第49話 ありがとう
「いた」
主人公が言うと、隣の姉が眉を上げた。
「何が?」
「親父」
「人を物みたいに言わないの」
少し先で、養父が鍋を混ぜていた。
主人公は鼻を鳴らす。
「飯?」
「飯」
「また?」
「昼だ」
養父は振り向きもしない。
姉が通路の時計を見る。
「まだ昼なんだ」
「地下だと分かんなくなるだろ」
「お前は時計を見ろ」
「俺に言った?」
「他に誰がいる」
「姉ちゃん」
「私は今日来たばっかり」
「じゃあ俺か」
主人公が近づくと、養父はようやく振り返った。
「親父。姉ちゃん」
「見れば分かる」
「分かるの?」
「お前に似てる」
「似てない」
「似てません」
二人の声が重なった。
養父は一度だけ二人を見比べる。
「似てる」
「どこが」
「そこ」
「雑」
姉は小さく笑ってから、少しだけ姿勢を正した。
「初めまして」
「初めまして」
「弟が」
「世話になってる」
「俺ここにいる」
「黙ってろ」
「どっちに言われた?」
「お前」
また二人の声が重なる。
「はい」
主人公は黙った。
姉は養父を見る。
「私、昨日会ったばかりなんです」
「聞いた」
「十八年ぶりで。まだ知らないことばっかりで」
「うん」
養父は鍋の火を少し弱めた。
姉が息を吸う。
「ありがとうございました」
主人公は姉を見る。
養父もすぐには返さなかった。
「何が」
「弟を、生かしてくれて」
姉の視線が一度、主人公へ向く。
「育ててくれて」
養父は鍋から手を離さなかった。
「俺一人じゃない」
「はい」
「こいつも自分で生きた」
「はい」
「面倒見たやつは他にもいる」
「それでも」
姉は引かなかった。
「あなたが家族だったって、聞きました」
「家族って言ったっけ」
主人公が口を挟む。
「親父って言ってた」
「それだけで?」
「十分でしょ」
養父が主人公を見る。
「余計なこと言うな」
「何で俺」
「照れてる」
姉が言う。
「違う」
養父が即答した。
「ほら、似てる」
「何が」
「そこ」
今度は主人公が笑った。
養父は露骨に嫌そうな顔をした。
「俺は拾っただけだ」
「拾った?」
「言い方」
主人公が眉を寄せる。
「倒れてたから拾った」
「それ初めて聞いた」
「言ってないからな」
「何で」
「飯食わせたら起きた」
姉が口元を押さえた。
「犬みたい」
「笑うな」
「ごめん」
「姉ちゃん」
「ごめんって」
謝りながら、まだ笑っている。
養父は空いた皿を二枚取り出した。
「食うか」
「いただきます」
「姉ちゃん、さっき食べたって」
「食べる」
「俺は」
「お前も」
「何で」
「昼だから」
「その理屈強いな」
三人で机についた。
姉が一口食べて、少しだけ目を見開く。
「濃い」
「だろ」
主人公が嬉しそうに言う。
「地上かぶれが増えた」
養父が呟く。
「私、地上です」
「知ってる」
一瞬だけ空気が止まった。
姉は箸を置かなかった。
「弟から聞きました」
「何を」
「ここでは、地上を信用してない人が多いって」
「多い」
「あなたも?」
「信用してない」
主人公の口が止まる。
姉は養父をまっすぐ見た。
「私も?」
「会ったばかりだ」
「じゃあ」
「まだ知らん」
姉が少し目を丸くした。
「共生人だから、じゃなく?」
「それで警戒はする」
養父は隠さなかった。
「だが、それだけでお前が何をするかまでは分からん」
「……そうですか」
「お前は?」
「何がですか」
「地下の人間を信用するか」
姉はすぐには答えなかった。
「弟は信用します」
「俺じゃなく」
「あなたは、弟を育てた人だから」
「それも答えじゃない」
姉は箸の先を見て、少し考える。
「じゃあ、まだ知りません」
「そうか」
「はい」
「同じだ」
主人公は二人を交互に見た。
「何これ」
「何が」
また声が重なる。
「もっと……」
言いかけて止まる。
何を期待していたのか、自分でも分からなかった。
喧嘩すると思っていたのか。
すぐ仲良くなると思っていたのか。
どちらも違う。
「……何でもない」
養父が姉へ視線を戻した。
「移行は、自分で決めたって聞いた」
「はい」
「俺は勧めん」
「分かります」
「今でもだ」
「はい」
「だが」
養父は主人公を見る。
「こいつの姉なのは変わらん」
姉はすぐには答えなかった。
「はい」
小さい声だったが、はっきりしていた。
「私も、地下で暮らすことを弟には勧めません」
「姉ちゃん」
「最後まで聞いて」
「はい」
「でも」
姉は主人公の皿を見て、それからさっき見てきた部屋の方向へ目を向けた。
「ここがこの子の家だっていうのは、今日見ました」
「今もだ」
養父が言う。
「はい。今も」
「子って言うな」
主人公が割り込む。
「そこ?」
「そこ」
食事は続いた。
地上と地下のどちらが正しいかは決まらなかった。
十八年前の歴史も終わらない。
姉は地下を選ばない。養父は地上を信用しない。
それでも同じ鍋からよそったものを食べている。
鍋だけが、話より先に減っていった。
食後、姉が手を合わせる。
「ごちそうさまでした」
「足りたか」
「十分です」
「こいつは」
「俺も十分」
「もう一杯」
「何で聞いた」
姉が笑った。
立ち上がる前に、もう一度養父を見る。
「さっきの、ありがとうは取り消しません」
「取り消されても困る」
「でも、全部に賛成したって意味でもないです」
「分かってる」
「なら、よかったです」
「俺も、お前が礼を言ったから地上を信用するわけじゃない」
「はい」
二人はそれだけ確認して、頷いた。
主人公はその間を見た。
昨日までなら、どちらかに寄ってほしかったかもしれない。
姉が地下を認めるか、養父が地上を認めるか。
けれど今、二人は互いを全部認めてはいない。
それでも同じ場所にいる。
「仲悪い?」
「まだ知らん」
養父が答える。
「まだ知りません」
姉も答えた。
主人公は吹き出した。
「似てる」
「似てない」
二人の声が、また同時に返ってきた。




