”恋”を知る
「ここまで来たら……もう、大丈夫だよね」
人の波が去った後の神社の祠前。
提灯の灯りが遠くなり、ふたりは石段に並んで腰を下ろす。
「ええ……その、ごめんなさい。
私のせいで、また……」
「えっ、あ、いや、大丈夫。大丈夫だから……泣かないでよ」
静けさが戻り、音も落ち着いてきた頃。夏の夜の空気が、ふたりのあいだにゆっくりと流れていく。
そのなかで、寧々の目から、ぽろりと涙が零れ落ちた。
「違うの……私のせいで……また……」
壊れたオルゴールのように、繰り返される言葉。
謝罪とも呪いともつかないその声に、夏木はほんの少しだけ、怖さを覚えた。
──野外学習のときにも、同じ影を見た。
不意に滲み出るその影は、真っ黒な霧のように、見る者の心を凍らせる。
「……あのさ、本当は……思い出すのも辛いかと思って、聞かないでいたけど──」
「柊は……本当に、橘さんが原因で……死んだのか?」
物語の核心へ、今まさに指がかかろうとしている。
夏木歩は、真理の扉を開こうとしている。
ずっと疑問だった。
―――なぜ彼女のせいで死ぬのか。
そして、どうして彼女はそれを知っているのか。
未来は、何があったのか。
「うん……私の……
私のことが、好きなせいで……死んだの」
言葉の一つひとつが、鉛のように重い。
それでも、口はゆっくりと開かれていく。
「私と、守愛は──大学卒業後、結婚するはずだったの……」
「でも……」
その言葉とともに、彼女の顔に苦悶が走る。
「でも、死んだの」
「 私の、ストーカーに刺されて 」
パン、と夜空に花火が打ち上がる。
寧々の顔を一瞬照らしたその光が、濡れた頬を白く際立たせる。
涙は止まらない。
壊れた蛇口のように、涙と、過去が止まらない。
「結婚式場を見に行った帰りだった……
思い出の公園に寄ったの。満開の桜が、空を囲い込むように咲き誇るように咲いてて……」
「二人でよく行った場所だったの。
初恋の話、野外学習で告白してくれた話、体育祭、修学旅行、三年生の祭……全部思い出してたの」
「世界が桜に満ちてた……私の心は、守愛でいっぱいだった……幸せだったの……」
「そんなときに来たの。
顔をパーカーで隠した男が……ナイフを持って──」
「“裏切った”って叫びながら、私を襲おうとしたの。
守愛は私を庇って……そのまま……」
──冷たくなっていった。
淡々と、けれどあまりに鮮明に語る彼女の姿に、息を呑む。
最愛の人を、自分のせいで、目の前で失った人間の声。
「その後………どうなったの………?」
「私は、後を追うように死んだわ」
寧々は、夜空を見上げる。
けれどその目は、星ではなく、過去を見ていた。
「そして、目が覚めたら……過去に戻っていたの」
「ほら、私、やっぱり………関わらない方がいいんだよ」
「………………!!」
「それでも………」
「それでも……それでも、あのとき言ったじゃないか。
“俺たちで柊を守ろう、ヒーローになろう”って……」
気づけば、俺の目にも、涙が伝っていた。
それが何の涙なのか分からない。
ただ、目の前の女の子に、何も差し出せない自分が悔しい。
「うん………ありがとう」
「でもね、私、ヒーローなんかじゃないよ」
「ヒーローは………こんな感情、もってないよ」
「大好きだから、距離を置いてるのに、他の子と笑ってるだけで、苦しくなる。
そんなの……ヒーローじゃない!!」
「やめてくれ!!!!!!!!!」
「橘さんの、その感情は………“愛してる”からだよ!」
叫んでいた。
寧々の言葉に、怒っていた。
いや、違う。
その哀しみが、自分の中の何かを、強く揺さぶった。
「愛しているから、笑顔を一番近くで見たい」
「愛しているから、傷つく姿を見たくない」
「愛しているから……手を差し出す事を躊躇ってしまう」
「愛してるから────!!!」
──その時、気づいてしまった。
夏木歩は、“恋”という名前の感情を、今この瞬間に知ったのだ。
目の前の人が、誰かを好きでいる姿に、胸が軋む。
それがどんな気持ちなのか、ようやく理解してしまった。
あの、眩しいくらい柊のことを想って、ただ話すだけで頬を染めていた子に。
「………う、嘘だろ………」
「どう…したの?」
頭を抱え、言葉を呑み込む夏木に、寧々が心配そうに顔を覗き込む。
「俺が……俺は……好きなのか………」
「………好き?」
――”恋”を知ってしまった。
ドン……と夜空に響く、一際大きな花火。
この夏祭り最後の、フィナーレの合図。
「これから言うことは、気にしなくていい。忘れてくれても構わない」
「でも、伝えさせてほしい」
──静かに、でも確かに打ち上がる、もうひとつの花火。
「好きだ、橘さん」
「俺を選んで……幸せになってくれないか」
──空で一番大きな花が咲いた。歓声と拍手が賞賛を送る。
一人の男の花火が打ちあがって、音を立てることなく弾ける。
”恋”を知る夏祭り編、終幕になります。




