第46話 見に行く
朝から、主人公は枕元の紙を何度も見ていた。
姉にもらった番号。
「……何時ならいいんだ」
地上へ連絡する習慣などない。まして、十八年ぶりに再会した姉へ翌朝いきなり電話していい時間となると、見当もつかなかった。
「今じゃない」
隣で工具をいじっていた友人が言った。
「分かってる」
「じゃあ昼」
「昼ならいい?」
「知らん」
「何で言った」
「俺に聞くなよ」
友人が紙を見る。
「姉さん?」
「何で分かる」
「昨日からその紙、十回は見てる」
「見てない」
「十二回」
「増やすな」
結局、昼まで待った。
教えられた方法で連絡すると、思ったより早くつながった。
『もしもし』
「俺」
『表示で分かる』
「表示出るの」
『出るよ』
「怖」
『何が』
「いや、別に」
そこで会話が止まった。
『どうしたの』
「別に」
『用がないなら切るよ』
「待って」
『うん』
「昨日、俺の家の話しただろ」
『地下?』
「うん」
『見に行きたい』
主人公は紙を握ったまま固まった。
「……え」
『だから、見に行きたい』
「何で」
『何でって。弟が長く住んだ場所を、私は知らないから』
「危ないよ」
『あなたは住んでる』
「俺は慣れてる」
『じゃあ、慣れてない人は入れないの?』
「そうじゃなくて」
『見たいの』
主人公は返事をしなかった。
昨日なら、姉を地下へ連れていくことは自分の目的そのものだった。
けれど今、同じことを姉の口から聞くと意味が違った。
「俺が来いって言ったんじゃないからな」
『言われてない』
「帰れとも」
『それは昨日言われた』
「……あれは」
『でも今日は、私が行きたいって言ってる』
主人公は少し黙った。
「うん」
電話の向こうで別の声がした。
『待って。まだ決めてない』
姉のパートナーだった。
『私は決めたよ』
『あなた一人の問題じゃない。帰ってこられる保証は?』
主人公は反射的に答えた。
「帰す」
『あなたが?』
「俺が」
『どうやって?』
言葉に詰まった。
大扉には警備がいる。地下には規則がある。訓練担当もいる。地上や共生人を嫌う人間もいる。
自分が「大丈夫」と言えば安全になる場所ではない。
「……確認する」
『何を?』
「まず、入れるか。誰がいるか。どこまで行けるか」
『それから?』
「嫌なことがあったら、すぐ出る」
『出られる?』
「それも確認する」
『連絡は?』
「地下だと場所による」
『それじゃ困る』
「地上とつながる場所を決める。時間も決める」
『一人にしない?』
「しない」
『あなたが離れない?』
「離れない」
言ってから、主人公は考え直した。
「でも、姉ちゃんが一人にしてって言ったら、見えるところまでは離れる」
『細かい』
姉が笑う。
「細かくする」
パートナーの声はまだ硬い。
『武器は?』
「ある」
『正直だね』
「嘘ついて連れてく方が駄目だろ」
『誰が持ってるの?』
「警備。あと、持ってるやつはいる」
『共生人を嫌ってる人は?』
「いる」
『どのくらい?』
「分からない」
『それで行かせろって?』
「俺は……」
主人公は止まった。
行かせろ。
違う。
「俺が決めるんじゃない」
短い沈黙のあと、姉が小さく答えた。
『うん』
パートナーも言う。
『それは分かってる。でも、私は反対する』
『していいよ』
『それでも行くの?』
『行く』
『何でそこまで』
『見たいから』
『危険より?』
『危険があるなら、条件を作る』
主人公は黙って聞いた。
姉は昨日と同じように、自分で選んでいる。
けれど今回は、それをただ聞いて終わりにはしなかった。
「一回切る」
『え?』
「確認してくる」
『今から?』
「今から」
『急がなくていいよ』
「俺が急ぐ」
『何で』
「来るなら、ちゃんと来てほしいから」
姉が少し黙った。
『うん』
「また連絡する」
『待ってる』
通話を切ると、友人が工具から顔を上げた。
「来るの?」
「まだ」
「来たいって?」
「うん」
「お前が呼んだ?」
「違う」
今度は迷わなかった。
「姉ちゃんが決めた」
「そっか」
その言葉を、主人公はもう以前ほど嫌わなかった。
訓練担当の返事は予想通りだった。
「駄目だ」
「まだ全部言ってない」
「共生人を中へ入れる話だろ」
「姉ちゃん」
「共生人でもある」
「両方だよ」
「それで安全になるか」
「ならない」
即答すると、男がわずかに黙った。
「だから条件を決めたい」
主人公は一つずつ確認した。
「入口から俺が一緒」
「当然だ」
「行ける場所を先に決める」
「当然」
「帰る時間も」
「決める」
「大扉は?」
「警備と調整する」
「途中で帰りたいって言ったら」
「帰す」
「誰かが止めたら」
男は主人公を見た。
「俺が止める」
「俺も」
「お前は姉を見ろ」
「うん」
そこで終わらせず、主人公はもう一つ付け加えた。
「共生人だからって勝手に触るのもなし」
「誰が触る」
「検査とか」
「必要な確認はある」
「何をするか先に言う」
「……それはいい」
「勝手に何か採るのも」
「しない」
「本当に」
「しない!」
怒鳴られて、主人公は頷いた。
「ならいい」
「お前な」
その日のうちに警備とも話した。
主人公一人の希望では決まらなかった。入坑の確認、滞在範囲、連絡可能地点、帰還時刻。いくつも条件が付いた。
それでよかった。
夜、もう一度姉へ連絡する。
『もしもし』
「俺」
『表示』
「分かってる」
『覚えたね』
「明日、来られる」
向こうで小さく息を吸う音がした。
『うん』
「条件ある」
『聞く』
主人公は一つずつ話した。
入口。滞在範囲。時間。連絡。撤退。検査。警備。そして、危険がないとは言えないこと。
姉は途中で遮らず、一つずつ聞いた。
『それで』
「うん」
『あなたは来てほしい?』
主人公は答える前に少し考えた。
昨日までなら、《来てほしい》と《帰ってほしい》は同じ意味だった。
今は違う。
「見てほしい」
『何を?』
「俺の家」
『うん』
「でも、来るかは姉ちゃんが決めて」
少し間があった。
『行く』
主人公は目を閉じた。
「分かった」
明日、姉は大扉の反対側から来る。
主人公は内側で待つ。
連れて帰るためではない。
自分で来ると決めた姉を、迎えるために。




