第20話:思想の殉教者
反乱軍の首領はゆっくりと大剣を握り直すと、血走った瞳でエルを睨み返した。
「……それでもだ」
ネアルコは一歩も退かなかった。
「膝をつき、言葉を奪われ、家畜のように生かされるくらいなら――」
「俺は誇りを持って死ぬ。」
「俺たちの魂まで、お前たちの計算式に入れられると思うな!!」
ネアルコが再び地を蹴り、狂熱の籠もった大剣を振り上げる。 しかし、エルは眉ひとつ動かさなかった。
エルはネアルコ排除の意思を固めた。 怒りでも憎しみでもない。 路上の石をどかす。 ただ、それだけの処理だった。
エルの右腕が作業として微動し、長剣ハイペリオンが絶対的な死の速度でネアルコの首筋へと吸い込まれていく――。
石畳の上に倒れ伏すシアの視界が、赤く染まっていく。
命を守りたかった。 それだけは、間違っていないはずだった。
なのに。 民は命より尊厳を叫ぶ。 エルは命だけを救おうとする。
(私は……何を守ればいい)
混乱と途絶する思考の中、手の中の魔剣プリンスローズの輝きが酷く濁り、その共振が弱々しく衰えていく。最適解を見失った主に応えることができず、魔剣はただの重い鉄の塊へと成り下がっていた。
ネアルコが死へと突き進む。 エルがそれを理で処理しようとする。
民衆は死を望み、帝国は心を殺して生かす。
(――私は)
(そんなもの)
(絶対に認めない!!)
「やめろォォォォォッ!!!!」
悲鳴のような、魂の叫びが城門前に響き渡った。
空気が、ぴたりと止まった。 エルの刃が、ネアルコの首すじ、皮一枚のところで完全に静止していた。
シアはボロボロの身体を引きずり、死の静寂を破って立ち上がった。その手には、重く冷たくなったプリンスローズが握られている。
エルが冷ややかな視線をシアへ向けた。
「情緒に現実は止められん」
「それでも!!」
シアは血の滲む唇を噛み締め、エルの氷の瞳を真っ向から睨み返した。
「命を守るためなら……!」
「人の心まで踏み潰していいわけないだろ!!」
それは王の遺言でも、長官の責務でもない。 シア・ロードン自身の叫びだった。
エルは静かに目を細めた。 その叫びだけは、彼の計算になかった。 初めて、その演算が止まった。
誰も、動かない。 数千の民衆すらも、その一人の少女の叫びに、息を呑んで立ち尽くしている。
最初に動いたのは、エルだった。
彼はネアルコの首筋を捉えていたハイペリオンを、静かに鞘へと収めた。演説もしない。勝利宣言もしない。地べたのシアに言葉をかけることすらなく、ただ感情の消えた声で背後の軍勢に告げた。
「……撤収しろ」
今ここで流血を拡大する合理的な価値は消滅した。帝国兵たちは規律に従い、静かに反転して王宮へと退いていく。
一方のネアルコも、大剣を握ったまま動かなかった。
自分たちを裏切ったはずの少女が、自分たちの「心」のために叫んだのだ。勢いだけで突撃する大義を叩き折られた男は、ただ低く言い捨てた。
「……退け。」
双方とも、勝ち切れないままの解散。
熱狂が去り、ただ冷たい朝霧だけが満ちていく城門前に、シアは一人、ぽつんと取り残された。
張り詰めていた糸が切れ、視界が急速に狭まっていく。
シアは泥の浮いた石畳へ崩れ落ちる。
そこで、意識は途切れた。




