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マスコット


 三日目朝。真希は元気に目を覚ました。

 痛みがない。下腹の重さは残っているが、この程度の不調は無視して動いていればそのうちよくなる。

 そろそろ出発しようと自分から言うと、その様子を見たふたりも賛成してくれた。

「もう少し食料を買ってから行こうか」

 米は街で買い足すことができた。

 久道ほどではなくてもみんな米を食べたらホッとするし、何より常温で持ち運べるところが素晴らしい。

 野外炊飯も回数を重ねてきた。久道がいなくても自力で炊くことができるはずだ。多分。多少焦げてもお粥状になっても美味しく食べられるのも米のいいところだ。

「乾燥野菜と干し肉?」

「それ」

「味噌も欲しいよね」

「欲しい。探せばないかな」

 久道が喜びそうだ。見つかったら真希も嬉しい。

「無いだろうねえ」

 日本的な文化はどこにも見当たらないのだ。

「味噌……大豆と塩だっけ」

 大豆ならありそうな気はするがどうだろう。

「さあ?」

「知らね」

 明治の若旦那も昭和の孤児も味噌を手作りしたことなどないだろう。真希もない。

「ひーちゃんなら知ってそうだよね」

「俺ら久道いなかったらダメダメじゃねえか」

 戦闘どころか野外炊飯もままならない。大変だ。

「…………」

 旅程はまだ半分以上残っている。死活問題である。

「……急げば追いつけないかな」

「走るか」

 三人は気持ちをひとつにして、まとめた荷物を持ち立ち上がった。


 きゅう


「?」

 動物の鳴き声らしきものが聞こえた。

 ベッドの下だろうか。真希は一度は持ち上げた荷物を床に下ろして、覗き込んでみた。

「なんかいるのか?」

「……いる」

 薄暗いベッドの下で、小さな生き物が震えている。

 真希を押し退けた耕造が床に転がってベッド下に手を伸ばし、それを引っ張り出した。

「っかわ」

 反射的に声が出た。

 可愛い。

 それ、は小さな哺乳類に見えた。パッと見の印象は仔猫。体長二十センチほど、耕造の掌いっぱいに収まるサイズ感。黒いフサフサの毛。

 猫にしては頭部が大きい。犬のような瞳がウルウルしている。ペンギンのように後ろ足二本で立っている。座っている、だろうか。短い脚が毛で隠れているためどちらか分かりにくい。

 某人気アニメシリーズに出てきそうだ。マスコットキャラクター。しゃべるぬいぐるみを作ったら確実に売れるやつ。

 可愛い、を体現するためだけに存在しているかのようだ。可愛い。

「……可愛いな」

 成人男子にも通じる可愛さ。

 耕造にまじまじと見つめられたそれは泣きそうな顔で体を縮こめたかと思うと、飛んだ。違うか、跳んだ。

「えー何なに、あたしのほうがいいのー?」

 肩に飛びつかれたら、思わず笑みがこぼれる。可愛いは正義だ。

「そいつオスか」

「耕造が怖がらせるからでしょ。こんな可愛い子を」

 縋りつくような仕草をするそれに、真希は肩を提供してやった。次の瞬間だ。


「っっ‼︎」

 首に鋭い痛みを覚えた彼女は、反射的にそれを振り払った。

 黒いモフモフは、床にべしゃっと叩きつけられた。

「おい真希、どっちが」

「気をつけて耕造! そいつ噛むよ!」

 首筋から血が噴き出る感触がする。真希は咄嗟に傷口を手で押さえた。

 指の間を血が伝って、服を濡らす。一瞬のことだったのに、ずいぶん深く歯をたてられたようだ。

 こんな小さな動物に? 甘噛みでなく、牙を突き立てられたのか。止まる気配がない出血が、だらだらと首を伝って身体を汚す。

「止血!」

 新右衛門が慌てて救急セットから清潔な布を取り出す。

「そっちは任せたぞ。俺はこいつを捕まえる!」

 まさか、今食べられそうになった?

 真希はジクジクと痛みが増していく首を押さえながら、ゾッとする考えに至った。 

 耕造も同じことを考えたのだろう。小動物を睨み据え、その微笑ましいとも言える絵面とは裏腹に、本気で捕獲する構えをとっている。

「おまきちゃん、手をどけて」

「……うん」

 おそるおそる首から手を離す。真っ赤に染まったてのひらに、今更な恐怖心が湧き上がってくる。

「大丈夫だよ。このくらいならすぐ止まる」

 新右衛門は強い力で真希の首筋に布を押し付けた。もう一方の手で優しく肩を押して寝台に誘導する。

「……新さん、ちょっ、くるしい」

 真剣な表情の新右衛門の腕をタップすると、彼は慌てて真希の喉仏にかかっていた手をずらした。

「あっごめん」

「ありがと。自分で押さえるよ」

「……うん」

 彼の顔色が悪いのは、流血を目の当たりにしたせいだろう。男は血に弱いとよく聞くし。

「ちょっとびっくりしたけど、もう大丈夫だよ。新さんは耕造を手伝ってあげて」

 真希は出血続きで貧血を起こしそうなのだ。先に倒れられたらたまらない。

 動脈が切れていたら、もっとひどい出血になるはずだ。折り畳んだ白い布の表面まで赤くなるほどではない。だから多分大丈夫。

 これまでで一番寿明を頼りたい場面なのに。肝心なときにいないなんて。

「こんなチビにふたりもいらねえよ。血が止まったならふたりとも手え洗ってこい」

 すでに部屋の隅まで黒いモフモフを追い詰めていた耕造が、一瞬だけ真希の惨状を見て顔をしかめる。首から流れた血が服まで汚してしまっているのだ。鏡を見なくてもひどい有様なのが分かる。

「そうだね。おまきちゃんはもう少しそこで傷を押さえてて。水を持ってくるよ」

「分かった。ありがとね、ふたりとも」

 少し冷静さを取り戻した真希に、新右衛門が安心した顔を見せる。

 耕造はこちらを見ることなくふん、鼻を鳴らしてから捕獲作業を続行する。これは多分、礼に対する照れ隠しだ。

 新右衛門が風呂スペースにあった木桶に水を汲んで運んできた。

「とりあえず手を洗おうか。片手ずつ桶に入れて」

 真希が右手で首の布を押さえたまま左手を差し出すと、新右衛門が甲斐甲斐しく洗ってくれる。

「今は感謝してるから、服脱いだなら着ろよ、とか言わないでおくよ」

 うっかり真希が血の付いた手で彼の腕を叩いたせいで汚れたのだ。洗うために脱ぐ、までは分かるが、着替えあるだろと普通に思う。

「それはよかった」

「うん。肉体美を見せびらかしたいんでしょ」

 こちらの世界では一般的らしい硬めの生地のズボン一枚になる必要はない。なぜ肌着も脱ぐ、とのツッコミ待ちなのだろうか。

「よく分かったね。何も言ってないのに」

 元武士の祖父に鍛えられた的なことを言っていた。背が高いからバランスよく見えていたが、意外なほど腕が太く、腹筋もしっかり割れている。

 こんなに堂々と出されたら、羞じらう気にもなれず普通に観察してしまう。ナイス筋肉。

「鍛えてるひとって、脱ぎたがりが多いよね」

 首の痛みは続いている。

 新右衛門は空気を和ませようとしてくれたのだろうか。それは好意的解釈が過ぎるか。

「それもあるんだけど。耕造の手伝いに使えるかと思ってね」

「?」

 耕造は、短い脚で素早く動く小動物を捕まえられないでいる。先ほどから何度も空振りする手を振り回し、跳び、と楽しんでいるようにしか見えない。

「エサに喰いつかないかなと思って」

「エサ?」

「血の臭い。耕造、少し退がって」

 新右衛門は先ほどまで着ていた服を血痕が目立つように丸めた。そしてそれを怯えて逃げ惑う黒いモフモフの近くに放った。

 なるほど。肉食動物なら血臭に惹かれて寄ってくるか。

 でもこんな距離を取りにくい室内、すぐ近くに自分を狙う大きな人間がふたりもいる状況で、そんな簡単な罠に引っかかるものだろうか。

「……あ」

 あっさり引っかかった。

 くれるの? とでも言うように可愛らしく、きゅう? と鳴くと、それは新右衛門が投げた服に近づいた。

 耕造と新右衛門が左右から同時に飛び掛かり捕獲する。

「あまり賢い動物じゃなさそうだね」

「可愛い子に賢いやつなんかいないだろ」

 耕造がひどい偏見を吐く。

「まあ……いやいやいや、おまきちゃんを見るんだ。可愛くて賢いの代表的女性だ」

「新さん、素敵なお世辞をありがとう」

「こいつどうする?」

「どうしようか」

 耕造の手によって首根っこを掴まれたモフモフは、状況が把握出来ていないのか、つぶらな瞳を見開いてキョトンとして見えた。あれ? ご飯どこ行った? とでも考えているのだろうか。

 おばかわいい。

「危ないから、ころ」

「待って待って新さん、それはさすがに」

 蚊のような小さい虫をパチンとやるのとはわけが違う。こんなに可愛い、は抜きにしても、食べる以外の理由で哺乳類は殺せない。

 それが一般的な感覚だと思うのだが、明治時代の人間は違うのだろうか。

「ああ、ごめんごめん。部屋の外に棄てるのは危ないな。街を出たところで放してやろうか」

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