第89話 案件
警報は、扉が開くたびに店内へ入ってきた。
「いらっしゃいませ」
自動扉の前で立ち止まった客は、一度だけ外を振り返った。歩道では避難先を確認する人が端末を覗き込み、遠くで誘導車の音が重なっている。それでも店内ではフライヤーの油が鳴り、鉄板の上で肉が焼けていた。
「まだ、やってます?」
「この区画には避難指示が出ていませんので。ご注文どうぞ」
客はメニューを見上げた。
「じゃあ、セット二つ。片方は炭酸で」
「かしこまりました」
注文が厨房へ流れる。
三人の客が店内にいた。旧人類が一人。共生人が一人。もう一人は、見ただけではどちらか分からない。
注文票には、そんな欄はない。
「三番、上がります」
「はい」
ポテトを袋へ入れたところで、カウンター脇の業務端末が短く鳴った。
《外部事象照会》
店員は表示を確認し、袋の口を折る。警報の原因について複数地域から情報が上がっているが、この店舗への直接被害は確認されていない。
「大丈夫なんですか」
受取待ちの客が端末を見ていた。
「避難指示が出た場合はこちらからもご案内します。今のところ、この区画は対象外です」
「帰った方がいいですかね」
店員は客のトレーを見た。バーガーは半分、ポテトはまだかなり残っている。
「それはお客様が決めてください。ただ、移動されるなら最新の避難情報を確認してください」
「ですよね」
客は端末を手元へ戻し、残っていたポテトを一本つまんだ。
二度目の通知は、その直後だった。
《事象規模更新:広域》
厨房でも同じ表示が出たらしい。肉を返す音の向こうから、「確認した」と声が飛ぶ。
「四番、ソース少なめです」
「了解」
業務は止まらない。
三度目だけ、通知音が違った。
《BUSINESS CONTINUITY》
《営業継続影響:判定要求》
店員の手が止まったのは、ほんの一拍だった。
「案件です」
厨房から返事が来る。
「直接被害は?」
「店舗にはなし。店内三名、受取待ち二名、進行中四件。避難指示もまだありません。ただし外部事象は広域へ更新されています」
鉄板の上で脂が弾けた。
「営業は続けて。判定は上げる」
「はい」
店員は端末を操作しながら、カウンターへ出す飲み物をもう片方の手で揃えた。画面には遠方の警戒情報が増え続けている。旧系統、現在側の応答、それ以外。発信元も影響範囲も、まだ完全には確定していない。
選択肢が並んだ。
《設備障害》
《物流障害》
《地域災害》
《広域災害》
《分類外》
指が《分類外》で止まる。
「分類外で上げます」
「理由は?」
「既存分類の一つに閉じません。店舗設備だけでも、この地域だけでもない。営業圏そのものへ影響する可能性があります」
「それで」
入力欄を埋める。
《対象:営業圏》
《影響人数:未確定》
《期間:未確定》
《地域:未確定》
分からない欄を、分かったふりで埋める必要はなかった。
《案件登録》
《分類:BUSINESS CONTINUITY / CLASS-OUT》
《状態:OPEN》
送信する。
その瞬間、入口の扉が開いた。
警報音が一段大きくなり、外の風が紙ナプキンの端を揺らす。入ってきた客は息を切らしていた。
「持ち帰り、まだ頼めます?」
「はい。現在営業中です」
「じゃあ一つ。急ぎで」
「順番でお作りします」
「ですよね」
客は苦笑して、列の最後へ並んだ。
世界の外側で何が飛び交っていても、店内では先に注文した客の番号が先だった。
「六番、できました」
袋にバーガー、ポテト、飲み物を収める。受け取った客が、窓の外を見ながら言った。
「こんな時でもやるんですね」
「ご注文いただいていますので」
「それだけ?」
店員は少し考え、袋から伸びていた紙ナプキンを中へ押し込んだ。
「今は、それで足ります」
客は一瞬きょとんとしてから、袋を抱え直した。
「ありがとう」
「ありがとうございました。移動の際は避難情報をご確認ください」
扉が開く。
警報が入る。
客が出る。
扉が閉じると、油の音がまた前へ出た。
端末が震えた。
《案件受領》
《営業継続措置:実施》
「通りました」
厨房の手が止まる。
「範囲は?」
「店舗外を含む営業継続阻害。詳細照合中です」
「なら、こっちは注文を続ける」
「はい」
次の肉が鉄板へ置かれた。
じゅう、と音がする。
店員は新しく入った注文票を取り、番号を確認した。
「七番、入ります」
「はい」
窓の向こうでは、まだ警報灯が回っている。
店の中では、七番のバーガーを作り始めている。
危機を無視したわけではない。
危機を、危機のまま受け取った。
旧人類のためでも、共生人のためでもない。どちらが正しいかを決めるためでもない。
客が来られなくなる。商品を渡せなくなる。店を続けられなくなる。
だから、案件になった。
端末の《OPEN》表示の横で、処理開始を示す小さな印が点いた。
店員はそれを確認してから、次の客へ顔を上げる。
「お待たせしました。ご注文どうぞ」
PANDEMONIUM BURGERは、まだ営業中だった。




