第77話 奪還される家
角を曲がったところで、主人公は止まった。
「……ここ」
「何」
友人も足を止める。
家があった。
古い基礎の上へ、新しい壁が継ぎ足されている。門も窓も、主人公が知っていたものとは違う。
それでも場所は同じだった。
前に来た時、門の内側で子どもが言った。
うち。
主人公は呼び鈴を押さずに帰った。
今は、その門の上で警報灯が点滅している。
《退避してください》
《旧都市設備復帰区域》
「俺の」
口から出て、主人公は止めた。
「昔の家」
「ここ?」
「うん」
玄関が勢いよく開いた。
「持てない!」
子どもが飛び出してきた。
前に会った子だった。
身体に合わない大きな鞄を引きずっている。
後ろから三本腕の大人が出てきた。二本の腕には箱。一つには端末を握っている。
「置いて!」
「持ってく!」
「今はいらない!」
「いる!」
主人公は走った。
「貸して!」
子どもが顔を上げる。
「誰?」
「前、紙落としてた人」
子どもは目を細めた。
「覚えてんの」
「変な人だったから」
「今それいる?」
主人公は鞄を取った。
「重っ」
「いるって言った」
「何入ってんの」
「大事なの」
「何」
「いろいろ!」
三本腕の大人が主人公を見た。
「あの時の」
「避難所どこ」
「学校側だそうです」
友人が端末を見る。
「学校側、今通れない」
「え?」
「旧系統が道路閉じてる」
「じゃあ」
「公園」
主人公は自分の端末を開いた。
姉から送られてきた現在地図には、公園が臨時集合場所として表示されている。
「今はこっち」
「行ける?」
「裏から」
三本腕の大人が家を振り返った。
「家族が中に」
「何人」
「もう一人」
「どこ」
「二階!」
主人公は鞄を友人へ押しつけた。
「持ってて」
「おい」
「呼んでくる!」
玄関へ飛び込んだ。
匂いは知らなかった。
置かれている家具も知らない。
壁の色も違う。
けれど階段だけは、足が先に知っていた。
一段。
二段。
三段。
「……ここ」
昔、姉の手を追って上った場所だった。
「誰か!」
「こっち!」
二階の部屋で、大人が棚を押さえていた。
「何してる!」
「倒れる!」
「置いて!」
「下に子どもが!」
「もう外!」
大人の手が離れた。
棚が倒れる。
床が大きく震えた。
「行く!」
二人で階段を下りる。
途中、壁が裂けた。
内側から古い柱が現れる。
その表面に光が走った。
《民生転用解除》
主人公は一瞬だけ足を止めた。
「何です、それ」
「知らない」
「あなた」
「後!」
走った。
外では三本腕の大人がこちらを見ていた。
「いた!」
家族が集まる。
子どもは真っ先に友人を指した。
「鞄!」
「ある!」
主人公が受け取る。
「返して!」
「公園まで!」
「自分で持てる!」
「じゃあ持て!」
渡す。
子どもがよろけた。
「ほら!」
「持てる!」
「強情!」
「知らない人に言われたくない!」
主人公は口を閉じた。
知らない人。
そうだった。
「じゃあ前持って」
主人公が鞄の片側を持つ。
「何それ」
「半分」
子どもがもう片側を掴んだ。
「これなら」
「うん」
歩き始める。
背後で低い音が鳴った。
家の基礎から振動が伝わり、外壁がわずかにずれた。
三本腕の大人が振り返る。
「家が」
主人公も見る。
昔は、自分の家だった。
今は、この子の家だ。
第零号には、どちらでもない。
ただの民生転用。
同じ場所に、三つの呼び方が重なっている。
「行こう」
主人公が言った。
「でも」
三本腕の大人が足を止める。
「戻れない」
「荷物が」
「後で」
「後で入れますか」
主人公は家を見た。
分からない。
前なら、分からないことを何か別の言葉で埋めたかもしれない。
「分からない」
大人はしばらく家を見ていた。
「……分かりました」
歩き出す。
公園にはすでに人が集まっていた。
受付の係が人数を確認する。
「四人?」
「三人です」
三本腕の大人が答える。
「あ、俺違う」
主人公が言う。
「同行支援?」
「たぶん」
「名前」
「俺の?」
「支援者欄」
主人公は名前を言った。
端末へ記録される。
「ありがとうございました」
三本腕の大人が頭を下げた。
「別に」
子どもが鞄を抱えたまま主人公を見る。
「鞄」
「返したじゃん」
「持ってくれた」
「半分」
「半分ありがとう」
「どういたしまして」
子どもは家の方向を見た。
「戻れる?」
「分からない」
「うちなのに」
主人公は今度は迷わなかった。
「うん。うちだよ」
子どもが主人公を見る。
「知ってる」
「……そっか」
友人が横から主人公を見た。
何も言わなかった。
端末が鳴る。
《奪還対象区域 拡大》
主人公は通知を閉じた。
「行く」
「どこ」
「次」
「原因?」
主人公は公園を見た。
避難してくる人が増えている。
「人」
「また?」
「先」
二人は走った。
昔の家は、主人公へ返ってこなかった。
返してほしいとも思わなかった。
今の家が、今の住人から奪われようとしている。
主人公は取り戻す側ではなく、その家から人を逃がす側にいた。




