↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
48/95

第48話 弟の部屋


「ここ」


 主人公が足を止めた。


 姉はその横から奥を覗き込む。


「ここ?」


「うん」


「部屋?」


「うん」


「扉は?」


「ない」


「壁は?」


「ある」


「半分しかないけど」


「半分でも壁」


 姉は頭上も見た。


「天井、低いね」


「知ってる」


「さっきから全部それ言うね」


「毎日見てるから」


 寝床と、小さな棚。壁際には工具箱があり、畳んだ服と補修用らしい布が積まれている。人ひとりが暮らすには足りているが、地上の部屋を見たあとでは、主人公自身にも少し狭く見えた。


 姉は入口で止まったままだった。


「入っていい?」


「見に来たんだろ」


「そうだけど。部屋は部屋でしょ」


「いいよ」


 そこで初めて姉が一歩入る。


「狭い」


「今日二回目」


「だって狭い」


「寝るだけだから」


「本当に?」


「あと読む」


「何を?」


「いろいろ」


「どこにあるの」


 主人公が棚を指す。


 姉は並んだ本を数えた。


「三冊」


「いろいろ」


「三冊で?」


「何回も読める」


「強いな」


「何が」


 姉が一冊を抜いた。


「これ何?」


「配管」


「配管?」


「保守のやつ」


「面白い?」


「必要」


「面白い?」


「……少し」


「好きなんじゃん」


「違う」


「好きなんじゃん」


「戻せ」


 笑いながら姉が本を棚へ戻す。


「そこじゃない」


「どこ?」


「右」


「ここ?」


「もうちょい」


「細かい」


「姉ちゃんの家も皿の場所、細かかっただろ」


「生活ってそういうもの」


「じゃあ俺も同じ」


「はいはい」


 言ってから、姉はもう一度棚を見た。


 生活ってそういうもの。


 何でもない言葉だったのに、主人公には少しだけ残った。


 姉の視線が棚の下の箱へ移る。


「これ、開けていい?」


「駄目」


「何入ってるの?」


「駄目」


「怪しい」


「普通」


「普通なら見せられるでしょ」


「その理屈おかしい」


 姉は箱へ伸ばしかけた手を、すぐ引いた。


「じゃあ見ない」


「……見ないの?」


「駄目なんでしょ」


「うん」


「じゃあ見ない」


「……そう」


「何。見てほしかった?」


「違う」


「顔」


「姉ちゃん、それ禁止」


「何で」


「便利すぎる」


 姉が笑う。


 箱は閉じたままだった。


 その少し上、壁についた細い傷を姉が見つける。


「これ何?」


「工具飛ばした」


「何で?」


「失敗した」


「怒られた?」


「親父に」


「何て?」


「壁より先に手を見られた」


 姉の顔から笑いが消えた。


「怪我したの?」


「ちょっと」


「それから?」


「手当てされてから怒られた」


「……そっか」


「うん」


 それだけだった。


 姉は傷へ触れなかった。主人公も、そのとき何歳だったかまでは話さなかった。


 次に姉が見つけたのは、寝具の端に当てられた布だった。


「これ、自分で縫った?」


「親父」


「上手」


「下手」


「下手なの?」


「近くで見るな」


 言われて、姉は顔を寄せた。


「あ、本当だ。下手」


「だろ」


 二人で笑った。


 上手に縫われた布なら、たぶんここまで話題にはならなかった。


「写真ないの?」


 姉が部屋を見回す。


「ない」


「一枚も?」


「撮るものない」


「あなた」


「俺?」


「うん」


「自分撮ってどうする」


「そういうところ」


「何」


「別に」


 姉は自分の端末を取り出した。


「撮る?」


「今?」


「今」


「部屋汚い」


「いつなら片付くの」


「……今度」


「じゃあ今でいいじゃん」


「何で」


「今の部屋だから」


 姉が主人公の横へ並ぶ。


「近い」


「写真だから」


「もっと離れても撮れるだろ」


「顔、普通にして」


「普通」


「固い」


「これが普通」


「じゃあ笑って」


「無理」


「五歳のときは笑ってた」


「十八年前を持ち出すな」


 言い返した瞬間に撮影音がした。


「今撮った?」


「撮った」


「最悪」


「見てないのに?」


「分かる」


 姉が画面を確認する。


「悪くない」


「見せて」


「やだ」


「何で」


「私のだから」


「俺写ってる」


「弟だから」


「意味分からん」


 取り返そうとすると、姉が端末を背中側へ逃がした。


 さっきまで地下の音に肩を強張らせていた人間とは思えない。


「送る?」


「俺の端末ない」


「あ、そうだった」


「紙にできる?」


「できるよ」


「じゃあ……一枚」


「欲しい?」


「部屋に」


 姉は主人公を見た。


 今度は「顔」と言わなかった。


「分かった」


 部屋の外から声がした。


「おーい。工具知らない?」


「俺の部屋」


「どれ?」


「棚の下」


 顔を出した友人と姉の目が合った。


「あ」


「あ」


 主人公は二人を見比べる。


「友達」


「たぶんって言ってた人?」


「何でそれ言うの」


 友人の顔が主人公へ向く。


「たぶん?」


「違う」


「俺、たぶん?」


「姉ちゃん」


「本人に言えって言ったでしょ」


「今じゃない」


「俺、たぶん?」


「うるさい」


 友人は棚の下から工具を拾い上げた。


「どうも、お姉さん」


「いつも弟がお世話になってます」


「それ親が言うやつ」


「姉だから」


「便利だな、それ」


「だろ」


「便利じゃない」


「便利」


 主人公と友人の声が重なった。


「何で仲良くなるの」


 友人が笑いながら出ていく。


 その背中を見送って、姉が言った。


「友達じゃん」


「たぶん」


「まだ言う」


「本人には言わない」


「さっき聞かれてたよ」


「事故」


 姉は呆れたように笑い、それから寝床を見た。


「ここで寝てたんだ」


「今も」


「十八年?」


「場所は何回か変わった」


「そっか」


 姉は寝床へ勝手に座らなかった。


 主人公も、何歳のときにどこで寝て、いつこの場所へ移ったのかを説明しなかった。


 ただ、ここが今の弟の部屋だった。


「姉ちゃん」


「何?」


「狭い?」


「狭い」


「暗い?」


「暗い」


「嫌?」


 姉は少し考えた。


「私は住みたくない」


「正直」


「でも」


 棚を見る。本を見る。工具箱と、壁の傷と、下手な縫い目を見る。


「あなたがここで暮らしてるのは、分かった」


「暮らしてた、じゃなく?」


「今もだもんね」


「うん」


「現在形」


「そう」


 主人公は笑った。


 姉の家には、自分のための椅子が一つ増えた。


 この部屋には、姉の場所はまだない。


 それでよかった。


 住むためではなく、見に来たのだから。


 姉は見た。


 主人公は、棚の下の箱を少しだけ奥へ押した。


「それ何?」


「見ないって言っただろ」


「まだ何も言ってない」


「顔」


「それ私の台詞」


 狭い部屋には、二人分の笑い声が少しだけ余った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。