第11話 最後の命令
悲鳴と鬨の声が響く王都とは対照的に、切り離されたかのように静まり返る玉座の間。
重厚な扉を押し開けて入ってきたのは、漆黒の軍帽を脇に抱えた帝国兵団長、エル・シャーリーだった。
正面の玉座には、この国の主、ヴァルフォード王が一人で座していた。すでに親衛隊の手すら退け、ただ静かに死を待つ老王。その足元へ、エルは音もなく歩み寄り、一礼して綺麗に片膝を突いた。
「よくぞ来てくれた、エドワードの忠臣よ」
かすれた老王の声に、エルは静かに頭を垂れる。
「ヴァルフォード王。我が皇帝陛下より、御身の、そしてこの国の行く末を託され、参上いたしました」
王は満足そうに小さく頷くと、傍らに置かれていた一振りの細剣を、愛おしそうに撫でた。それは王が若き日、エルの主である現・帝国皇帝と共に、同じ師のもとで泥にまみれながら剣を磨き合った頃の愛剣だった。
「エドワードに伝えてくれ。友としての不義理を赦せ、と。そして……これほど美しい形で我が最後の願いを聞き届けてくれたことに、心からの感謝を」
老王は息を整えるように一度目を閉じ、それからエルの目を真っ直ぐに見つめた。
「エル・シャーリー。そなたに、二つの遺言を託す。……まずは、我が娘ナスルーラへ」
エルは黙って耳を傾ける。
「父の後を追って死んではならぬ、と。国などという器に縛られず、自分の道を歩みなさい。余はそなたを、ずっと愛している……そう、伝えてほしい」
王はその言葉を言い終えると、玉座の脇に置かれていた小さな封書へ静かに手を伸ばした。古びた羊皮紙を丁寧に折り畳み、王家の紋章を刻んだ封蝋で閉じられた、一通の手紙。
「……そして、これを。……父としては、こちらが本音だ」
エルは両手で静かに受け取る。
「ナスルーラが生きることを選んだ時にだけ、渡してほしい。……父として伝えたいことは、どうしても言葉だけでは足りぬ」
「……御意」
エルは封書を胸元へ収め、深く頭を垂れた。
「そして、もう一つ。……我が友エドワードとは、すでに三つの約束を交わした。だが、最後にもう一度だけ、そなたに直接頼ませてくれ。……絶対に、あの少女騎士、シアだけは殺さないでほしい」
シアの名が出た瞬間、エルの眉が微かに動いた。
「あの子に伝えてくれ。『生きろ』、と。そして『生きて、ヴァルフォードの民を守れ』とな」
王の声音には、まだ幼き親衛隊長の未来を憂うような、深い慈愛が滲んでいた。
「あの子は孤児だった。誰一人失いたくないという願いだけで、人の領域を超えてしまった。……シャーリー卿。願わくば、あの子の理解者になってやってはくれまいか」
理詰めで世界を観測するエルにとって、それはあまりに感情的で、けれど無視できないほどに重い、一国の王からの哀願だった。エルはしばしの沈黙の後、軍帽を握る手に力を込め、静かに告げた。
「……私の全霊を以て、陛下の言葉を届け、民の安寧の道筋を立てると誓いましょう」
「頼む。……これで、余の役目はすべて終わった」
ヴァルフォード王は、穏やかに微笑んだ。
老王は愛剣を逆手に持ち替え、自らの胸元へと向けた。
エルは止めなかった。それが一国の王としての最後の誇りであり、内乱の火種を完全に消し去るための、最も美しいしめくくりであることを理解していたからだ。
「さらばだ、我が美しき祖国よ」
鈍い銀光が、玉座の間を一度だけ照らした。
ヴァルフォード王は崩れ落ちることなく、玉座に深く腰掛けたまま、静かにその波乱に満ちた生涯の幕を閉じた。
エルはゆっくりと立ち上がり、静寂に包まれた玉座を一度だけ見つめた。
そして何も言わず、ただ静かに軍帽を被り直した。
王宮の庭に咲く薔薇の花びらが、一ひら。
誰にも拾われることなく、静かに地面へ落ちた。




