第92話 飯は食ってるか
面会時間は十五分だった。
「短い」
廊下を案内していた警察官が、扉の前で端末を確認する。
「十分以上ある」
「十五分だって。そういう意味じゃない」
「分かってる。入れ」
扉が開く。
机と椅子だけの部屋に、養父がいた。
「おう」
それだけだった。
主人公は入口で立ち止まった。もっと別の顔をしていると思っていた。怒っているとか、疲れ切っているとか、何か言いたそうにしているとか。
養父はいつものように顎で向かいの椅子を示した。
「座れ」
「また?」
「何が」
「最近ずっと座れって言われる」
「なら言うこと聞け。時間ないぞ」
「はい」
主人公が椅子へ腰を下ろすと、養父は一度顔を見てから聞いた。
「飯は食ってるか」
主人公は少し笑った。
「食ってる」
「何食った」
「パンとスープ」
「肉は」
「なかった」
「駄目だな」
「避難所に言えよ」
「今度言う」
「今度あるの嫌だよ」
「そりゃそうだ」
会話がそこで途切れた。
普通すぎた。
机の向こうにいるのが、拘束されて事情を調べられている人間だということを忘れそうになる。けれど扉の外には警察官がいて、養父の手元には何も置かれていない。地下で使っていた端末も、工具も、煙草もない。
主人公は机の縁を見ながら口を開いた。
「親父、出られる?」
「知らん」
「自分のことだろ」
「調べてる最中に俺が決められるか」
主人公は膝の上で指を組んだ。
「第零号のこと」
養父の表情が少しだけ変わる。
「止めようとはした」
「その前」
主人公は目を逸らさなかった。
「研究、認めたんだろ」
「ああ」
「抑止に必要だと思ってた」
「思ってた。第零号がああいう形で動くと知ってたかって話なら、知らなかった」
「それは信じる」
「そうか」
「でも、それで終わりじゃない」
言ってから、主人公は息を止めた。
養父は怒らなかった。
しばらく主人公を見て、それから小さく頷いた。
「そうだな」
「……怒らないの」
「何に」
「俺に」
「何で」
「俺、全部渡した。地下のことも、親父のことも。嫌だって言われたのに」
「嫌だぞ」
「今も?」
「今もだ」
主人公は少しだけ肩を落とした。
「そっか」
「でも、お前が決めたんだろ」
「うん」
「俺も決めた。研究を認めた。必要だと思った」
養父は机の上へ指を一本置いた。
「なら、調べられる」
主人公は顔を上げた。
「それ、俺が言おうと思ってた」
「遅い」
「ずるくない?」
「何が」
「俺がちゃんとしたこと言う番だった」
「十五分しかないぞ」
「そういう時だけ短いって言うなよ」
養父が笑った。
主人公も、少し遅れて笑った。
それで責任がなくなるわけではない。
許したことにもならない。
ただ、机の向こうにいる男が、まだ養父だった。
面会を終えて廊下へ出ると、別室から荒い声が聞こえた。
「もう一回、最初から聞け。何回答えても同じだ」
主人公が足を止める。
警察官が横を通り過ぎながら言った。
「行くぞ」
「あれ、何してるの」
「事情聴取」
「何回目?」
「知らん」
向こうの部屋から、また声が届いた。
「俺は必要だったと思ってる。今でもだ」
聞き覚えのある強硬な男の声だった。
主人公は閉じた扉を見る。
変わっていない。
少なくとも、今聞こえた言葉はそうだった。
「面会はそっちじゃない」
「分かってる」
警察官に促され、歩き出す。
角を曲がる直前、後ろから養父の声が飛んだ。
「おい」
主人公が振り返る。面会室の扉はまだ完全には閉じていなかった。
「何」
「姉ちゃんは」
「無事」
「子どもは」
「無事。向こうの男も一緒」
「地下の連中は」
「連絡取れてる。友人もいる」
養父は一度頷いたあと、まだ何かを待つ顔をした。
「ほかは?」
「何が」
「飯」
「さっき食ってるって言っただろ」
「肉食え」
「うるさい!」
扉が閉じた。
廊下に声だけが少し残った。
警察官が歩きながら言う。
「元気だな」
「どっちが」
「両方」
主人公は数歩ついていき、それから聞いた。
「親父、どうなる」
「調べて決める」
「俺が家族でも?」
警察官は歩調を変えなかった。
「関係ない」
主人公は立ち止まりかけたが、今度はそのまま歩いた。
「……うん」
「不満か」
「違う。それでいい」
自分で言ってみると、胸の奥に重さが残った。
家族なら助けたい。
でも、家族だから調べなくていいとは思わない。
その二つは、同じ場所に置いておけるらしい。
建物の出口が見えたところで、端末が鳴った。
姉からだった。
《終わった?》
主人公は歩きながら返信する。
《うん》
すぐに返ってきた。
《どうだった》
指が止まる。
研究の話。責任の話。嫌だと言われたこと。怒られなかったこと。強硬な男の声。十五分。
どれから書けばいいか分からない。
主人公は一度全部消して、短く打った。
《飯の話された》
《それだけ?》
「それだけじゃないよ」
思わず声に出た。
警察官が横目で見る。
「何だ」
「こっちの話」
主人公はもう一度画面を見る。
《それだけじゃない》
送る。
少し考えて、もう一行足した。
《でも親父だった》
送信する。
自動扉が開き、外の空気が入ってきた。
主人公は端末をポケットへ入れる。
養父が何をしたのかは、これから調べられる。
その結果を自分が決めることもできない。
それでも次に会えたら、たぶんまた同じことを聞かれる。
飯は食ってるか。
主人公は建物を出ながら、今夜は肉を食おうと思った。




