第26話 記録する人
「記録します」
「何を」
「あなたが話したことを」
「全部?」
「必要なものを」
「誰が決める」
「まず私が聞きます。あなたも答えたくないものは言ってください」
「言わなくていい?」
「質問によります」
「結局駄目じゃん」
「言わない自由と、言わないと手続きが進まないことは両立します」
「またそういうの」
机の向こうの男は、少し笑った。
「そういう仕事です」
通されたのは、小さな部屋だった。
机と椅子が二つ。窓は細く、白い壁には何も貼られていない。
主人公は座る前に、机の上を見た。
「録らないの」
「今日は文書記録だけです」
「本当に?」
「録音するなら同意を取ります」
「隠してない?」
「探します?」
「いいの?」
「壊さないなら」
主人公は本当に探した。
机の下を覗く。壁を見る。天井の隅まで目を走らせる。
「ない」
「はい」
「変な人」
「よく言われます」
「嘘」
「初めてです」
「じゃあ言うなよ」
男は端末を開いた。
「始めます」
最初に聞かれたのは、地上へ出た目的だった。
「薬」
「誰の」
主人公は止まった。
「地下の人」
「名前は?」
「言わない」
男の指も止まる。
「理由は」
「関係ないから」
「あなたの地上行動の動機確認には関係します」
「薬が必要だった。それでいいだろ」
「薬を必要としていた人が実在するか確認できません」
「俺が嘘ついてるって?」
「可能性としては」
「いる」
「名前は?」
「言わない」
少しの沈黙。
男は端末へ入力した。
「では、匿名の第三者。医薬品確保目的と記録します」
「それでいいの?」
「今は」
主人公は少し驚いた。
「無理に聞かないんだ」
「必要になれば、また聞きます」
「嫌だ」
「その時また嫌だと言ってください」
次は研究棟だった。
許可なく入ったことは認めた。
侵入方法を聞かれると、主人公は首を振る。
「言わない」
「そこは必要です。同じ経路が今も使えるなら、施設側が塞ぐ必要があります」
「塞ぐの?」
「安全上は」
「じゃあ言わない」
「理由は?」
「俺たちが使うかもしれない」
男が顔を上げた。
「今後も侵入するため?」
「違う」
「では?」
「地下と地上の道」
「研究棟の侵入経路が?」
「全部は言わない」
男はしばらく主人公を見てから、端末へ視線を戻した。
「分かりました」
「分かったの?」
「あなたが経路情報を地下側の安全に関わると考えていることは」
「じゃあ書かない?」
「『経路情報の提供を拒否』とは書きます」
「書くんだ」
「記録する人なので」
「嫌な仕事」
「そうかもしれません」
持ち出したものについて聞かれた。
「データ」
「どの範囲」
主人公は黙る。
薬。
姉。
地図。
記録。
必要だったものと、必要じゃなかったもの。
「全部は覚えてない」
「本当に?」
「……いっぱい持った」
「なぜ?」
「使えると思った」
「何に」
「地下で」
「具体的には?」
「分からない」
「分からないものも持った?」
「うん」
男が入力する。
「そこ、書く?」
「重要です」
「消して」
「事実なら消せません」
「じゃあ言わなきゃよかった」
「そう思いますか」
「思う」
「訂正します?」
「嘘に?」
「事実が違うなら」
「違わない」
「なら残します」
主人公は椅子へ深く座った。
腹が立った。
男ではなく、自分に。
姉の話になると、今度は主人公から答えた。
名前。
旧住所。
当時の年齢。
覚えている身体的特徴。
「最後に見た状況は?」
そこで止まる。
五歳。
手。
声。
混乱。
「覚えてない」
「断片でも」
「手」
「手?」
「握ってた」
「お姉さんの?」
「たぶん」
「たぶん、と」
「それ書くの?」
「はい」
「役に立つ?」
「分かりません。後で別の記録と繋がることがあります」
主人公は自分の手を見る。
「あと」
「はい」
「名前呼ばれた」
「誰に」
「分からない」
「お姉さんが?」
「たぶん」
「それも、たぶん?」
「うん」
男はそのまま記録した。
分からないものを、分からないまま。
地下区画についての質問に移ると、主人公はまた口を閉ざした。
「人数」
「言わない」
「構成」
「言わない」
「場所」
「知ってるだろ」
「行政登録上の区画までは。内部配置は知りません」
「言わない」
「武器は?」
主人公の目が細くなった。
「言わない」
「研究棟から持ち出したものに、武器関連情報は」
「分からない」
「本当に?」
「分からない」
男はしばらく主人公を見る。
「では、未確認」
「嘘って書かない?」
「嘘だと確認できていません」
「疑ってる?」
「疑うことと、事実として書くことは別です」
主人公は黙った。
昨日から、別ばかりだった。
「一度確認します」
男が画面を主人公側へ回した。
「読んでください」
「長い」
「自分の記録です」
仕方なく読む。
薬を必要とする匿名の第三者。
無許可侵入。
経路情報提供拒否。
大量のデータ持ち出し。
用途不明のデータを含む。
姉。
旧住所。
手。
たぶん。
未確認。
「これ」
「はい」
「俺、悪いやつみたい」
「評価は書いていません」
「でも」
「あなたが話したことです」
「順番変えたら違って見える」
「変えたいところは?」
「薬を先」
「今も先です」
「姉も先」
「時系列では後です」
「じゃあ……」
言葉に詰まる。
「事実だけでも、見え方は変わる」
男が言った。
「だから確認してもらっています」
「俺が消してって言ったら?」
「必要な記録は消せません。ただし、誤りは直せます。推測は推測として残します。あなたが提供を拒否した情報を、話したことにはしません」
主人公はもう一度、画面を見た。
「じゃあここ」
「どこです」
「『大量』」
「はい」
「どれくらいから大量?」
男が止まった。
「確かに曖昧ですね」
「だろ」
「『複数領域のデータ』にします」
「それなら」
文字が修正される。
主人公は少しだけ前へ座った。
「ここも」
「はい」
「『用途不明』じゃなくて、俺には分からなかった」
「では、『本人が用途を把握していないデータを含む』」
「長い」
「正確です」
「じゃあそれ」
確認が終わった。
「署名を」
「また署名」
「内容確認です」
「書く」
主人公は名前を書く。
「これで姉ちゃん探すの進む?」
「家族照会担当へ必要部分を共有します」
「必要部分だけ?」
「はい」
「研究棟の話も?」
「家族照会には通常不要です」
「じゃあ行かない?」
「家族照会には」
「警察には残る?」
「残ります」
「嫌だな」
「そうでしょうね」
「でも姉ちゃんのは使う?」
「使います」
主人公は署名した紙を見る。
全部隠さなかった。
全部渡さなかった。
どこまでなら渡すか。
自分で決めた。
「次は?」
「照会結果を待ちます」
「また?」
「またです」
主人公は天井を見る。
「待つのばっか」
「記録は走りませんから」
「俺は走れる」
「知っています。逃げたので」
「それ記録した?」
「もちろん」
「消して」
「消しません」
主人公は笑った。
少しだけ。
そして、待つことにした。




