↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
55/95

第55話 知らない十八年


 大扉の向こうに、今日は姉のパートナーがいた。


 主人公はその隣を見た。


「子どもは?」


「今日は学校」


「来ないの」


「毎日は来ないよ」


「別に待ってない」


「そう」


「何」


「いや」


「何だよ」


「叔父さんになったなと思って」


 主人公は顔をしかめた。


「姉ちゃんから聞いた?」


「全部聞く」


「最悪」


「昨日、工作したんだって?」


「それも?」


「部屋に飾るんだろ」


「姉ちゃん」


 少し先を歩いていた姉が振り返る。


「秘密とは言われてない」


「同じこと言ってる」


「事実だから」


 三番線まで来たところで、姉が荷物を示した。


「確認してくる。少し待ってて」


「俺も行く?」


「今日はいい」


「じゃあ俺も」


 パートナーが言うと、姉は首を振った。


「二人で待ってて」


「何で」


「何ででも」


 姉はそのまま奥へ行った。


 二人だけが残る。


 沈黙した。


「……」


「……」


「座る?」


「いや」


「そう」


 また沈黙する。


「姉ちゃん」


 主人公が呼ぶ。


「本人いないよ」


「知ってる」


「今、逃げようとした?」


「してない」


「そう」


「その言い方やめて」


 パートナーは少し笑った。


「ここで育ったんだね」


「うん」


「ずっと?」


「ほぼ」


「大変だったね」


 主人公の眉が寄る。


「何が」


「地下で」


「何で大変って決めるの」


「決めたつもりは」


「今言った」


「環境として、地上より不便そうだから」


「俺には普通」


 パートナーは一度口を閉じた。


「悪かった」


「別に」


 主人公も少し間を置く。


「そっちは」


「何?」


「姉ちゃんと地上で」


「うん」


「楽だった?」


「何で?」


「地上だから」


「今の、君が怒ったのと同じじゃない?」


 主人公は止まった。


「違う」


「どう違う?」


「……今考えてる」


「じゃあ待つ」


「待たなくていい」


「どっち」


 主人公は諦めた。


「楽な時もあった?」


「もちろん」


「大変な時も?」


「もちろん」


「普通に?」


「普通に」


「普通って便利だな」


「さっき君も言った」


「言った」


 二人とも少しだけ笑った。


 主人公は壁にもたれず立ったまま、次の言葉を探す。


「姉ちゃんが移行したとき」


「うん」


「止めなかった?」


 パートナーは主人公を見る。


「何で?」


「怖いだろ」


「怖がってたよ」


「じゃあ」


「だからって、僕が決めることじゃない」


「家族なら」


「家族だから」


 主人公には、その答えがすぐには入らなかった。


「俺なら止めた」


「知ってる」


「何で知ってる」


「会ってから見てれば分かる」


「嫌?」


「何が」


「俺が止めること」


「君が姉を大事にしてることは嫌じゃない」


「じゃあ」


「君が大事にする方法と、僕の方法が違うだけ」


「でも」


「うん」


「姉ちゃんが変わる前を」


「僕は知らない」


 返事は早かった。


「そう」


「五歳の弟を探してた頃も知らない」


「うん」


「君たちの昔の家も知らない」


「うん」


「昔の彼女も知らない」


「じゃあ」


 主人公は言いかけた。


 俺の方が姉を知っている。


 けれど、昨日聞いた十八年が、その言葉を止めた。


「何?」


「……俺の方が、昔の姉ちゃんを知ってる」


「それなら、そうだと思う」


 パートナーは怒らなかった。


「僕は今の彼女を知ってる」


「俺も知ってる」


「会って何日?」


「日数の話?」


「十八年の話をするなら」


 主人公はむっとする。


「じゃあ俺の十八年は?」


「知らない」


「地下で何してたか」


「知らない」


「親父も友達も」


「昨日少し会っただけ」


「じゃあ」


「だから、知らないって言ってる」


 主人公の言葉が止まった。


 相手は勝った顔をしていない。


 本当に知らないと言っているだけだった。


「君が知らない彼女を、僕は知ってる」


「うん」


「僕が知らない彼女を、君は知ってる」


「うん」


「彼女が知らない君を、ここの人たちは知ってる」


「うん」


「それでいいんじゃない?」


「よく分かんない」


「僕も言ってて少し分からない」


「何だよ」


「でも、全部知ってる人はいないってこと」


 主人公は答えようとした。


 その前に、通路の横から声がした。


「地上に馴染んだ人間の言い方だな」


 主人公が振り向く。


 昔から地上を信用しない男が立っていた。


「何」


「姉も見ただろ」


「見た」


「どうだった」


「何が」


「もう向こうの人間だ」


 主人公の眉が寄る。


「姉ちゃんは姉ちゃん」


「そういう意味じゃない。考え方だ」


「何が」


「地上で十八年。共生人と暮らして、自分も移行して、子まで」


「子まで、何」


 男は一瞬止まった。


「同化された」


 その言葉を聞いた瞬間、主人公の中に昨日の姉の声が戻った。


 探した。


 探さない日が増えた。


 学校へ行った。働いた。誰かを好きになった。


 怖がった。


 一度、延期した。


 それでも選んだ。


「違う」


 主人公は言った。


「何が」


「姉ちゃんは」


 全部を説明する言葉は出ない。


「されたんじゃない」


「同じことだ」


「違う」


「地上で生きれば、地上の考えになる」


「地下で生きたら?」


「何?」


「地下で十八年生きた俺は、地下に同化された?」


 男の顔が少し変わった。


「お前は生き残った」


「姉ちゃんも」


 今度は男が黙った。


 主人公は隣のパートナーを見る。


「何か言えよ」


「僕が言うと、地上側の弁護になるから」


「ずるい」


「君が言った方がいい」


「俺、地上好きになったわけじゃない」


 主人公は男へ向き直る。


「なら分かるだろ」


「姉ちゃんの選んだこと全部、いいとも思ってない」


「なら」


「でも」


 主人公は息を吸う。


「姉ちゃんが十八年、生きたのを、同化って一言で終わらせるのは違う」


 男は主人公を見た。


「お前は変わった」


「今それ言う?」


「事実だ」


「まだ分かんない」


「何が」


「俺が」


「何の話?」


 姉の声だった。


 三人が少し黙る。


 姉は荷物を抱えたまま、顔をしかめた。


「嫌な予感」


 主人公は隠さなかった。


「姉ちゃんが地上に同化されたって」


「誰が」


「俺だ」


 男が答える。


 姉は男を見る。


「そう」


 怒鳴らなかった。


「じゃあ、どこからが私じゃなくて、地上なんですか」


 男が止まる。


「移行?」


「それより前から地上に住んでます」


「結婚?」


「その前にも仕事してます」


「学校?」


「その前は弟を探してました」


 姉は一歩も近づかない。


「どこで同化されたんですか」


 男は答えない。


「私は十八年、毎日同じ人だったわけじゃないです」


「それは」


「変わりました」


 主人公は姉を見る。


「でも、誰かに一回で変えられた十八年でもないです」


「それを地上の影響と言ってる」


「影響は受けました」


 姉は否定しない。


「地下にいた弟も、地下の影響を受けてます」


「当然だ」


「なら、影響を受けることと、同化されることは同じですか」


 男は答えなかった。


 姉も答えを迫らなかった。


 帰る時間になった。


 大扉へ向かう途中、パートナーが主人公の横へ来る。


「さっき」


「何」


「君の十八年、大変だったって言ったこと」


「うん」


「撤回する」


「大変じゃなかったわけじゃない」


「難しいな」


「大変だったけど」


 主人公は地下の通路を見た。


「それだけじゃない」


「分かった」


「そっちも?」


「同じ」


 前を歩いていた姉が振り返った。


「二人とも遅い」


「姉ちゃんは分かってた?」


「何を」


「自分の十八年」


「自分のなら」


「ずるい」


「本人なので」


 大扉が開く。


 姉とパートナーは地上へ戻る。


 主人公は地下に残る。


 十八年ずつ。


 同じ長さなのに、中身は互いにほとんど知らない。


 それを一言で決めるのは、たぶん簡単だった。


 地下。


 地上。


 旧人類。


 共生人。


 同化。


 生き残り。


 けれど、主人公は昨日、姉の十八年を聞いてしまった。


 自分の十八年も、ここで暮らした日々を一言にされたくないと思った。


 知らない十八年は、短い言葉ほど簡単ではなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。