第5話 運命の交叉点
地響きのような歓声が、王都の円形闘技場を揺るがしていた。
年に一度の武闘大会。
色鮮やかな万国旗が風に踊り、熱狂する民衆の熱気がすり鉢状の観客席から砂舞台へと降り注いでいる。
その最上段、賓客席の中央には、隣国ドナテロ帝国からの使節として招かれた青年が座っていた。
エル・シャーリー。
帝国軍史上最年少の兵団長にして、「帝国の剣」と呼ばれる男である。だが、その目に浮かぶのは興味ではなく、退屈だけだった。
漆黒の軍服に身を包み、深く背もたれに寄りかかったエルの視線は、眼下の熱狂を完全に拒絶している。
彼の祖国である帝国は、数値と効率で支配する「理」の国だ。
対して、このヴァルフォードは「騎士道」や「絆」などという、戦場では一銭の価値もない感情を信仰する前時代的な国家に過ぎない。
「くだらない」
エルは小さく吐き捨て、手元の資料に目を落とした。
今回の任務は、この感情国家の次代を担う兵力の品定め。
だが、これまでに舞台に上がった見習い騎士たちの動きは、どれも型に囚われた無駄の多いものばかり。
命のやり取りを「美徳」で飾ろうとするその欺瞞が、エルの合理的思考にはひどく不快だった。
エル・シャーリーは、この大会に興味などなかった。
ふと、隣席に座る老王ヴァルフォードの視線が、砂舞台の一角へ注がれていることに気づく。その老いた、しかし鋭い眼光の先を追ったエルの眉が、微かに動いた。
決勝の舞台に立っていたのは、あまりにも不釣り合いな二人の見習い騎士だった。
一人はボルド。
すでに大人の戦士と遜色ない体躯を持ち、ヴァルフォードの「実直なる武」をそのまま体現したような巨漢。
正式な騎士ですら一目置くその男の前に、あまりに身体に合っていない鉄兜をガタつかせ、細い腕で必死に木剣を構える少女――シアが立っていた。
「……何だ、あれは」
エルの口から、呆れを通り越した冷ややかな声が漏れる。
兵力としての価値は、文字通り「ゼロ」だ。
筋力、体格、間合い。
どれをとってもボルドの圧倒的優位は動かない。
なぜあのような子供が決勝まで残っているのか、エルには理解すらできなかった。
だが、会場の空気は違いを見せていた。
民衆は、泥まみれになりながらも決して剣を離さず、ここまで這い上がってきた少女に、かつてないほどの熱狂的な声援を送っている。
隣の老王の目にも、何かを確信したような深い光が宿っていた。
――カーン、と。試合開始の鐘が、高く響き渡った。
「シア! これが最後だ、本気で行くぞ!」
ボルドの地鳴りのような咆哮と共に、圧倒的な質量の肉体が爆発的な踏み込みを見せた。
彼に悪意はない。
ここまで泥を舐めながら挑み続けてきた小さな同期に対し、一人の武人として、最大級の敬意を持って叩き潰す。
その意思が、大上段へと振り上げられた木剣に強烈な風圧を纏わせる。
逃げ場はない。
シアの細い腕では、受け流すことすら許されない必死の一撃。
(――危ないっ!)
貴賓席の片隅で、ナスルーラが白い指を握りしめ、悲鳴のような声をあげた。
ボルドの木剣が、シアの脳頂めがけて、容赦なく振り下ろされる――。
その、刹那だった。
カチ、と。
エルは明確な違和感を覚えた。
エルの計算の中では、次の瞬間にボルドの木剣がシアの兜を叩き割り、砂地に叩き伏せるという「確実な未来」へと直線的につながっていた。
その因果の線が、前触れもなく、不自然に切断された。
次の瞬間に訪れるはずだった未来が、突然、見失われたのだ。
「……っ!?」
エルは思わず立ち上がり、手すりに両手を叩きつけて身を乗り出していた。
彼の驚愕の視線の先でーー
ボルドの全力の一撃は、完全に無人の空間を切り裂いた。
轟音と共に砂が舞い上がる。
だが、そこにいるはずの少女の姿は、影すらも残っていない。
気づけば、シアは「そこ」にいた。
ボルドの身体が前傾し、完全に無防備になったその側腹部。
その、最短かつ最悪の死角へと、彼女の身体は最初からそこに配置されていたかのように、滑り込んでいた。
回避の動作は、ない。
足の踏み込みの軌跡も、肉体の予備動作すらも、そこには存在しなかった。
肉体が「結果」の場所に直接接続されたかのような、毛を逆立てるほどの異常。
――コン。
静かな、乾いた音が響いた。
シアの放った木剣が、ボルドの胴体を正確に、静かに捉えていた。
「……え?」
ボルドの口から、間の抜けた声が漏れる。
彼は自分がなぜ外したのか、なぜ少女がそこにいるのか、何一つ理解できていない様子で、そのまま砂地へと膝を突いた。
勝負は決した。
一瞬の静寂の後、闘技場は割れんばかりの歓声に包まれた。
民衆は奇跡のような大逆転に酔いしれ、老王ヴァルフォードは満足げに深く頷いている。
だが、エルだけは、全身に総毛立つような戦慄を感じていた。冷や汗が額を伝い、軍服の袖の中で指先が不自然に震える。
「今のは……何だ?」
理が通じない。
あれは技術ではない。
天性の才能でも、奇跡の身のこなしでもない。
そんな生ぬるい言葉では到底説明のつかない、世界そのものを欺くような「冷徹な仕組み」。
エルは、勝利の歓声の中で、ただ一人怯えるように自らの両手を見つめている少女――シアを、射抜くような視線で見つめ続けた。
喉元に、最初から剣が存在していたかのような、圧倒的な理不尽。
その怪物の産声を、エル・シャーリーは、確かにその眼で観測していた。




