第86話 返ってくる
最初に鳴ったのは、一台だった。
短い電子音。
主人公が振り返る。
「何」
警察官も端末を見る。
「知らん」
「警察なのに」
「警察は何でも知ってる職業じゃない」
二台目が鳴った。
三台目。
壁際の大型表示まで点灯する。
「静かに」
研究者の声で、部屋の雑音が一段落ちた。
画面に点が現れる。
一つ。
二つ。
増える。
主人公はさっき置いた空箱の横で立ち止まった。
「受信?」
「違う」
「じゃあ何」
研究者は答えない。
通信担当者が別の画面を開いた。
「旧系統、応答あり」
「応答?」
「送信先の一部」
「何て」
担当者の指が止まる。
「実行」
主人公の息も止まった。
第零号の記録に残っていた二文字が頭へ戻る。
《送信完了》
「飛んだ?」
「少なくとも、一部が動いた」
「何が」
「まだ確定してない」
「また分からない?」
「今、照合してる」
姉の端末が震えた。
「避難警報、出た」
「どこ」
「ここも」
「何で」
「現在側が検知した」
主人公は研究者を見る。
「止められる?」
誰もすぐには答えなかった。
「まず避難」
警察官が立ち上がる。
「でも」
「お前がここに立ってても落ちるものは止まらん」
「落ちるって」
「例えだ!」
通信音が重なった。
《自動防衛系起動》
《広域警戒》
《外部照会》
《応答待機》
「増えてる」
「旧側だけじゃない」
研究者が表示を追う。
「何が」
「現在側の自動応答」
「止めて」
「こちらの権限では止められないものがある」
「じゃあ誰が」
「それぞれ」
「それぞれって誰」
「それぞれ」
「最悪」
「同意する」
別の位置に、新しい点が灯った。
遠い。
また一つ。
さらに増える。
「これも旧?」
「違う」
「現在?」
「違う」
「じゃあ何」
「第三者系統」
「誰」
「確定していない」
「何で動くの」
「こちらの動きを観測した可能性がある」
「こっちって」
「旧も現在も含めて」
主人公は画面いっぱいの点を見る。
「俺ら、一個じゃないの」
姉が答えた。
「最初から一個じゃないよ」
旧。
現在。
その外。
線が増えていく。
どこからどこまでが一つの反応なのか、主人公には分からなかった。
ただ、一つだけ分かる。
返ってきている。
昔送られた命令へ、今が反応している。
「昨日までなら」
研究者が言った。
「何」
「この旧識別を読むのに時間がかかった」
「今は?」
「君が渡した資料で照合できる」
「どれくらい」
「もう終わった」
「早」
「だから警報が出せた」
主人公は黙った。
全部、渡した。
さっきまで自分たちだけが持っていたものを。
「役に立った?」
「役に立ってる」
胸の奥に、一瞬だけ何かが浮いた。
嬉しい。
違う。
そんな場合ではない。
「そっか」
「喜ぶところではない」
「分かってる」
「顔が」
「分かってる!」
姉が端末を見たまま言った。
「避難所、地下側も開けるって」
「地下?」
「今の変位が止まった区画」
「安全?」
「地上より遮蔽はある」
友人が別の通知を確認する。
「新しい区画なら第零号の影響も少ない」
主人公は通信を開いた。
「親父」
『いる』
「開けるの?」
『開ける』
「誰入れる」
少し間があった。
『旧人類』
「だけ?」
今度の間は、さっきより長かった。
『今はそう決まった』
姉は何も言わない。
主人公は姉を見る。
「姉ちゃんは」
『入れない』
「子ども」
『共生人だ』
「相手」
『同じだ』
主人公は口を開いたまま、言葉が出なかった。
『俺が決めたんじゃない』
「でも」
『今、揉めてる』
「親父は」
『入れろと言った』
主人公は息を吐いた。
「そっか」
『でも決まってない』
「うん」
「移動始めるぞ!」
警察官が声を張った。
対策室の人々が一斉に立つ。
資料を持つ。
端末を持つ。
主人公も動こうとして、手元を見る。
空の箱をまだ抱えていた。
「それ捨てろ」
友人が言う。
「これ?」
「邪魔」
前にも、同じことを言われた。
養父だった。
あのときは、捨てられなかった。
主人公は箱を見る。
「うん」
床へ置いた。
すぐに手を離す。
「早」
「中身ないし」
「さっき大事そうに持ってた」
「今はいらない」
走る。
建物の外へ出る。
警報が街を渡っている。
人の流れがいくつにも割れていた。
旧人類。
共生人。
見分けられる人。
見分けられない人。
全員が同じ方向へ逃げているわけではない。
開いている避難所が違う。
使える交通が違う。
選んだ行き先も違う。
主人公は空を見上げかけて、やめた。
見ても分からない。
旧い命令へ現在の防衛が返す。
現在の防衛へ、別の誰かが返す。
最初の一つが何だったのかさえ、もう空を見ただけでは分からない。
「行くよ」
姉が腕を引いた。
「どこ」
「避難」
「どこに」
姉が止まった。
主人公の端末には地下への案内が出ている。
姉の端末には出ていない。
姉の子にも。
その家族にも。
主人公は自分の画面を見る。
《旧人類避難》
地下へ向かう矢印。
それは主人公だけを、家へ向けていた。




