中指でつながる信頼
グラウンドから校舎へ戻った柊は、
ひたすら走っていた。
さっきまで冷たいと感じていた冬の空気が、
今は喉に張り付く。
「ハァ……ッ、ハァ……」
階段を駆け上がる。
一階。
二階。
三階。
「クソ……遠いな……」
柊が目指している場所は、
校舎の一番上。
屋上。
『風』
その言葉を考えた時、
真っ先に候補から外せなかった場所。
グラウンドにはいなかった。
中庭にもいなかった。
なら。
次に“風”を強く感じる場所。
屋上。
ただ。
距離が遠い。
このままでは、
二つ目のヒントが届くまでに辿り着けない。
「頼むから……」
息を切らしながら、
階段を上る。
「変なヒント来んなよ……」
もう、
走り出してしまった。
走り出してしまった柊は、確認しないといけない。
いるにしろ。
いないにしろ。
確かめなければならない。
そうしなければ、
この時間すべてが無駄になる。
最後の階段を前にして、
柊は一度立ち止まった。
「ハァ……ハァ……」
膝に手をつく。
息を整える。
「……スゥ……」
大きく吸う。
乱れた髪を、
荒々しく掻き上げる。
あと少し。
その時だった。
ピロン。
「…………」
聞きたくなかった音が、
鳴った。
柊は、
ゆっくりタブレットを見る。
「……見るしかないか」
正直。
見たくなかった。
もし、
今向かっている場所とまったく関係のない言葉だったら。
また、
考え直さなければならない。
それでも。
画面を開く。
二つ目のヒント。
ヒント②
球
「………」
柊は、
その場にしゃがみ込んだ。
「意味わかんねぇ…………」
風。
球。
風と球。
「…………」
サッカー。
野球。
バスケ。
バレー。
球技。
真っ先に浮かぶのは、
当然グラウンドだった。
でも。
そこはもう、
探した。
「絶対違うじゃん……」
両膝に手をつく。
「なんなんだよ……」
三十分。
必死に考えて。
必死に走って。
その答えが、
『球』。
「クソ……」
自分の発想力が足りないのか。
何かを見落としているのか。
寧々の言葉を、
自分が理解できていないだけなのか。
分からない。
そのことが、
何より腹立たしかった。
「…………」
それでも。
ここまで来た。
柊は立ち上がる。
「確認だけは……する」
最後の階段を上る。
屋上へ続く扉。
ドアノブを掴む。
勢いよく押し開けた。
冷たい風が、
身体を叩いた。
「っ……」
目の前に広がる、
冬の青空。
フェンス。
コンクリート。
誰もいない。
「…………」
柊は、
ゆっくり歩いた。
フェンス際。
給水塔の陰。
扉の裏。
端から端まで、
確認する。
いない。
どこにも。
寧々はいない。
「……クソが」
吐き捨てる。
風だけが、
屋上を通り抜けていく。
柊はフェンスに手をついた。
外を見る。
さっきまでいた、
グラウンド。
サッカーコートも見える。
『風』
『球』
この二つだけを繋げれば。
やっぱり、
グラウンドにしか思えない。
でも。
いなかった。
「…………」
タブレットを見る。
風。
球。
もう一度。
風。
球。
「…………」
そして。
柊の頭に、
消えなかった違和感が戻ってくる。
――寧々らしくない。
一つ目だけなら、
まだ偶然で済んだ。
『風』。
寧々がそう表現した可能性だって、
ゼロじゃない。
でも。
二つ目。
『球』。
「…………」
柊の目が、
僅かに細くなる。
考える。
俺に、
自分を見つけてもらおうとしているなら。
最初に『風』。
次に『球』。
本当に、
そんな伝え方をするか?
「…………しない」
小さく呟いた。
そうだ。
しない。
俺の知っている寧々なら。
こんな言葉を、
二つ続けて送らない。
もっと。
俺に伝わる言葉を選ぶ。
二人にしか分からない言葉を選ぶ。
何度も。
何度も。
何度も。
届かなかった俺たちだから。
言葉一つを、
こんな雑には使わない。
「…………」
柊は、
タブレットを見つめた。
『風』
『球』
そして。
一つの可能性が浮かぶ。
あまりにも単純で。
だからこそ、
最初から疑わなかった可能性。
「……これ」
顔を上げる。
「”寧々が送ってないんじゃねぇか?”」
風が吹いた。
さっきまでバラバラだった違和感が、
一本に繋がる。
ヒントの意味が分からないんじゃない。
そもそも。
“寧々の言葉として考えること自体が間違っている”。
「…………」
柊は、
ゆっくり周囲を見る。
そして。
屋上の隅に設置された、
一台のカメラを見つけた。
レンズと、
目が合う。
「…………」
絶対、
見ている。
柊の眉間に、
思い切り皺が寄った。
「……わかばちゃん」
カメラに向かって歩く。
「意地悪すぎんだろ……」
そして、
中指を立てた。
――
体育館。
巨大なスクリーンに、
屋上の柊が映し出されている。
カメラに向かって、
堂々と中指を立てる柊。
「おいおいおい!」
「柊キレてるぞ!」
「やっていいのか、あれ!?」
体育館が笑いに包まれる。
その中心で。
若林だけが、
楽しそうに画面を見つめていた。
「ハハッ」
思わず、
笑いが漏れる。
「やっと気づいたか」
画面の中の柊は、
明らかにこちらを睨んでいる。
若林は腕を組んだ。
「でも」
その笑みが、
少しだけ深くなる。
「まだ半分」
ヒントがおかしい。
そこまでは、
辿り着いた。
なら。
次は。
“なぜ、おかしいのか”。
「さぁ」
誰にも聞こえない声で、
呟く。
「どうする、柊」
「ここからが本番だぞ」
――
「……絶対笑ってるだろ、わかばちゃん」
屋上。
柊は中指を下ろした。
不思議と、
さっきまでの苛立ちは消えていた。
代わりに。
一つだけ、
確信がある。
『風』
『球』
これは。
寧々から自分へ送られた言葉じゃない。
そこまでは、
分かった。
でも。
「じゃあ……」
誰の言葉だ。
なぜ、
俺に届く。
若林は、
何のためにそんなことをする。
そして。
一番大きな疑問。
「……寧々は、どこにいる」
結局。
そこだけは、
何も分かっていない。
柊は屋上から、
学校を見渡した。
グラウンド。
校舎。
体育館。
部室棟。
三年間、
毎日のように見てきた景色。
「…………」
ヒントが、
寧々のものじゃない。
なら。
今までの探し方は、
全部捨てなければならない。
『風』でもない。
『球』でもない。
だったら。
何を頼りに、
寧々を探す。
「…………」
答えは、
まだ出ない。
柊は、
屋上の扉へ向かう。
「考えろ」
一歩。
「まだ何かある」
もう一歩。
「わかばちゃんが」
扉に手をかける。
「俺たちに何をさせたいのか」
扉を開ける。
そして。
柊は再び、
三年間を過ごした校舎へ戻っていった。
まだ。
答えには辿り着いていない。
ただ一つ。
最初の前提だけが、
壊れた。
――ヒントは、寧々のものではない。
なら。
本当のヒントは、
どこにある。




