この世界は独りぼっち
――あの夜から、季節が一歩だけ進んだ。
朝の空気はほんの少し軽くなり、空は高く澄んで見える。
夏の終わりは、決して足音を立てずに近づいてくる。
けれど、胸の奥にはまだ、“あの夜”の熱が、くすぐるように残っていた。
その日、寧々はひとりで部室にいた。
放課後の柔らかな陽が差し込む、静かなカメラ部の部室。
普段から人の少ないこの空間で、彼女はぽつんと椅子に座っていた。
――一人になると、どうしても、あの夜のことばかり思い出してしまう。
あの瞬間、夏木歩の顔を――ちゃんと見られなかった。
心臓が喉元までせりあがってくるみたいで、怖くて、目をそらした。
(なんで、あんな顔するの……馬鹿)
何もかも、計画通りだったはずだった。
独りきりの世界で、ただ唯一の“仲間“。
好きな人への気持ちを吐き出すことができる相手。
それなのに――
「好きだ」なんて、言われたら、もう……戻れないじゃない。
「……なんで、あんなこと言うのよ……」
声にならないつぶやきが、空気に溶けて、過去へと消えていく。
“好き”なんて言葉、どうすればいいのか分からない。
だって――わたしは、過去のことも、未来のことも、全部知ってる。
“もう終わってる物語”に、こんなにも痛い続きが来るなんて、思わなかった。
(お願い……早く忘れて)
どんなに願っても、忘れられない。
あの夜の空も、泣きそうだった自分の顔も、
そして、まっすぐに見つめてきたランの目も――。
すべてが、胸の奥に焼きついている。
「……最低」
ぽつりとこぼしたその言葉が、誰に向けたものなのか、自分でも分からなかった。
寧々は、立ち上がる。
空気が重く、息が詰まりそうだったから、窓を開けた。
途端に、優しい風が髪を撫でていく。
ふと下の校庭を見下ろせば、真新しい白線が引かれたグラウンド。
賑やかな声が聞こえてくる。
「体育祭の種目決め、今日だったよな」
「今年はリレーしないらしいぜ」
「まじ?なにすんの?」
夏の終わりは、誰の気持ちにも寄り添わず、無情に通り過ぎる。
走り出した時間は、もう誰にも止められない。
寧々はもう一度だけ空を見上げた。
雲ひとつない、どこまでも青い空。
(私は、どうすればいいの……)
過去にも、未来にも囚われている“姫”は、行き場のない想いを抱えたまま、
ただ、途切れることのない青空を見上げる。
―――――――
“恋“
あなたはいつしましたか?
隣の席になった子?
声がかわいい子?
運動ができる子?
あの子の、どんな瞬間に惹かれて、恋のステージに進んだ?
「まだ、していない」
そう答える子もいるだろう。
「好き」が分からない。
異性に魅力を感じない。
まだそんな気分になれない。
“恋”に焦がれる人もいれば、
“恋”に壊されていく人もいる。
――そして、私はこう思う。
「私は、“恋”なんてしたくない」
明確に、はっきりと、そう思う。
なぜって?
大好きな親友が、いま、苦しんでいるから。
好きな人がいるのに、誰にも言えない。
事情があるのかもしれない。
それでも、隠して、笑って、傷ついてる。
自分を押し殺すその笑顔を見るたびに、胸が痛む。
私は、あの子の強くて、まっすぐなところが好きだった。
嫌なことは嫌と、ちゃんと言える心の強さ。
男子に絡まれても、堂々と立ち向かう姿。
私よりも背が高くて、髪が長くて、綺麗で、かっこよくて。
……でも。
いまのその子は、自分を抑えて、泣きそうな顔で笑ってる。
そんな”恋”なら、私は嫌いだ。
「スズは、寧々を悲しませる“恋”が嫌いだ」
その気持ちだけは、まっすぐで――
本当だった。
ヒロインを救う者は、ヒーローか怪盗か。それとも。
”体育祭編”開幕




