第10話 幼馴染がさらに闇堕ちした
緑子にプリントを届けにいった日の翌日。
いつものモーニングルーティーンを消化して気持ちのいい朝を迎えていたところに、ピンポン音が鳴り響いた。
「俺が出るよ」
そう言って、玄関に向かう。
扉を開けると、そこには昨日と何も変わっていない様子の緑子がいた。
これまでのふわふわとした軽い雰囲気ではなく、どこか重い雰囲気を漂わせている。
「おはよう、緑子」
「おはよ、紫音」
「えーっと……元気になったみたいで嬉しいよ」
1週間ぶりに学校に行くことになった友達に対してかける言葉としては、当然のものだ。
「うん、ありがと」
あれ?
今のところ、これまで通りの感じで会話できているかもしれない。
確かに緑子の雰囲気はちょっと重くて暗いが、怖がるほどでもないかもな。
ていうか、昨日の緑子は体調が悪かったんだ。だからあんな調子で、少しだけ頭がおかしくなっていた。
そうだ。そう考えると何もおかしなことはない。
つまり、今日の緑子は万全ではないものの狂ってはいないってことだ。一件落着。
「実は私も、2本遅い電車で行くことにした」
「へぇ、そうなんだ」
「だから、また一緒に学校行けるね」
「だな」
どうやら今日からまた、緑子と一緒に登校することになりそうだ。
別に構わないし、むしろ嬉しい。
嬉しいが、複雑な気分だ。
俺は一度緑子への恋を諦め、切り替え、新しい自分に生まれ変わった。だが結局、緑子は俺のことが好き――なのかどうかはよくわからないものの、今まで以上にご執心の様子。
するとここで、問題が発生する。
俺が好きになった幼馴染の緑子とは、一体どんな存在だったのか、という問題だ。
マイペースで、おっとりしていて、頭が良くて、可愛くて、どこか素っ気ない。
その素っ気なさに悩み、恋を諦めることに繋がったものの、俺が好きだったのは素っ気ない緑子だ。
つまり俺は、緑子のことを好きでいながら、緑子と結ばれる未来を想像していなかったということになる。
ただ近くで緑子のことを眺めているだけで満足だったってわけだ。
「どうしたの? あ……やっぱりそうだよね」
「え?」
「私と一緒に学校行くの、嫌だもんね。知ってたよ。もう紫音は私のこと好きじゃないもんね」
また負のループに入ろうとしている緑子。
ここは幼馴染として、男として、はっきり言ってやった方がいいだろう。
「緑子のことが嫌いになったわけじゃない。それだけは信じてほしい」
「ほんと?」
ほんの少しだけ、緑子の表情が明るくなる。犬の尻尾のように、彼女の可愛いポニーテールが揺れた。
「俺はずっと緑子のことが好きだった。でも多分、それは幼馴染の女の子として、ずっと一緒にいる親友として、好きだったんだと思う」
「……」
ここではっきりとした答えが出た。
俺はこれまで、緑子と付き合いたいと思ったことはない。
ハグやキス、それ以上のことをしたいなんて、考えたこともない。
中学生、高校生になっていくにつれて、周囲の友人は恋愛というものをし始めた。それは好きな人と付き合ってデートをして、身体的にも精神的にも深い接触をするというものだ。
なんでそんなことをしたがるんだろう?
そういう疑問が俺の中にはずっとあった。
俺はただ、緑子を見ているだけで満足していたのに。
すごい人間になるために努力を重ねてきたのも、幼馴染としてずっと隣を歩くために、彼女の理想の男でありたいと思ってしまったからなのかもしれない。
「だから聞いてくれ緑子、俺は幼馴染として、これからもずっと緑子の隣にいたい」
「紫音……」
緑子は俺の名前を小さく呟き、目に涙を溜める。
感動してくれているんだろうか。
こうやって自分の気持ちをはっきりと相手に伝えることは大切だ。
「……そんなのダメ。それだと紫音は私以外の女に奪われる。私は紫音の全てになりたい。私がいなければ生きていけなくなるほど、私を必要とさせるからね……ふふっ」
みなと坂駅のホーム。
電車が来たので、早速乗り込む。
「おにぃ、大丈夫ですか?」
妹の瑠璃が小声で聞いてくる。本気で心配してくれている目だ。なんて優しい妹なんだろう。
そんな瑠璃の反対側。
俺の左側にくっついているのは、幼馴染の犬飼緑子だ。
いい匂いがするとか、当ててきている胸が柔らかいとか考える余裕なんてない。
俺はついさっき、彼女の中に眠っていた狂気を見てしまった。あれはまさに、昨日緑子の家を訪問した時に見た闇と同じものだ。
「るーに任せてくださいっ」
電車に乗り込み、空いた席を見つけた俺たち3人。さっと端っこの席に腰を下ろすと、瑠璃がすかさずくっつくようにして隣に座ってきた。
緑子はしかたなく瑠璃の隣に座る。
***
隣に座ることを阻止されてしまった緑子。
邪魔な存在である瑠璃を見つめ、静かに感じ取る。
――瑠璃ちゃんも、私と同じ……。
狂気。ヤンデレ。
自分と同じものを、愛する紫音の妹である瑠璃は持っている。この時緑子は、それを確信した。




