第12話 落城
地鳴りのような咆哮が、王都の空を切り裂いた。
「ヴァルフォード王、崩御ォッ! 我が帝国の勝利である!」
幾重にも重なる帝国兵の勝鬨が、風に乗って響き渡る。 防壁の上、返り血にまみれて剣を振るっていたシアは、その言葉を聞いた瞬間、息をすることさえ忘れて立ち尽くした。
(……王が? 嘘だ、そんなはずはない。私はここで、こんなに敵を倒しているのに)
視線の先で、王都の巨大な城門が破城槌によって打ち砕かれ、凄まじい石塵とともに崩れ落ちていく。 長年、王国の誇りとして防壁に翻っていた獅子旗が静かに斜めに傾き、城壁の底へ叩き落とされた。代わって掲げられたのは、見たこともないドナテロ帝国の漆黒の軍旗。
ひとつの王国が、目の前で終わりを迎えていた。
頭の理解を拒絶するように、胸の奥のプリンスローズが、かつてないほど狂暴に脈動した。シアの意思を完全に無視し、白金色の閃光が周囲の帝国兵を容赦なく薙ぎ払う。 だが、どれほど敵を斬ろうとも、世界が反転した事実は変わらない。
無制御に引き出された力の濁流が、限界を迎えていた17歳の肉体を内側から焼き尽くしていく。 シアの視界が急速に色を失い、白銀の甲冑の重みに引かれるように、彼女は冷たい石畳へと崩れ落ちた。
目覚めたのは、見知らぬ簡素な部屋のベッドの上だった。 窓から差し込む光は薄暗く、見覚えのない帝国の軍旗が風に揺れている。
(……ヴァルフォード王。ナスルーラ様。王国は……)
記憶の断片が一気に脳裏に押し寄せた瞬間、シアは絶望の深淵へと叩き落とされた。何も守れなかった。自分がすべてをかけて縋っていた温かな光は、もうどこにもない。 絶望は、一瞬にして烈火のような怒りへと姿を変えた。
「……あ、あああああああッ!」
ベッドから飛び起き、なりふり構わず部屋を飛び出す。
「殺してやる……! エル・シャーリー、ドナテロ帝国、全員殺してやるッ!」
廊下に響き渡る、狂ったような叫び声。 駆けつけた複数の帝国兵に組み伏せられ、床に押しつけられてもなお、シアは獣のように歯を剥き、爪を立てて暴れ続けた。
だが、あまりにも深く傷つき、酷使された身体はすぐに限界を迎える。激しく息を乱しながら、シアはまた、糸が切れた人形のように唐突に意識を失った。
朦朧とする意識の底で、シアは夢を見ていた。
視界に広がるのは、かつて命をかけて守ろうとした、美しきヴァルフォードの街並み。 市場を行き交う民の笑顔。頼もしい仲間たちの顔。そして、木漏れ日の中で柔らかに、愛らしく微笑むナスルーラの姿。
「みんな……!」
愛おしさに胸を詰まらせ、シアがその側へ駆け寄ろうとした瞬間――それらすべてが、最初から何もなかったかのように、煙のように消え去ってしまった。
呆然と立ち尽くすシアが、ふと後ろを振り返る。 そこには、ヴァルフォード王が立っていた。いつも不安を拭い去ってくれた、あの温かな慈愛の眼差し。
王は静かに、その唇を動かした。 音は聞こえない。けれど、優しくその名を呼んでいることだけが分かった。
消えないようにと祈りながら、千切れるような思いでゆっくりと手を伸ばす。 王はもう一度、静かに口元を動かした。
その無音の言葉に重なるように、遠くから、誰かが名を呼ぶ声が聞こえた。
「……ロードン」
ハッと目を開けると、そこはやはり帝国の殺風景な部屋だった。
夢と現実の乖離に、数秒の間、呆けたように天井を見つめる。しかし、視線を落とした先――ベッドの脇に佇む男を認識した瞬間、シアの顔は一変した。
「ガァッ……!」
手負いの狼のような勢いで、素手のままエルの喉元へ飛びかかる。 だが、彼は顔色一つ変えず、突き出されたシアの両腕を静かに受け止めると、そのまま彼女の身体をベッドへとあっさりと押さえつけた。 限界まで引き裂かれた筋肉が悲鳴を上げ、シアの口から苦痛のうめきが漏れる。
「無駄な抵抗はやめろ。今の貴公の身体では、指一本満足に動かせまい」
エルの声は静かだったが、その瞳には、戦場での冷酷さとは違う重みがあった。
「……貴公に、ヴァルフォード王から預かった遺言がある。大人しく聞くというなら、手を離そう」
「王の……遺言……?」
猛犬の如く怒気を漲らせていたシアの身体から、その言葉を境に、すうっと力が抜けていった。抵抗の意思が消えたことを見届け、エルはゆっくりと拘束を解く。
彼はシアをベッドの上に座らせると、自らはその場に片膝を突き、彼女と目線の高さを合わせた。一国の親衛隊長に対する最高級の礼節を以て、静かに口を開く。
「『生きろ』。……王はそう仰った。『生きて、この国の民を守れ』と」
言われた言葉の意味が、シアの脳内で拒絶を起こす。
「……どうして。王は、どこにいるの。なぜ、あなたがそれを……」
「ヴァルフォード王は、自ら命を絶たれた」
エルは静かに、事実だけを告げた。
「敵国である私にすべてを託し、自らの愛剣で、その胸を貫かれた。……最期まで、見事な王だった」
その瞬間、シアの中で頑なに張り詰めていた何かが、決定的に決壊した。
涙が、堰を切ったように溢れ出した。 声にならない慟哭が、華奢な肩を激しく揺らす。守るべきものをすべて失い、それでもなお課された「生きる」という残酷なほどの重み。シアはただ、涙で視界を濡らしながら声を上げて泣き続けた。
エルは立ち上がり、泣き崩れる少女を見つめた。その胸には、玉座の間で老王の亡骸を前にした時の、あの重い沈黙が再び降り積もっていた。
「……しばらく、休むといい」
彼はそれだけを言い残し、一人、静かに部屋を後にした。 閉ざされた扉の向こうで、少女の咽び泣く声だけが、冷たい部屋の中にいつまでも響き続けていた。




