第90話 営業中
《PB-BC-0001 / BUSINESS CONTINUITY / OPEN》
厨房の壁面端末に、営業圏上空の情報が次々と重なっていた。
事故由来の飛翔体。旧側から放たれたもの。現在側の自動応答。どちらにも分類できない第三系統。発信元ごとに色分けされた表示は、更新されるたびに数を増していく。
世達ちゃんは注文票を脇へ寄せ、画面を指で広げた。
「対象は、これで全部?」
店員が別窓の照合結果を重ねる。
「現在捕捉分です。所属別に分けますか」
「分けない。飛んでて、営業継続を邪魔するなら全部同じ案件」
世達ちゃんが受付番号を確定する。
《PB-BC-0001》
《対象:営業継続阻害事象》
厨房ではタイマーが鳴った。
「八番、チーズ追加です」
「はい」
鉄板の前にいる店員が肉を返す。そのすぐ横で、真意ちゃんは端末の数字をじっと見ていた。
「合ってない」
世達ちゃんの指が止まる。
「何が?」
「表示されてる数と、応答してる数。後ろにまだいる」
真意ちゃんは一つの系統を開き、時間軸をずらした。最初の応答に隠れるように、遅れて立ち上がった信号が現れる。
「これ。あと、こっちにも」
「案件へ追加」
世達ちゃんは所属欄を見なかった。二つの信号を同じ受付番号へ放り込み、対象数だけを書き換える。
世籟ちゃんが店内中央で目を閉じた。
「広げるよ」
換気扇の低い唸り、冷蔵庫のコンプレッサー、フライヤーの泡立つ音、客席のトレーが触れる音。その外側で警報が鳴り、さらに遠くに、機械音とは違う周期が幾重にも走っている。
共鳴の範囲を広げるほど、ばらばらだったものが輪郭を持った。
「いる。画面より一つ多い」
「場所は?」
「待って。重なってる」
世籟ちゃんが位相を絞る。二つに見えていた波形の間から、わずかに異なる周期が剥がれた。
「これ」
真意ちゃんがすぐに照合する。
「それ。未応答だったやつ」
「追加する」
世達ちゃんが番号を振る。
事故か、戦争か、報復か、自動応答か。理由はそれぞれ違う。けれど今、店が扱う必要があるのは理由ではなかった。
飛んでいる。
このままなら人の移動も物流も止まり、客が店へ来られなくなる。
だから同じ案件だった。
自動扉が開き、外の警報音が一瞬だけ大きくなる。持ち帰りの袋を抱えた客が出ていくと、扉はまた閉じた。
世達ちゃんは店の外へ視線を向けた。
「瑠志」
入口近くにいた瑠志ちゃんが、ガラス越しに空を見る。
「殴る?」
「壊すな」
「そっちの方が難しいんだけど」
「できるだろ」
瑠志ちゃんは不満そうに口を曲げたが、拳を握ったまま振り抜かなかった。
破壊するなら簡単だった。
けれど今回必要なのは、空で何かを爆発させることではない。地上へ落とすことでも、海へ捨てることでもない。飛翔体同士を衝突させれば、別の被害が生まれる。
瑠志ちゃんは拳を胸の前で止めた。
「世籟、位置ちょうだい」
「今渡す。動いてるから追って」
世籟ちゃんの共鳴が一つの周期を拾い、空間の一点へ焦点を合わせる。瑠志ちゃんはその位置へ直接拳を届かせる代わりに、足元から伝わる微かな振動へ力を重ねた。
衝撃は壊すためではなく、支えるために流れる。
遠方で高速移動していた一つの軌道が、わずかに横へ滑った。
次の軌道とは交差しない。地上へも向かわない。
「一つ」
世籟ちゃんが次を拾う。
「こっち。さっきより速い」
瑠志ちゃんは肩を回し、今度は拳を開いたまま力を止める。衝撃の伝わる先だけを変えると、二つ目の軌道も互いから離れていった。
店内の客には何が起きているか見えない。ただ窓の外の警報灯と、厨房で鳴るタイマーだけがいつもより忙しい。
「九番、ポテト上がります」
「あ、はい」
フライヤー担当がバスケットを持ち上げる。油が落ちる音の横で、真意ちゃんがまた首を傾けた。
「三つ足りない」
世達ちゃんは端末を振り向く。
「さっき追加した分じゃなく?」
「違う。自動応答の後発。最初の照合より遅れて発生してる」
画面の端に、新しい三つの信号が灯った。
「全部PB-BC-0001へ」
「入れた」
世籟ちゃんが息を整え、再び範囲を広げる。
「聞こえた。三つとも別方向」
「見えた」
瑠志ちゃんは外へ出た。
警報の音圧が直接身体へ当たる。頭上の空には肉眼で点にしか見えないものが走っていたが、世籟ちゃんから渡される位置と周期が、どこへ力を通せばいいかを絞っていく。
一つ目には下から支えるように。
二つ目には進行方向の外側へ押し出すように。
三つ目には、先行する軌道へ追いつかない程度の抵抗を与える。
瑠志ちゃんの拳は一度も対象へ触れなかった。それでも、伝わった衝撃によって三つの進路は少しずつほどけ、互いを巻き込む可能性を失っていく。
「次」
世達ちゃんの声が通信へ入る。
「今ので最後じゃないの?」
「最後かどうかを決めるのは照合後」
「はいはい」
瑠志ちゃんは空を見たまま待った。
真意ちゃんが発信記録、応答記録、世籟ちゃんの捕捉結果を重ねる。数字が一つずつ揃っていった。
「捕捉残り、ゼロ」
「別系統は?」
「ゼロ」
「未分類」
真意ちゃんはもう一度画面を送り、最後まで確認してから答えた。
「ゼロ」
世達ちゃんはそこで初めて受付番号を閉じた。
《PB-BC-0001》
《営業継続阻害:除去》
《状態:CLOSED》
空が静かになったわけではない。警報はまだ解除処理を待って鳴っているし、通信回線にも確認のやり取りが残っている。
ただ、飛んでいたものはもう地上へ落ちず、互いにぶつからず、燃えながらどこかへ突っ込むこともない。進行を続ける力だけを失っていた。
店へ戻った瑠志ちゃんが扉を閉めると、ちょうど客席から声がした。
「警報、まだ鳴ってますけど、大丈夫なんですか?」
カウンターの店員は業務端末を確認した。
「解除情報はまだです。避難指示が出た場合はご案内します」
「じゃあ、今は?」
「現在、営業中です」
客は窓の外と、自分のバーガーを見比べた。
「それは見れば分かります」
「見えているなら、よかったです」
「何がです?」
店員は次の注文票を取った。
「営業していることがです」
客はしばらく分からない顔をしていたが、やがてバーガーへかぶりついた。
厨房では世達ちゃんが端末を閉じる。
「次の案件」
「十番です」
「それは注文」
「じゃあ清掃です。床にソース落ちてます」
世達ちゃんが足元を見る。赤いソースが一滴、厨房の床へ落ちていた。
「誰」
誰も名乗らない。
外では何も落ちなかったのに、店内ではソースだけが落ちている。
世達ちゃんは数秒それを見てから、清掃票を取った。
「これも処理して」
「はい」
カウンターから番号が呼ばれる。
「十番、お待たせしました」
空の案件が閉じても、PANDEMONIUM BURGERの営業は閉じなかった。




