第58話 抑止
「研究側ってどこ」
養父は鍋を混ぜたまま答えなかった。
「親父」
「飯」
「質問」
「飯」
「昨日もそれ」
「昨日も飯は焦げる」
「今日は焦げてない」
「お前が話しかけ続ければ焦げる」
主人公は鍋を覗いた。
「あと何分」
「座ってろ」
「食ったら教える?」
「内容による」
「ずるい」
「大人だからな」
皿が置かれる。
主人公は食べ始めたが、三口ごとに養父を見る。
「見ても早く減らんぞ」
「食べてる」
「口が止まってる」
入口から足音がした。
昔から地上を信用していない男が入ってくる。
主人公は箸を置いた。
「ちょうどいい」
「何が」
「聞きたい」
「俺に?」
「親父にも」
男が養父を見る。
「何の話だ」
「食ってからにしろ」
「お前はそればかりだな」
「空腹で話すと余計こじれる」
「もうこじれてる」
「なら食え」
男は一瞬黙り、空いている椅子へ座った。
「俺の分は」
「ない」
「座らせた意味は」
「待て」
主人公が笑う。
「親父、強い」
「お前は食え」
食事が終わるまで、研究の話は始まらなかった。
主人公が皿を空にすると、養父が湯を飲んだ。
「で」
「俺が持ってきたデータ」
「聞いた」
「研究にも使ってるって」
「一部は知ってた」
「何で言わなかった」
「お前が帰ってきた日に、知ってること全部並べる話か」
「じゃあいつ言うつもりだった」
「必要になったら」
「今?」
「今だな」
強硬な男が腕を組む。
「役に立つものを調べて何が悪い」
「悪いって言ってない」
「顔が言ってる」
「顔で決めるな」
「じゃあ何が気に入らない」
主人公は少し考えた。
「医療に使ってた」
「いいことだ」
「それは俺もそう思う」
「なら何だ」
「それ以外」
男はすぐには答えなかった。
「調べる」
「何を」
「使えるかどうか」
「何に」
「守るために」
主人公は友人が言った言葉を思い出した。
これ。
ここ。
守りたい。
「抑止?」
「そうだ」
男が頷く。
「相手が手を出せば損をする。それが分かれば、手を出しにくくなる」
「誰に」
「敵に」
「誰が敵」
「ここを脅かす者だ」
「共生人?」
「今もっとも想定しやすいのはな」
主人公は即座に聞いた。
「姉ちゃんは?」
男が黙る。
「何」
「姉ちゃん」
「お前の姉はここを襲うのか」
「襲わない」
「なら敵じゃない」
「姉ちゃんの子は」
養父が主人公を見る。
主人公は二人の顔を順に見た。
「もし、共生人に効くものを作ったら」
口にした途端、さっきまで遠かった話に顔がついた。
「姉ちゃんにも」
言葉が少し遅くなる。
「あの子にも、効くの」
男はすぐには答えなかった。
「まだ、そんなものができたとは言ってない」
「できたら」
「仮定で話しても」
「できたら」
養父が先に答えた。
「対象を選べないなら、その問題は出る」
「親父」
「研究と使用は別だ」
「別?」
「知らなきゃ選べん」
「何を」
「使えるか。使えないか。使うべきか。使わないべきか」
「でも、作ったら使える」
「作らなくても、向こうが何を持ってるか分からん」
男が言った。
「また移行期みたいになったらどうする」
「今は違う」
「今が永遠に続く保証は?」
主人公は答えられなかった。
「ないだろ。だから備える」
昔なら、たぶんすぐ頷いた。
地上は奪った側。
地下は奪われた側。
守る。そのために備える。
それだけで話は終わった。
今は終わらない。
姉がいる。
姉の子がいる。
自分の部屋には、その子が作った用途のない金属の塊が置いてある。
「姉ちゃんたちが巻き込まれるものでも?」
「巻き込ませないために考える」
「どうやって」
「だから研究する」
「答えになってない」
「まだ答えがないから研究するんだ」
主人公は口を閉じた。
嫌だった。
でも、答えがないから調べるという部分だけは分かる。
それが余計に嫌だった。
「親父は賛成?」
「調べることには」
「使うのは」
「別に決める」
「誰が」
「その時に決める人間が」
「曖昧」
「今ここで決めたふりをする方が危ない」
「甘い」
男が養父へ言う。
「お前は早すぎる」
「遅ければ死ぬ」
「早ければ殺す」
二人の視線がぶつかった。
主人公は交互に見る。
「二人とも研究には賛成じゃないの」
「研究にはな」
男が答える。
「理由が違う」
養父も言った。
「俺は、使わずに済むために使えるものが要ると思ってる」
男が言う。
「持っていると分かれば、相手が手を出さないこともある」
「俺は」
養父は空になった皿を重ねた。
「使えるかどうかも分からんものを、知らんままにしたくない」
「同じじゃない?」
「違う」
二人の声が重なった。
「めんどくさ」
「お前が聞いた」
養父が皿を持って立つ。
そのとき、奥の通路を数人が通った。
紙の束を抱えている。
主人公の位置から読めたのは三つだけだった。
《旧系統》
《接続規格》
《適合確認》
「何あれ」
「古い設備の確認」
養父が答える。
「L-04?」
「知らん」
「また?」
「本当に知らん」
強硬な男が紙の消えた通路を見る。
「旧設備なんていくらでもある」
「何に使う」
「使えるものがあるか見る」
「またそれ」
主人公は紙を追わなかった。
L-04が何なのかは気になる。
でも、今聞きたいことは別だった。
「もし」
男を見る。
「姉ちゃんと、あの子に効くなら」
「……」
「俺は嫌だ」
「そうか」
「それだけ?」
「お前が嫌だと言うのは、お前の判断だ」
「研究やめない?」
「それだけではな」
主人公の顔が曇る。
養父が皿を置いた。
「でも、言え」
「何を」
「嫌なら嫌だと」
「変わる?」
「何かは」
「何かって」
「黙ってるよりは変わる」
主人公はしばらく床を見た。
「前は」
「うん」
「共生人に効くなら、それでいいと思ってたかも」
強硬な男が聞く。
「地上を見たからか」
「姉ちゃんに会ったから」
「同じだ」
「違う」
「どう違う」
「地上全部じゃない」
主人公は顔を上げた。
「姉ちゃんと、あの子」
男は少し黙った。
「それで十分変わる」
「変わってない」
「変わった」
「変わってない」
「その喧嘩は後にしろ」
養父が割って入る。
抑止。
言葉だけなら遠かった。
敵。
言葉だけなら顔がなかった。
今は違う。
姉の顔がある。
あの子の黒く汚れた頬がある。
地上の店、公園、医務区画で会った人たちがいる。
だから「守るため」という言葉も、前ほど簡単には飲み込めない。
それでも地下も守りたかった。
養父がいる。
友人がいる。
狭い部屋がある。
水が流れ、灯りが点き、夕飯が焦げそうになる。
どちらかを消せば、話は簡単になる。
主人公はもう、その簡単さへ戻れなかった。




