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春一つ、やり直せたなら  作者: タナカ


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想い人

体育館の扉が閉まる音がした。

――バタン。

 


さっきまで聞こえていた歓声が、


一枚の扉を隔てただけで遠くなる。



「じゃあ、ここからは女子長だけね」

 


声はいつも通り軽い。


なのに。


なぜか、逃げ場がなくなったような気がした。


廊下に並ばされた女子長たち。


みんな少し落ち着かない顔をしている。


「ルールは聞いてる通り」

 

「ここから先は、移動中も含めて“競技開始”です」

 

ざわついていた列が、


少しだけ静かになる。


「ということで」


若林が笑った。


「はい、目隠し配りまーす」


「えぇー!」


女子たちから声が上がる。


先生の軽い口調とは裏腹に、

黒い布が一人ひとりへ渡されていく。


寧々もそれを受け取った。


手のひらに乗った黒い布を見る。


そして。


ゆっくり目元を覆った。


視界が消える。


真っ暗。


さっきまで見えていた廊下も、隣にいた人も、

全部なくなった。


聞こえるのは足音だけ。


誰かの靴が床を叩く音。


制服が擦れる音。


遠くで誰かが笑う声。


「足元気をつけて」

 

腕を軽く支えられる。


寧々は誘導されるまま歩き始めた。


右。


左。


階段。


また廊下。


どこへ向かっているのか分からない。


どれだけ歩いたのかも分からなくなっていく。


でも。


一つだけ、

分かっていることがあった。


(守愛が、探しに来る)


それだけ。


今は、それだけでいい。


やがて。


足が止まった。


「はい。ここ」


目隠しが外される。


眩しさに目を細める。


少しずつ輪郭が戻ってくる。


そして。


目の前の景色を見た瞬間。


「……あ」


思わず声が漏れた。


そこは――


見覚えのある場所だった。


懐かしい。


だけど、

それだけじゃない。


嬉しかったことも。


苦しかったことも。


全部が詰まっている。


寧々はしばらく、

何も言えなかった。


「ここから動かないこと」


若林が言う。


「声も出さない」


「ヒントを送れるのは三十分に一回だけ」


「単語一つだから、大事に使ってね」

 

 

若林の声が、遠くに聞こえる。

 

 

寧々は、ゆっくりと見渡した。

 

 

あの日。

 

守愛と笑った場所。

  

 

「……守愛」

 

 

声にはしない。


心の中で、

名前だけを呼ぶ。


(来てくれるよね)


そう思った瞬間。


胸の奥に、

小さな不安が生まれた。


もし。


来なかったら。


もし。


また届かなかったら。


また――。


そこまで考えて、

寧々は目を閉じた。


そして。


小さく首を振る。


違う。


もう、

あの頃とは違う。


守愛は言った。


――俺は、一緒にいるよ。


だから。


(信じるって、決めたから)


今度は、

私が待つ番だ。


その時。


手元のタブレットが震えた。


ヒント入力画面。


送れるのは、


たった一つの言葉。


寧々は少しだけ考える。


守愛なら。


この言葉を見た時、

何を思い出すだろう。


何を探すだろう。


指先が画面に触れる。


そして。


一文字、

言葉を打ち込んだ。


送信。


寧々はタブレットを胸元に抱える。


(見つけて)


願いではない。


約束みたいに。


そう思った。

 

________________________________________



「うわ……なんか緊張してきた」


涼香は小さく呟いた。


体育館を出た瞬間から、

急に現実味が増している。


「大丈夫、大丈夫」


隣にいた女子長が笑った。


「見つけてもらえばいいだけじゃん」


「それが緊張するんだけど」


「分かる」


二人で笑う。


でも。


その笑い声も、

どこか硬かった。


「はい、目隠しねー」


黒い布が渡される。


涼香はそれを見つめた。


(ほんとにやるんだ……)


少し怖い。


でも。


(ちょっと楽しみかも)


そんな気持ちもある。


布を目元に当てる。


一瞬で真っ暗になった。


「うわ」


見えない。


それだけで、

思った以上に不安になる。


「足元気をつけてね」


手を軽く引かれる。


涼香は慎重に歩いた。


階段を上ったのか。


下りたのか。


何回曲がったのか。


途中から、

まったく分からなくなった。


(ラン君、これ分かるのかな)


不意に、

そんなことを考える。


自分だったら無理かもしれない。


でも。


ランなら、何となく、来てくれるような気もする。


やがて、

足が止まった。


「はい、ここー」


目隠しが外される。


「……え?」


視界が戻る。


そして。


目の前の景色を見た瞬間。


涼香は固まった。


そこは――


見覚えのある場所だった。


髪が揺れる。


「ここで待機ね」


先生が去っていく。


涼香はその場に残された。


一人。


周囲を見渡す。


なんでもない話をした。


くだらないことで笑った。


別に、

何か特別な出来事があったわけじゃない。


でも。


思い返すと、

なぜか全部覚えている。


(……そっか)


胸の奥が、

少しだけ温かくなる。


(そういうことなんだ)


この長祭。


ただ隠れた女子を探すだけじゃない。


ここには、

ちゃんと意味がある。


涼香はマフラーをぎゅっと握った。


(ラン君なら……)


一瞬だけ迷う。


そして。


少し笑う。


(来てくれるよね)


でも。


すぐに別の気持ちが浮かぶ。


本当に分かるのかな。


私が、

何を覚えているのか。


何を大切にしているのか。


ラン君は、

どこまで私を見てくれているんだろう。


そんなことを考えたら、

少しだけ緊張した。


その時。


タブレットが震える。


ヒント入力画面。


送れるのは、

単語一つ。


「何にしよう……」


涼香は画面を見つめる。


ランなら。


何に気づくだろう。


ランと自分にしか分からないもの。


指を動かしかけて、止めた。


少し考える。


そして。


「……任せる」


誰もいない場所で、

小さく呟いた。


何を任せたのか。


自分でも、

よく分からない。


長祭の勝敗なのか。


自分を見つけることなのか。


それとも。


もっと別の何かなのか。


涼香は一つの単語を入力する。


送信。


画面から文字が消える。


あとは、

待つだけ。


でも。


胸の中は、

少しだけ騒がしかった。


長祭は、

もう始まっている。

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