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第75話 家が動く


 地上を走っていた主人公の端末が鳴った。


 隣を走る友人が先に止まる。


「地下」


「何」


 画面に警告が出ていた。


《居住区画 変位》


「変位って」


「動いた」


「昨日も動いた」


「違う」


 次の表示が重なる。


《通路閉塞》

《居住者確認中》


 主人公は姉の家がある方向を見た。


 端末には、さっき届いた《家は大丈夫》の文字が残っている。


 反対側には地下への入口がある。


「戻る」


「姉ちゃんは」


「無事って言ってる」


「第零号は」


「後」


 二人は来た道を引き返した。


 大扉を抜ける前から音が聞こえた。


 金属が擦れる音。


 壁の奥で何かが移動する音。


 床を通して伝わる振動。


 中へ入ると、人の声が飛び交っていた。


「こっち塞がるぞ!」


「三番通れ!」


「三番、途中で落ちてる!」


「じゃあ配管路!」


「子ども先!」


 主人公は立ち止まった。


 誰も救助を待っていなかった。


 箱を抱え、毛布を引きずり、隣の部屋を叩き、人を呼んでいる。


「何すればいい!」


 主人公が叫ぶ。


 箱を抱えた女が振り向いた。


「突っ立ってないでこれ!」


 そのまま箱を押しつけられる。


「何」


「薬!」


「どこ」


「新しい区画!」


 主人公は走った。


 新しい区画はすでに人でいっぱいだった。


 床には毛布が敷かれ、水の容器が並んでいる。泣いている子どもの横で、老人が怒鳴っていた。


「俺の靴がない!」


「履いてる!」


「片方!」


 本当に片方しかなかった。


 主人公は薬の箱を置く。


「次!」


「四番の奥!」


 また走る。


 四番へ続く通路は、途中から壁がせり出して狭くなっていた。


「こっち!」


 別の住民が床板を外している。


 下に暗い隙間があった。


「そこ通れる?」


「昨日までは!」


「今日!」


「知らん!」


 一人が先に潜る。


 しばらくして向こうから声がした。


「通れる!」


「行け!」


 主人公も潜った。


 狭い。


 古い配管の間に、後から置かれた箱や棚が詰め込まれている。


 昔は設備用の隙間だったのだろう。


 今は物置であり、抜け道でもあった。


 向こう側の部屋に老人が一人、床へ座っていた。


「何してる!」


「待ってる」


「何を!」


「腰」


「腰?」


「立たん」


 主人公は老人の前へしゃがんだ。


「乗って」


「重いぞ」


「知るか」


「知らんだろ」


「今知る!」


 背負う。


「重っ!」


「言った」


「黙って!」


 来た道を戻る。


 途中で床が震えた。


「右」


 背中の老人が言う。


「何」


「右の管、踏むな」


「何で」


「昔割れた」


 主人公は足をずらした。


「知ってるの?」


「ここ住んで三十年」


 主人公は何も言えなかった。


 出口では何人もの手が伸びてきた。


 老人を引き上げる。


 床へ降ろすと、老人が自分で立った。


「腰」


「まだ痛い」


「じゃあ何で立った」


「降りる時は立つだろ」


「知らん!」


 奥からまた声が飛ぶ。


「水!」


「こっち!」


 主人公は走った。


 第零号の原因は探していない。


 旧系統がどこまで伸びたのかも追っていない。


 今、閉じる扉がある。


 今、動けない人がいる。


 今、足りない水がある。


 そっちが先だった。


 しばらくして、主人公は食堂だった場所の前を通った。


 養父がいない。


「親父!」


 返事がない。


 主人公は新しい区画へ走った。


「親父!」


 人だかりの真ん中にいた。


「何してんの」


「開けてる」


「何を」


 養父の足元には、袋、缶、乾いたパン、保存食が並んでいた。


「それ備蓄!」


「知ってる」


「勝手に!」


「腹減ってる」


「だからって」


「食うための備蓄だ」


 養父は缶を開けて、近くの子どもへ渡した。


「温めないの?」


「食える」


「冷たい」


「食える」


「まずい?」


 養父は少し考えた。


「温めた方がうまい」


「じゃあ温めて」


「火がない」


「じゃあまずい?」


「食って決めろ」


 子どもが一口食べた。


「普通」


「そうか」


 養父は次の缶を開ける。


 主人公はそれを見た。


「食堂なくなったのに」


「腹はなくならん」


「親父」


「お前も食え」


「今いらない」


「食え」


「救助」


「走るなら食え」


 乾いたパンを渡される。


 主人公は受け取ってかじった。


 硬い。


「昨日と同じ」


「備蓄だからな」


「まずい」


「返せ」


「食う」


 また床が揺れた。


 区画にいた人たちが一斉に動きを止める。


 友人が端末を見た。


「五番が動く!」


「五番なら奥に二人!」


 住民が叫ぶ。


「いや三人!」


「一人、昨日医療区画!」


「じゃあ二人!」


 主人公は残ったパンを口へ押し込んだ。


「行く」


「俺も」


 友人が続く。


 さっきの老人が声を上げた。


「五番は正面行くな」


「何で」


「途中の天井、前から低い」


 別の女が言う。


「横の洗濯場から抜けられる」


「洗濯場、昨日棚動かした」


「どこへ」


「壁際」


「通れる」


 次々に情報が集まる。


 設計図ではない。


 住んだ記憶。


 直した記憶。


 壊した記憶。


 失敗した記憶。


 物を置いた記憶。


 主人公は老人を見る。


「案内して」


「腰痛い」


「口で!」


「最初からそう言え」


 二人は走り出した。


 家が動いている。


 だから、住んでいる人も動く。


 運ばれるだけではない。


 自分で逃げる。


 隣を呼ぶ。


 薬を持つ。


 道を教える。


 飯を開ける。


 主人公も、その中を走る。


 原因はまだ向こうにある。


 けれど今は、家の中にいる人を外へ出す。


 それが先だった。

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