第4話 優しい剣
「おい、チビ! また足がもつれてるぞ!」
容赦なく振り下ろされた木剣が、シアの細い側腹部を捉えた。防具の薄い革越しに鈍い衝撃が響き、シアは固い砂地へと転がった。
頭が重い。
支給された大人用の鉄兜はあまりに大きく、いくら革紐を締め上げても、動くたびに視界を塞ぐようにガタついた。
胸当ての革も歩くたびに擦れ、木剣を一本振るだけで身体ごと振り回されそうになる。
「おいおい、また倒れたよ」
「あんな小娘、大人しく炊き出しの芋でも剥かせておけばいいってな」
周囲の見習いたちが肩をすくめて苦笑する。悪意があるわけではない。ただ、倍近い体躯を持つ彼らにとって、体格も筋力も劣る少女の挑戦は、無謀な冗談にしか見えないのだ。
「おい、シア。もう止めとけ」
木剣を肩に担いだボルドが、呆れたように告げた。
「向いてる奴ってのはな、最初から身体が動くんだよ。剣ってのは、もっと自然に振れるもんだ。諦めて下がれ」
シアは答えない。
兜の隙間から覗く唇からは、じわりと赤い血が滲んでいた。両腕は疲労でミシミシと震えている。
(もう、守られるだけは、いやだ)
あの日。
激しい嵐の夜。
自分の無力さのせいで全てを失ったあの光景が、胸の奥で鋭利な楔となって拍動している。
「……もう、一本」
シアは砂を吐き出し、静かに立ち上がった。
ガタつく兜を小さく振り、前髪の隙間から、真っ直ぐにボルドを見据える。
ボルドは小さく溜息をつき、再び剣を構えた。
その日の深夜、詰所の武器庫は死んだように静まり返っていた。誰もいない闇の中、一筋の月光が床を照らしている。
「……はぁ、……はぁ」
シアは、一人で素振りを繰り返していた。
包帯を巻き直した手のひらからは、じわりと新しい血が滲み、木剣の柄を濡らしている。
一本。
また、一本。
ただ真っ直ぐに剣を振り下ろす。
昼間の屈辱を、自身の無力を、振り払うように。
「――暗いところで、そんなにボロボロになって、何をしているの?」
不意に背後から響いた鈴を転がすような声に、シアはびくりと肩を跳ねさせ、危うく木剣を取り落としそうになった。
振り返ると、扉の隙間から、夜着の上に薄い外套を羽織った少女が覗き込んでいた。
月光に照らされたその衣服には、一般の兵卒には許されない、美しい刺繍が施されている。
「あ……貴女様は……ナスルーラ王女殿下……」
「静かに。こっそり城を抜け出してきたの。退屈だったから」
ナスルーラ王女はいたずらっぽく微笑むと、怯えるシアのことなど気にも留めない様子で、静かに武器庫の中へと歩を進めた。
そして、シアの血が滲んだ包帯と、激しく震える細い腕をじっと見つめる。
「お昼の訓練も、上から見ていたわ。みんなに何度も叩きつけられて、あんなに笑われていたのに……どうして、そこまで自分を追い詰めるの? 強くなって、武勲を立てたいの?」
真っ直ぐな、けれど棘のない純粋な問いだった。
シアは手元の木剣を強く胸に抱きしめ、床の月光を見つめながら、ぽつりと声を漏らした。
「……怖いからです」
「怖い?」
「はい。私が弱いままだと、私の目の前で、大事な人がまた、あっけなく消えてしまう。それが、たまらなく恐ろしいんです」
ナスルーラは息を呑み、何も言えずにシアの震える背中を見つめた。
王女は小さく一歩踏み出すと、シアのその小さな、傷だらけの手を、自らの温かい両手で優しく包み込んだ。
「みんなは、シアには才能がないって言うわ。でもね、私はそうは思わない。シアの剣は、とっても優しいもの」
「え……?」
「誰かを傷つけるためじゃなくて、誰かを守るために振っているのでしょう? 私は、そんなシアの剣が、世界で一番格好いいと思うわ」
その言葉が、シアの胸の奥にじわりと灯火を点していく。
少女にとって、ナスルーラは、この歪な世界で初めて手に入れた「救い」だった。
王女は静かに視線を動かし、武器庫の奥、棚の隅に安置されている一本の古い鉄剣を見つめた。シアが肌身離さず持ち歩いている、錆びついたなまくら。
「……触っても、いい?」
シアは戸惑いながら頷く。 王女は柄元に刻まれた、錆に埋もれかけた文字を指先でなぞる。
「……これ、古い文字ね。」
シアは首を傾げる。
「読めるんですか?」
「少しだけ。王宮で習ったの。」
王女は目を細める。
「ええと……『プリンスローズ』……かしら。」
「プリンス……ローズ?」
「名前かもしれないわ。でも、聞いたことはない。」
王女は小さく笑う。
「ずいぶん優雅な名前ね。」
その瞬間。
ドクン。
シアの胸の奥が、冷たく跳ねた。
触れたのは王女のはずなのに、なぜかシア自身の心臓が、そのなまくらの剣の奥にある何かと、一瞬だけ完璧に同期したかのような、奇妙な錯覚。
「……あれ? 今、なんだか、この剣の周りだけ……変に静かになったような気がしたわ」
王女は首を傾げたが、シアは冷や汗が背中を伝うのを止められなかった。なまくらの剣は、暗闇の中でただ冷たく沈んでいる。
なぜか、“何か”がこちらを見ているように感じた。
けれど、彼女にはそれが何を意味するのかまでは到底分からなかった。
ただ、言い知れぬ不気味さに身を震わせ、自分の細い肩を抱きしめることしかできなかった。




