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魔剣  作者: 戸佐秋彦
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第9話 見えない刃

深夜、ヴァルフォード王の私室。その静寂を切り裂いたのは、鋭い鉄の擦れる音だった。 暗闇から現れたのは、漆黒の死装束に身を包んだ三人の刺客。標的は、寝台で浅い息を繰り返す老王だった。

だが、刃が王の肌に触れるより先に、白銀の光が闇を薙いだ。 思考を追い越す速度で引き抜かれたのは、プリンスローズだった。

(……あ)

確かな肉の感触。 信じられないほどに柔らかく、そして、あまりにも容易く断ち切れる、人間という生命の重み。 その瞬間、剣はこれまで隠していた本性を剥き出しにするように肉を噛み、シアの意思を完全に無視して刃を加速させた。返り血が、シアの白い頬を濡らす。

二人が崩れ落ち、最後の一人が逃げようとした瞬間には、彼女の身体はすでに剣の導く軌道を描き、その心臓を貫いていた。

血をまとったプリンスローズは、月明かりを受けて静かに光っていた。先ほどまでの狂気が嘘だったかのように。

「……シア」

寝台の上で身を起こしたヴァルフォード王の声に、シアは我に返り、プリンスローズを鞘に収めて深く跪いた。

「不手際を。陛下、お怪我は」

「余は大丈夫だ」

王の視線が、床に転がる刺客たちの顔へ向けられた。その瞳の奥に、誰にも見せぬ深い暗雲が走る。

「……愚かな」

シアには聞こえないほどの、ごくかすかな呟き。王はそれ以上何も言わず、シアへと優しく視線を戻した。

「……すまない、シア。そなたに、このような真似を」

王の眼差しには、胸を締め付けるような深い悲哀が宿っていた。シアはただ無言で頭を垂れていた。


任務を終え、王宮の長い回廊を歩くシアの足取りは重かった。 手袋を外しても、どれほど拭っても、掌にこびりついた血の匂いが消えないような錯覚に襲われる。毅然とした親衛隊長として振る舞わなければならない。そう思えば思うほど、初めて味わう「生身の人間を屠ったおぞましさ」が彼女を苛んだ。

「……シア?」

背後からの声に振り返ると、そこには夜着のままのナスルーラ王女が立っていた。王女の汚れなき瞳を見た瞬間、シアの張り詰めていた何かが、音を立てて弾け飛んだ。

「……ナスルーラ、様……」

シアの目から、大粒の涙が溢れ落ちた。ただ、人を殺めてしまったという恐怖と重圧が、少女の肩に重くのしかかっていた。

ナスルーラは何も言わず、ただ静かにシアを抱きしめた。 溢れ出る涙を受け止めながら、柔らかな手で、シアの髪をそっと撫で続けた。


夜明け前。王の私室。 窓がわずかに開かれ、初夏の湿った風が薄いカーテンを静かに揺らしていた。遠く眠る王都からは、朝を告げる鳥の声がかすかに響いている。

ヴァルフォード王は痛む身体を押して机に向かい、一枚の羊皮紙を広げた。 震える手で羽ペンを握り、ゆっくりと文字を走らせる。

『我が友、エドワードへ。』

ペン先が止まる。 王はふと顔を上げ、窓の外を見つめた。うっすらと朝焼けに染まり始める街並み。煙突から立ち上る生活の煙。

(……すまぬ)

誰にともなく小さく溢し、王は再びペンを動かした。

『余の命は長くない。最後に一つだけ、頼みがある――』

静かな室内に、紙の擦れる音だけが響いていた。


同じ初夏の風が吹く、ドナテロ帝国の帝都。 開け放たれた窓からは青空が広がり、庭園の木々が青々と揺れていた。

豪華な執務室で、皇帝エドワードは届けられた一通の手紙をじっと見つめていた。 長い、長い沈黙。

やがて皇帝は小さく、吐息のような笑いを漏らした。だがその表情には欠片の可笑しさもなく、ただ友を失う覚悟を決めた人間の凄絶な色が宿っていた。

「……遅かったな、友よ」

手紙を静かに机の上へ置くと、皇帝は控えていた側近へ視線を向けた。

「エルを呼べ」


静かな足音が執務室に響く。 軍帽を目深にかぶり、漆黒の軍服に身を包んだ男――皇帝直属兵団長エル・シャーリーが姿を現した。寸分の迷いもない足取りで歩み寄ると、皇帝の前で静かに膝をついた。

「陛下」

皇帝は机の上の手紙を指し示した。

「友との約束だ」

エルの表情は変わらない。皇帝は深く落ち着いた声で、告げた。

「一つ。王国内の反乱貴族のみを討て」

「一つ。王女ナスルーラの身の安全は完全に保証せよ」

一拍の間。皇帝の瞳がわずかに細められる。

「……最後だ。あの少女騎士――シアだけは、絶対に殺すな」

エルは一瞬だけ顔を上げ、深い漆黒の瞳で皇帝を見つめた。そして、何一つ感情を挟むことなく、短く応えた。

「承知しました」


初夏の陽光が、街道を埋め尽くす甲冑の群れを鋭く照らし出していた。 上がる土煙。はためく帝国の軍旗。軍馬の嘶きと、大地を揺らす歩兵の足音が地鳴りのように響き渡る。

その数、二十万。

最前線で馬を進めるエルは、手元の地図から静かに目を上げた。一切の躊躇もない声で、命じる。

「進め」

巨大な軍勢が、静かに、そして確実に動き出した。立ち上る土煙が、青空を覆うように高く昇っていく。

王都の城壁の上。 まだ何も知らないシアが、一人たたずんでいた。 初夏の風が、彼女の白銀の髪を優しく揺らす。その風はまだ、戦火の匂いを運んではいない。

シアは、腰の剣帯へそっと手を添えた。

守る。

そう誓ったばかりの少女へ、二十万の軍勢が、静かに近づいていた。

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