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VUCA


 油断していたのだ。

 キュキュにめろめろな真希も耕造も、ふたりが連れていきたいって言うならまあいいか、程度の認識の新右衛門も、油断していた。

 自分が人間に忌避される存在であると理解していない小動物が昼寝に飽きて、荷物の中からごそごそと這い出してきた。

「あっこら。出てくるなよ」

 すぐに耕造が気づき箱の中に押し戻したが、その声に緊迫感はなかった。一応、念のため、隠しておいたほうがいいか、くらいにしか思っていなかったから。

 それを見る真希と新右衛門も同じようなものだ。

 やれやれ、と困ったような口振りで、微笑ましく見ていただけ。


 あれが勇者だと遠巻きにしていた街人の反応は、三人の想定を大幅に外れたものだった。


     魔物だあーーーーーーーー‼︎

 

 最初の叫びは、声の大きな中年男性が上げた。

 周りの人々の表情が顕著に変化した。


 うそっ。なんで? 勇者様が魔物を? そんなわけない。勇者様が。魔王を斃す、特別な黒髪の勇者様が。

 勇者の証の黒髪を持っているのに。

 魔族と同じ、黒髪を。

 黒髪。


「あれは魔族だ」

 そのつぶやきは、騒然とした街の中で、なぜか真希の耳にも届いた。


「勇者なんて嘘だ」

「黒い魔物を連れている勇者なんかいるわけがない」

「魔物を連れた魔族だ」


 街人の反応に驚き狼狽える真希たちは、じわじわと包囲されていることに気づくのが遅れた。

 はっとしたときには、三人と一匹から人が離れ、代わりに彼らを中心に円を描くようにな人垣ができあがっていた。

 若者から中年くらいの年齢の、力の強そうな男ばかりが内側になるように並んでいる。

 これは。

 この図は駄目だ。

 真ん中に集団の敵を置いて、みなで攻撃をする図だ。

 高校の友人は直接囲まれたことはないと言っていたが、時間の問題だったはずだ。彼女もこうやって、集団に囲まれるところだった。

 令和日本の高校と今これから起こることの違いは、直接命に関わるかどうかということだ。

 日本の高校生は、虐める相手の命を自分の手で奪うことまでは考えていない。だが今、真希たちを囲む人々はきっと、そこまで想定して動いている。

 魔王の眷属を見逃したら、自分たちの命が危機に晒されるのだから。

 真希たち三人は今、大柄な西洋人の姿をした異世界人の敵と見做されている。

 数で勝る彼らはすぐには飛び掛かってこない。相手が未知の魔法を使うかもしれない存在だからだ。

 黒髪を待つ魔族がそうであるように。

 だけど真希も他のふたりも、そんな力は持っていない。日本人だから髪が黒いだけだ。魔法なんて使えない、非力な人間なのだ。

 新右衛門が馬と自分の間に真希を退がらせる。耕造は馬を挟んで反対側。

「し、新さん。ひーちゃんから預かった刀があるよ」

 邪魔だし持ってるの怖いなと思いながらも、肩から斜めに下げた紐に括りつけて背負っていたのだ。上からマントを羽織っているが、しゃがみこんだら新右衛門が柄を持って抜くことができるはずだ。

 仲間に刃物を持って戦ってなんかほしくないが、私刑に遭うよりはずっとマシなはずだ。

「心強いけど、それはまだ出さないで」

 場違いなほどに落ち着いた声で、新右衛門は真希の腕を後ろ手に軽く叩いた。

 そして静かに息を吸い込み、顎を上げた。


「我々は、魔物の調伏に成功しました!」


 新右衛門の声は、緊迫感を持って迫る群衆のなかによく透った。

 何を言っているのだ、と意識を持っていかれる人々の様子を確認した彼は、さらに声を大きくする。

「我々はこことは違う世界から来た勇者です! 我々の世界には、敵が使役するものを捕らえ従える技があります! 彼はその手技を以て、魔物を調伏することに成功したのです!」


 勇者を装った魔族を倒そうと集った人々の間に戸惑いが広がる。

 集団からの敵意や害意といったものが、彼の言葉により薄れたのだ。

 新右衛門は整った顔でにっこりと笑みの形をつくり、耕造を振り返った。

「耕造、みなさん不安に思っておいでだ。キュキュが無害であるところを見せて差し上げよう」

「おう」

 子どもの頃から厳しい環境を生き抜いてきた耕造は、空気の変化を感じ取って新右衛門の呼び掛けに軽く応じた。

 キュキュは荷物の中から出され、人々によく見えるように耕造の頭の上に載せられる。

「きゅっ」

 黒色。魔物。魔王の手先。

 そんな声が聞こえてくるが、それはすぐに別の言葉に変わっていった。

「かわいいかも」

 最初はたぶん、少女の声だった。


「可愛いだろ。こいつには人を咬まないよう言い聞かせてある。触ってみるか?」

 好奇心を抑えられない顔で進み出た少女を制して、背の高い中年男性が耕造に近づく。

 先ほどのような害意は消えているが、まだ何が起こるか分からない。新右衛門はにこやかな表情を崩すことなく、さりげなく耕造をサポートできる位置まで移動した。

 また集団私刑がはじまる気配がしたら、真希は刀を新右衛門に渡して走って逃げる。耕造も。人々を足留めする新右衛門は、ある程度の時間稼ぎをしたら馬に飛び乗って真希たちと合流する。

 彼の仕草と目配せは、多分そういう計画を伝えているのだ。

 理解した真希は、走るのに邪魔にならない程度の荷物を馬の背から見繕った。

 あれとあれを掴んで行けば、荷物を捨てることなく新右衛門が馬に乗ることができる。


 緊張のあまり手が震える。

 でもやらなきゃ。命がかかっているのだ。失敗は許されない。

 真希は足手纏いにしかならない。走って逃げるのが最優先だ。宿に泊まれないなら、野宿用品は持っていきたい。

 新右衛門に縋りつきたい気持ちを抑えて、目星をつけた荷物にさりげなく手を伸ばす。

「……もふ」

 中年男性がつぶやく声が聞こえた。

「だろー?」

 耕造の嬉しそうな声が馬の向こう側から聞こえる。

「なんだこいつ。可愛いじゃねえか」

「モフモフだな」

 耕造と、集団の前にいたいかつめのおじさんたちがきゃっきゃしている。

「あたしも触りたい!」

 多分最初に可愛いと発言した少女が、我慢できずに手を挙げる。

「おい、順番だ。躾けたって言っても、動物だからな。犬だってびびったら咬むだろ。優しく触れよ」

「勇者様はすげえ調教師なんだな!」

「調伏師と呼んでください。彼は異形を従える能力(ちから)を持っているのです」

 新右衛門が物々しい口調でホラを吹いている。耕造は動物を餌をやり、ぶん殴り、つまりやってはいけないことを体に覚えさせただけだ。

「こいつの名前はキュキュだ! 人間は咬まないよう躾けてあるから怖くない! ただ可愛いだけの生き物だからな!」

「かわい〜!」

「キュキュかわい〜!」

「勇者様すご〜い!」

 刀は不要なようだ。

 真希は背中の武器の存在を意識するのをやめた。

 おじさんたちを押しのけて集まってきた女性に囲まれご機嫌な新右衛門と、すごいすごいと持ち上げられて得意気な耕造。真希はふたりを眺めながら、落ち着かなげな馬の鼻面を撫でてやった。

 キュキュは地球上には存在しない生き物だ。真希の実家で飼っている犬とは違う生き物ではあるが、殴って言うことを聞かせる、というのは多分最悪な調教方法だと思う。

 人喰い動物をそうやって躾けたことで褒められる経験をしてしまった耕造には、あとで注意喚起をしておこう。将来、彼がペットを通り越して奥さんや子どもを殴ったりしないように。

 関係ないことを真希が考えてしまうくらい、彼女の目の前にある光景は平穏なものに変わってしまった。

VUCA 予測が難しく変化の激しい状況

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