、そして妻となって愛されるのだろう。そんな確信に似た思いを抱いていられたのは八つになるまで。
ソフィアは八つになったその時に突然できた三つの妹にその夢を奪われたことを知った。
ソフィアは、セレッソ伯爵家の長女だ。けれどその高貴なる血は半分だけしか継いでいない。ソフィアはセレッソ伯爵が正妻以外との間に設けた子供だった。
本当の母は、領内から伯爵家に奉公に来ていた豪商の娘。セレッソ伯爵夫人によく似た緑の瞳で、金の髪をしたそれなりに整った顔の少女だった。その家系の者を三代遡っても同じ色合いの者ばかり。だからなのだろう。セレッソ伯爵が、子を産めぬ正妻の借り腹として彼女を選んだのは。
セレッソ伯爵も、金の髪を持っている。だからソフィアが伯爵夫妻のように金の髪で、伯爵夫人のような緑の瞳を持って生まれたのは当然のことだった。
ソフィアの名は、伯爵令嬢とすれば些か質素だが、それも仕方ない。伯爵も、伯爵夫人もソフィアに対してさしたる愛情がなかった。だから生みの親たる娘がつけた仮の名をもじったものが彼女の名になった。
淑女たる教育や、貴族たる心構えや贅沢な衣服に食事。市井の者に与えられる以上のものを与えられてきただろう自覚はあった。けれど、当たり前に与えられるべき愛情は欠片も貰えなかった。
そんなソフィアが愛という情を知れたのは、全て三つの時に出会えたオクタヴィアンのお陰だ。
ソフィアはあの時怯えていた。
もしも検査で貴族らしからぬ低い魔力しか持っていなかったならどうなるのか。日頃の伯爵や夫人を見ていれば答えはすぐにわかる。
自分はいなかったものとして、他所にやられることもなく処分されるだろうことが。
だからなんとしても魔力を発現したかった。
その願いが届いたのだろうか。ソフィアは希少な光属性を得た。そしてセレッソ伯爵令嬢の地位も得た。そして、初恋の相手も得た。
幸いなことに、恋をした相手であるオクタヴィアンは隣り合う領地の、それも爵位が上の相手。どちらも兄弟はなかったが、上手く婚姻を結べ、子を成せればその子に伯爵位を継がせることもできるはず。そんな考えを四つの頃には抱いていた。だからなのだろうか。ソフィアに罰が下ったのは。
ソフィアが八つの時、王太子と同年の少年少女の中で一人だけ予想を下回る魔力しか発現できない少女が現れた。
とびきりいい家系。それも王家に継ぐ家系の子ながらの低魔力。内々に処分できない身分のその子は、どこかの貴族の子となることが決定した。けれどそれがセレッソ伯爵家になるとは思わなかった。
半分だけ血を継いだ娘と、血を継いではいないが高貴なる家系の娘。どちらを家の跡取りとするかは一目瞭然だろう。その頃結ばれるはずだったソフィアとオクタヴィアンの婚約の話は白紙に戻された。
伯爵は、ソフィアではなく三つのその少女をオクタヴィアンと娶わせたいと願ったが、侯爵家はそれを保留した。それが唯一の救いか。
とにかくソフィアが望んでいた、愛しい相手との婚姻も、初恋が実るという儚い願いも、そして自分を愛さない伯爵夫妻からの逃亡も、全てが無になった。
それからソフィアはずっと、己の魔力を上げることに邁進した。
ある時王城で見た本にあった、光属性のとある魔導を使うため。そしていつか願いを叶えて出奔したその時に市井でも生きて行くために魔力量は必要だった。
婚約を結べないまでも、幼馴染以上の感情を寄越してくれるオクタヴィアンとの甘い時を過ごしつつ、自分を愛おしんでくれるイヴァンや王太子ナタニエルとの交流を重ねる。それはある意味で、伯爵家を継ぐに相応しい行動で、伯爵夫妻はそれに異を唱えることはしなかった。
身分的にソフィアがイヴァンやナタニエルに嫁ぐことはない。
二人の妻は今はその姿がなくとももう確定していて、愛妾も側妃も伯爵家ではなくもっと位の高い大公家か、イヴァンのような公爵家から出されることが決まっていた。だから近しい友人としての今の地位を維持することが求めれていたのだ。
そのお陰だろうか。イヴァンの教えを受けられたソフィアは、伯爵夫妻が気づかぬうちに魔力を高め、伯爵位を超えるほどの力を手に入れた。そう、望む魔導を、望む形で使えるようになったのだ。
光属性は、基本的に治癒を行える。
稀に植物や動物の成長を促すようなこともできるが、大抵の者は治癒だけに力を注ぐ。軽いものであればそう魔力が必要ないことがその理由だろう。
けれどソフィアは治癒や成長を促すために使う以上に魔力をつけた。
ただ一つ、禁書のような光属性の本に記されていた、『魅了』の魔導を使うために。
それはただ、相手の心に根付く感情を増幅させるもので、魔力量が低ければそう問題はない。けれど一度に注げる魔力量が多ければ多いほど、相手のその思いを何倍にも膨れ上がらせることができる。それを知って、計画したのだ。
決行の日は、成人を迎えるその日。
それも自分のではなくオクタヴィアンの。それだけを胸に、ソフィアはただ日々を過ごした。
オクタヴィアンの自分を見る目がどれほど優しく、そして甘やかなのか。自惚れでなくソフィアは知っている。どれほど特別と思われているのかも。だから伯爵からの申し出を、侯爵家が受けないのだということも。
ディレツィオーニ侯爵夫妻は、オクタヴィアンがソフィアに特別な感情を抱いていることを知って、そしてソフィアが彼を愛していることを知って、二人の婚姻を本当の意味で望んでくれていた。無論オクタヴィアンが自分の感情にまだ気づいていないことを二人も、そしてソフィアも気づいてはいたが。
それでもそれがいつか変わるのだと待っていたのに、彼が気づくよりも先に、ソフィアの立ち位置が変わってしまった。
妹となった少女は、とても綺麗な少女だ。
鮮やかな金の髪に、緑に近い淡い青の瞳。抜けるように白い肌によく似合う赤い唇。繊細なその容姿で微笑みかけられれば、大抵の異性は彼女の望むままに行動するのではないかと思うほどに麗しかった。
ソフィアはそんな妹が嫌いではなかったけれど、どうしても好きになれなかった。
彼女はいつだって、オクタヴィアンを自分のそばから引き離そうとしたから。だからいつしかソフィアは伯爵家の屋敷でオクタヴィアンに会うことをしなくなった。
二人で会うのは秘密の場所として、ディレツィオーニ侯爵がオクタヴィアンの九つの祝いに建ててくれた小さな小屋でだけ。
まるでそこが二人の愛の巣だなんてことを思ったりもした。思うたび、乾いた笑いが浮かんだけれど甲斐甲斐しくハーブ水を用意したり、少しでも居心地良くなるように掃除をしたり、凡そ伯爵令嬢らしからぬことをした。
それが胸を甘くときめかせた。オクタヴィアンの妻なのだ、と錯覚できたから、なのだろうか。
オクタヴィアンとの出会いから十二年。
思うように『魅了』の魔導を使いこなせるようになり、そして成人を迎えた春。翌月の満月の日がオクタヴィアンの誕生した日で、その日に全てを決めるためソフィアはたくさんの準備をした。
一つはオクタヴィアンに贈る魔石の準備。十五の誕生を祝うための魔石は、婚姻するために必要な特別な物を用意した。
貴族の子息は法的に成人の十五になれば婚姻ができる。そして魔力の交換が許されるようになり、子を成せるようになる。
だから一方的だとわかっていても、ソフィアは婚姻の証となる魔石を用意した。
本当なら、誕生石や、何某かの宝石を用意して成人を祝うべきだとわかっていた。けれどどうしてもソフィアはオクタヴィアンと婚姻を結びたかった。だから縋った。古式ゆかしい法に。
条件は貴族で十五を越えた者であること。互いに一定以上の愛情を持ち、魔石の交換を経て、魔力の交換を行い、愛を交わすその行為をすること。そしてその時に女が望めば子を孕める。淑女教育の一環で学んだそれを逆手に取ることにしたのだ。
きっと自分は神に罰せられるだろう。それをわかっていてもソフィアにはそれしか選べない。もう後はなかった。
愛しい相手が手に入らないのならば、その血を継ぐ者が欲しいと願ってなにが悪いのか。そう開き直れたらよかったのだろうか。けれどそうできるはずもなく、若草月が近づく毎に、夜も眠れないほど悩んだ。
本当にこれでいいのか。
こんなことをしてオクタヴィアンに嫌われないか。
たくさん悩んだけれど、それでもソフィアはそれを決行した。焦るあまり小川に落ちてしまったのはきっと成功だったのだろう。
強く、今までとは違う感覚でオクタヴィアンに抱きしめられた。熱く強いその腕と、胸に触れれられることが堪らなく胸を熱くした。けれどそれで終いにはできない。そっと彼の服の中へと魔石を隠し、一つ笑って告げた。「ハーブ水もできたのよ」と。
ほんの少し興奮を煽るハーブと魔力を流し易くするハーブ。効能を高めるため、煎じたそれと甘い味のするハーブを誤魔化しに混ぜ込んだ特製のハーブ水。爽やかですっきりとした味わいのものが好きなオクタヴィアンの口に合うように試行錯誤したそれを、彼は躊躇わず飲んだ。
どちらも即効性の高いハーブだ。すぐに彼の頬は、これまで見たことがないほど赤く染まり息も荒く感じた。魔力が体外に出ているのも見てとれた。うまくいく。
そう確信を得て、ソフィアはゆっくりと見せつけるようにハーブ水を口にして、そうして心の中で『魅了』魔導呪を唱えた。何度も、何度も。
無詠唱でしかできないこの魔道。それはとてもよく効いた。
この日ソフィアはオクタヴィアンの子種を溢れるほど与えられ、その魔力を受け取り、与えた。自分の胎に子が芽生えたことを理解し、そしてそれを誰にも告げぬまま国を出ることにした。
どこでもいい。いつか妹と婚姻を結ぶだろうオクタヴィアンを見なくて済むのならば、本当にどこでもよかった。けれど向かったのは南。
ソフィアにとって馴染みのあった、アウローラの隣国であるリゼッティーニ。マルジーネの森を抜けさえすれば着けるあの国に逃げ込めたならば、きっと自分はこの胎の子と共に、二番目であるけれど幸せを得ることができるはず──そう願って歩き出した。
申し訳程度に身なりを整え、魔力を回復しつつ歩いて向かうソフィアの元にイヴァンが現れたのがどうしてなのか。ソフィアも知らない。
ただそれはとても都合が良かった。
いつの間にか小屋の床に落ちていた魔石を、オクタヴィアンに届けてもらうに相応しいのは彼しかいない。
ソフィアは多くを告げぬまま、イヴァンにそれだけを頼み、アウローラから消えた。




