第57話 俺が持ってきた
「L-04」
夕食の鍋を混ぜていた養父は、振り向きもしなかった。
「知らん」
「即答」
「知らんものは知らん」
「本当に?」
「疑うなら聞くな」
「じゃあ誰が知ってる」
「設備担当」
「友達が聞いた」
「なら待て」
「待てない」
「飯は待てるか」
「何で」
「焦げる」
主人公は鍋を見た。
「……待つ」
「賢い」
「それ褒めてる?」
「今日はな」
湯気の向こうで養父が火を弱める。
昨日見つけた四文字が、主人公の頭から離れない。
L-04。
用途は空白。地図には行先がない。それでも電気だけは流れている。
何なのか。
聞けば分かると思っていた。
養父も知らなかった。
食べ始めて半分ほどしたところで、入口から声がした。
「いるか」
医務区画の担当だった。
養父が箸を止める。
「どっち」
「そいつ」
「俺?」
「来い」
「何」
「見せたいものがある」
主人公は皿を見る。
養父が言った。
「食ってから」
「今?」
「今」
担当も椅子へ腰を下ろした。
「待つ」
「何でみんな飯を優先するの」
「食えるときに食う」
「地下の掟?」
「生活」
結局、主人公は残りを食べた。
医務区画には、昨日も見た子どもがいた。
母親の隣で、まだ少し咳をしている。
「治ってない?」
「昨日よりいい」
母親が答えた。
担当は奥を指す。
「今日はそっちじゃない」
「じゃあ何」
机の上に端末と紙が置かれていた。
画面には文字と図が並んでいる。
主人公にはほとんど読めない。
「これ」
担当が画面の一部を指した。
「見覚えあるか」
「ない」
「研究棟」
主人公の視線が止まった。
「……何で」
「お前が持ってきた」
「俺が?」
「正確には、お前が地下へ送った」
あの夜を思い出す。
研究棟。
端末。
姉の痕跡を探していた。
帰る方法も、薬も、役に立ちそうなものも、役に立つかもしれないものも、分ける余裕がなかった。
見つけたものをまとめて送った。
「まだあったの」
「ある」
「俺が持ってた端末は」
「それは知らん」
「じゃあ何で残ってる」
「複製したから」
「誰が」
「最初に受け取った連中」
「元を消したら?」
「意味ない」
担当は画面を切り替えた。
「解析用」
別の保存先。
「医務用」
また別。
「原データ保全」
さらに別。
「もう分かれてる」
「いつ」
「お前が地上で迷子になってた頃」
「迷子じゃない」
「帰れなかったんだろ」
「それは」
「迷子」
「違う」
「そこはどうでもいい」
「そっちが言ったんだろ」
担当は紙を一枚抜いた。
「これを見せたかった」
「何に使ってるの」
主人公の声が少し低くなる。
「治療」
「だけ?」
担当は一拍置いた。
「俺が知ってる範囲では、治療と解析」
「解析って何」
「使える部分を調べる」
「何に」
「いろいろ」
「いろいろやめて」
「じゃあ医療の話からする」
紙に一人の記録があった。
「こいつ」
「誰」
「患者」
「知ってる?」
「顔は」
主人公にも覚えがあった。
年上の男。
階段を上るのが遅く、途中でよく壁へ手をついていた。
「前は薬が合わなかった」
「うん」
「地上から入る薬も効きが悪かった」
「うん」
「お前が持ってきたデータに、共生系の代謝安定化についての記録があった」
「共生人の?」
「そう」
「人間に使ったの?」
「そのままじゃない」
「じゃあ」
「仕組みの一部を参考にした」
「使えるの」
「使えた」
「本当に?」
「本人に聞け」
担当は廊下へ出た。
ちょうど向こうから、その男が歩いてきた。
主人公もついていく。
「……元気?」
男が怪訝そうに見る。
「何だ急に」
「階段」
「何」
「前、遅かった」
「悪かったな」
「今は」
「少し楽だ」
「何で」
「医務に聞け」
「聞いた」
「じゃあ何で俺に聞く」
「本当か確認」
「失礼なやつだな」
男はそのまま階段へ向かった。
主人公は後ろから見ていた。
前より速い。
途中で一度止まった。
それでも休む時間は短く、そのまま上へ消えた。
「治した?」
「治してない」
担当が横で言う。
「改善」
「同じじゃないの」
「違う」
「でも役に立った」
「それはそう」
主人公は医務室へ戻り、もう一度画面を見る。
自分が盗んだ。
自分が送った。
そのデータが、誰かの身体を少し楽にした。
「これ、盗んだやつだよ」
「知ってる」
「まずくない?」
「まずい」
「使っていいの」
「その話は別」
「別にできる?」
「できないから、まずいと言ってる」
主人公は黙る。
「じゃあやめる?」
担当が逆に聞いた。
「今、目の前で効いてるものを?」
「でも盗んだ」
「だから決める必要がある」
「誰が」
「知らん」
「知らんの?」
「俺は医療担当だ。勝手に地下全部の規則を決めるな」
「俺が持ってこなかったら」
「この方法は、ここにはなかったかもしれない」
「じゃあ」
「お前のおかげ、とだけ言う気はない」
「何で」
「盗んだから」
「……うん」
「でも、役に立ってないとも言わない」
「うん」
主人公は、それが少し嫌だった。
どちらかにしてほしかった。
持ってきてよかった。
持ってきたのが間違いだった。
どちらかなら、簡単だった。
「他は」
「何」
「解析用」
「やってる」
「何を」
「全部は知らない」
「誰が知ってる」
「研究側」
「どこ」
担当は首を振った。
「それを聞きたいなら、俺じゃない」
主人公の頭に昨日の文字が浮かぶ。
「L-04?」
「何それ」
担当の眉が寄った。
「知らない?」
「知らない」
主人公は顔を見る。
本当に知らなそうだった。
L-04と研究側が同じなのか。
違うのか。
今のところ、何もつながっていない。
「データ、もう消せない?」
「俺のところだけ消しても?」
「全部」
「全部は俺も把握してない」
「……そっか」
研究棟から持ってきたものは、もう主人公の手の中にはなかった。
持ち帰った時点で終わった出来事でもなかった。
人の手へ渡った。
複製された。
読まれた。
別の形へ変えられた。
使われた。
廊下へ出ると、さっきの男が向こうを歩いていた。
少しだけ、以前より楽そうに見える。
「俺が持ってきた」
主人公が小さく言った。
「一部はな」
「一部?」
「治療にしたのは俺たち」
主人公は担当を見る。
「そっか」
盗んだのは主人公だった。
読んだのは別の人だった。
治療へ変えたのも別の人だった。
楽になった身体は、また別の人のものだった。
因果は一本ではなかった。
それでも、その最初の一本には、自分の手が触れていた。




