第71話 止める
「お前」
朝、流しの前を通りかかった主人公を養父が呼び止めた。
「何」
「洗い残し」
水切り台の端に、皿が一枚残っている。
「昨日全部洗った」
「これ」
「俺のじゃない」
「皿に名前ない」
昨日、食堂で椅子を巡って聞いた言葉とほとんど同じだった。
主人公は皿を取った。
「……洗う」
蛇口をひねる。
水が出た。
「止めろ!」
背後から友人が駆け込んできた。
主人公は皿を持ったまま振り返る。
「水?」
「違う!」
「何」
「研究」
主人公は皿を流しへ置いた。
「また?」
「今度はでかい」
「どこ」
「研究区画」
二人は走り出した。
「待て!」
養父も追ってくる。
廊下へ出る。
「何でお前が知ってる」
主人公が聞いた。
「部品」
「何」
「俺に整備頼んできた」
「何の」
「知らん」
「じゃあ何で」
「知らんから聞いた」
「答えた?」
「ぼかした」
「それで?」
「断った」
主人公は走りながら友人を見る。
「お前、抑止いるって言ってたじゃん」
「言った」
「じゃあ」
「一回死んだ」
友人は速度を落とさない。
「だから守るもの全部いらない、とは言ってない」
「じゃあ何」
「これは嫌だ」
研究区画の扉は閉じていた。
「開けろ!」
友人が叩く。
反応はない。
養父が追いついた。
「何がある」
「次」
「何の」
「この前の続き」
養父の顔が変わった。
「誰が許可した」
「知らない」
今度は養父が扉を叩いた。
「開けろ!」
中から声が返る。
「作業中だ!」
「止めろ!」
「事故原因を確認してるだけだ!」
主人公が扉へ近づく。
「それだけ?」
沈黙した。
「答えろ!」
「確認が必要なんだ!」
「俺の部品は使わせない!」
友人が叫ぶ。
「お前のじゃない!」
「俺が直してる設備だ!」
主人公は友人を見る。
「切れる?」
「ここからは無理」
「じゃあどこ」
友人が走り出した。
二人が追う。
「何する!」
養父が聞いた。
「生活系と分ける!」
「昨日から分けてる!」
着いたのは、空になった予備棚の近くだった。
友人が壁の保守盤を開く。
「ここ」
「切ったら研究止まる?」
「一部」
「生活は」
「残す」
「やれ」
養父が言った。
友人の手が止まった。
「何」
主人公が聞く。
「俺、これ守るために直してた」
「何を」
「地下」
「うん」
「止めたら困る」
「うん」
友人は保守盤を見た。
「でも、これでまた人死ぬ方が嫌だ」
操作した。
廊下の照明は消えなかった。
換気音も、水の流れる音も残った。
遠くの研究区画だけで警告音が鳴り始める。
しばらくして扉が開いた。
「何をした!」
研究側の男が飛び出してくる。
「止めた」
「戻せ!」
「嫌だ」
「検証しないと事故原因も分からない!」
主人公は言葉に詰まった。
そこだけなら、男の言うことにも理由がある。
「事故原因は調べろ」
養父が言った。
「使用準備は止めろ」
「分けられない!」
「なら全部止めろ」
「データが失われる!」
「保存しろ」
「同じ条件が作れない!」
「人を巻き込まない方法でやれ」
「そんな方法が今ない!」
「なら今やるな」
養父の返事は短かった。
複数の足音が近づいてきた。
警察官が二人。その後ろに、以前会った移行者の女がいる。
「何で」
主人公が友人を見る。
「呼んだ」
「いつ」
「走る前」
「俺より早い」
「お前、皿持ってたから」
女が研究者を見る。
「何を続けようとしてた?」
「内部研究だ」
「人が死んだ研究の継続?」
「原因確認だ」
警察官が聞く。
「現場使用につながる準備は?」
研究者は黙った。
「あるの」
女が重ねる。
「可能性を残している」
「止めます」
警察官が言った。
「権限は」
「死亡事故に関連する現場保全と再使用防止です」
「地下の自治に介入するのか」
「自治の話は後でやって」
女が遮った。
「今は人が死んだ直後」
「地上が地下の研究を止めるのか」
「違う」
主人公が言った。
全員が主人公を見る。
「俺も止めてる」
「俺も」
友人が続ける。
「俺もだ」
養父も言った。
「私も」
女が言う。
警察官は研究区画を見たまま答えた。
「こちらもです」
主人公は研究者を見た。
「地上対地下にするな」
研究者は黙った。
「遅れた」
廊下の向こうから、病院の医者が歩いてきた。
「先生」
主人公は思わず呼んだ。
医者は研究者へ端末を示した。
「事故の記録は医療側にもある」
「患者データは」
「個人情報は渡さない。事故評価に必要な範囲は正式な手続きで出す」
「それで原因が分かるのか」
「保証はしない」
「なら」
「だからって、もう一回人の近くでやる理由にはならない」
主人公は医者を見た。
昨日の机を思い出した。
飴が三個。
蓋のないペン。
空いた椅子。
何も言わなかった。
午後、研究区画の入口に紙が貼られた。
《生物学的現場使用 停止》
《追加使用 禁止》
《関連設備 封鎖》
《事故解析 非使用条件へ限定》
「これで終わり?」
主人公が聞いた。
「この方法を人へ向けることは」
警察官が答えた。
「研究は?」
友人が聞く。
医者が紙を見た。
「治療の方まで消す話じゃない」
「逆向きだけ?」
主人公が聞いた。
「人を不安定にする目的の経路は閉じる」
研究者自身が言った。
主人公は振り向く。
「あんたが?」
「俺も事故を見た」
「続けたかったじゃん」
「原因を知りたかった」
「使う可能性も残したかった」
「そうだ」
「今は?」
研究者は入口の紙を見た。
「閉じる」
「俺も」
友人が言った。
「抑止は?」
主人公が聞く。
友人は少し考えた。
「守るものは欲しい」
「うん」
「でもこれは嫌だ」
「変わった?」
「変わった」
返事は速かった。
「簡単に言うなよ」
「何で」
「何でもない」
友人が主人公を見る。
「お前も?」
「知らん」
「変わっただろ」
「うるさい」
食堂へ戻った。
朝、流しへ置いた皿がまだ残っている。
「洗え」
養父が言った。
「今?」
「朝から言ってる」
「世界救ってきた」
「大げさに言うな」
「人は救ったかも」
養父は少しだけ黙った。
「なら」
残った皿を指す。
「次はこれ」
「何で」
「残ってるから」
主人公は蛇口をひねった。
水が出る。
皿を洗った。




