第54話 選ぶ者たち
議員席からざわめきが広がる。
「第一王女……」
「生きていたのか……」
「本物なのか?」
ナスルーラは言葉を重ねない。抱えていた一振りの長剣を、両手で高く掲げる。
飾り気のない、重厚な鞘に収められた剣。
「これは、父が最期まで手放さなかった剣です」
ナスルーラは高壇の皇帝を見上げる。
「皇帝陛下、どうかご覧ください」
台座の上で、皇帝エドワードが立ち上がる。背筋を伸ばし、一歩、また一歩と石段を降りる。
議場は静まり返る。
皇帝はナスルーラの前に立ち、捧げられた長剣を受け取った。古びた革の柄に手を添える。
その目が、剣からナスルーラの顔へ移った。かつての友とよく似た眼差しだった。
皇帝はゆっくりと目を閉じる。
数秒。
目を開いた皇帝の唇に、静かな笑みが浮かんだ。
「……懐かしい」
低く、響く声。
「間違いない。我が友の剣だ」
そして前を向き、重厚な声で宣言した。
「そして彼女が、我が友の娘、ヴァルフォード王国第一王女ナスルーラ本人であることを、私が証言する」
議場がどよめく。議員たちの視線が変わる。
壇上のルキウスは、静かに皇帝の背中を見つめている。何も言わない。
皇帝が静かに剣を返した。
その静寂を破るように、一人の議員が立ち上がる。
「正式な議案ではありません!」
別の議員も立ち上がる。
「前例もありません! このような審議を認めれば、議会の権威が――」
「承知している」
ルキウスの声が下りる。議員たちの声が止まった。
「正式な議案ではない。手続きにも反している」
ルキウスは議場の中央に立つナスルーラを見た。ここで衛兵に命じ、彼女を拘束することもできる。
だが、それを命じた瞬間、この場所は議会ではなくなる。
「だが、王国の正統王女が、自ら帝国議会へ出向き、皇帝陛下の前で発言を求めている」
ルキウスの視線が議場を巡る。
「これを聞かずに退けることこそ、議会の権威を損なう」
食い下がろうとする議員を、片手で制した。
「議長裁量により、発言を認める」
議場のざわめきが、静かに収まっていった。
「話を聞く。その上で、議会が判断する」
ナスルーラはルキウスへ深く頭を下げる。向き直り、議員たちを見渡す。
「まず、帝国へ感謝を申し上げます」
議員たちの間に小さな戸惑いが走る。
「戦後の荒廃の中、帝国が持ち込んだ秩序、速やかな復興、そして我が民の命を守ってくださったこと。そのすべてに感謝いたします」
議員たちは静かに耳を傾ける。
「ヴァルフォードは敗れました。その事実を、私は否定いたしません」
「ですが、民まで滅びたわけではありません」
ナスルーラは胸に手を当てた。
「国とは、王ではありません。城でもありません」
一歩、前へ。
「民です」
静まり返る議場。
「どうか、ヴァルフォードを、ヴァルフォードとして生かしてください」
「私は、敗戦の事実から目を背けるつもりはありません。帝国から離反し、再び争いを始めるつもりもありません」
その声には、揺るぎない決意があった。
「ただ、我が民が、自らの国を自らの手で支えることをお認めいただきたいのです。そのために必要な責任は、私と我が王家がすべて負います」
ナスルーラの声が消える。議場を、長い沈黙が包んだ。
その沈黙を破ったのは、ルキウスだった。
「質問がある」
「はい」
ナスルーラは視線を真っ向から受ける。
「帝国からの独立を求めるのか」
「いいえ」
「では、何を求める」
「内政と治安を、ヴァルフォードの民へ返していただくことを」
「帝国への義務は」
「果たします。定められた納税、街道の維持、国境の防衛――国としての義務はすべて履行いたします」
「駐留軍の扱いは」
「ただちに撤退を求めるつもりはありません。王国兵を再編し、治安が安定するまで、帝国駐留軍との協調を望みます」
議員席に、わずかなざわめきが広がる。
「反乱軍は」
「武器を置かせます」
「従わなければ」
「私が鎮めます」
「治安維持の保証は」
「私です」
「失敗したら」
ナスルーラは一度も目を逸らさなかった。
「王家の責任です。帝国との約束は、我が王家が命を懸けて守ります」
ルキウスはさらに問う。
「自治を認めれば、前例となる」
「ならば、前例にしてください」
静まり返る議場。
「帝国が武力ではなく信義によって国を治めた、最初の前例に」
言葉が途切れ、長い沈黙が落ちた。
議員たちは動かない。反対の理由が消えたわけではない。前例への懸念も、治安への不安も残っている。
それでも、目の前の王女を、何も聞かなかったことにして追い返せる者はいなかった。
ルキウスは議場を見渡した。一人一人の顔へ、静かに目を向ける。
ゆっくりと目を閉じる。
議場を包む静寂がどこまでも深く広がる。
やがて目を開いた。
「本件について、ヴァルフォード王国に一定の自治を認め、詳細な条件を後日審議する」
ルキウスは議場を見渡した。
「異論のある者は」
数人の手が上がった。
続いて、慎重に、また一人。
だが、それ以上は続かなかった。
ルキウスはその数を静かに確認する。
「……賛成多数」
木槌を手に取る。
「本件を可決する」
カン。
木槌の音だけが、議場に響いた。
ナスルーラは皇帝へ向けて深々と礼をする。次いで、議員たちへ礼を捧げる。
最後に、壇上のルキウスへ向き直る。
ナスルーラは静かに、深く頭を下げた。
沈黙。
頭を上げたナスルーラは、まっすぐに高壇を見据える。
「議長閣下」
「本日、この場が最後まで『議会』であったことに、心より敬意を表します」
ルキウスは沈黙する。ほんのわずかに目を伏せる。何も答えない。
ナスルーラは再び静かに一礼し、向き直る。エル、シアとともに歩み出す。
三人の姿が、重厚な扉の向こうへ消えた。
議場には、静寂だけが残った。
ルキウスはその中で、ただ一人、議長席に座り続けていた。




