第23話 何に?
「何に?」
医者が聞いた。
「何が」
「何にアレルギーある?」
「ない」
「薬は?」
「飲んでない」
「持病」
「ない」
「手術歴」
「ない」
「移行処置歴」
「ない」
「ほんとに?」
「ないって」
「分かった」
医者は端末へ入力した。
主人公は診察台に座っている。警察へ戻ったあと、店で負った怪我を診てもらえと言われ、そのまま連れてこられた。
白い壁に、消毒薬の匂い。カーテンの向こうでは誰かが咳をしている。
「何で警察じゃないの」
「警察から来たんだよ」
「何で病院」
「怪我してるから」
医者が主人公の頬を指す。
「これ」
「平気」
「こっち」
脇腹。
「平気」
「手」
「平気」
「全部平気なら医者いらないな」
「うん」
「帰っていいよ」
「帰れる?」
「それは警察に聞いて」
「じゃあ帰れないじゃん」
「診察は帰っていい」
「ややこしい」
「そうだね」
医者は主人公の頬へ触れ、傷を確かめた。
その手を見て、主人公は気づいた。
普通だった。
耳も、目も、皮膚も、腕も。少なくとも主人公が知っている人間と変わらない。
「……あんた」
「はい」
「旧人類?」
医者の手が止まった。
「そうだけど」
「え」
「何」
「ここで?」
「ここで」
「働いてる?」
「今まさに」
「何で」
「医者だから」
主人公は黙った。
医者も黙った。
「続けていい?」
「何を」
「診察」
「あ、うん」
聴診器が胸へ当たる。冷たい。
「吸って」
吸う。
「吐いて」
吐く。
「もう一回」
「何で普通にいるの」
「息止めないで」
慌てて吐く。
「普通って?」
「地上に」
「住んでるから」
「危なくない?」
「何が」
「……あいつら」
「さっきの強制移行?」
「うん」
「危ないよ」
「じゃあ何で」
「危ない人がいるのと、ここで働くのは別だから」
「でも」
「はい、口開けて」
「話途中」
「喉見る」
主人公は不満そうに口を開けた。
「あー」
「あー」
「腫れてない」
「それだけ?」
「それだけ」
カーテンの向こうから声がした。
「先生、採血セット置きます」
「ありがとう」
若いスタッフが入ってくる。髪をまとめ、必要な道具を手際よく並べた。
「採血?」
「念のため」
「この人から?」
「そう」
「分かりました」
主人公は、その横顔を見た。
「何も言わないの」
「何をですか」
「俺」
「患者さんですよね」
「旧人類」
「はい」
「驚かない?」
「珍しくはあります」
「じゃあ驚いてる?」
「採血の方が気になります」
「何で」
「血管細いと難しいので。腕、見せてください」
差し出すと、スタッフの指が肘の内側を探った。
「大丈夫そうです」
「何が」
「一回で取れそう」
「そっち」
「そっちです」
針が出る。
「痛い?」
「少し」
「嫌だ」
「さっき喧嘩した人が?」
「喧嘩じゃない」
「失礼しました」
「止めた」
「はい」
「信じてない?」
「事情を知らないので」
針が刺さる。
「痛っ」
「すみません」
「やっぱ痛い」
「言いました」
管へ血が流れ込む。
赤い。
地下で見た血も、自分の血も、誰かの血も。
「同じ」
「何と?」
「いや」
スタッフはそれ以上聞かなかった。
「これ調べて何が分かる」
「感染、炎症、貧血。いろいろです」
「共生してるかも?」
「それは別検査です」
「やる?」
「必要なら」
「必要?」
「先生が決めます」
医者が端末から顔を上げた。
「今のところやらない」
「何で」
「本人が未移行って言ってて、身体所見でも急いで疑う理由がないから」
「嘘だったら」
「必要になれば調べる」
「信用するんだ」
「全部疑って全部検査したら、病院が先に死ぬ」
「病院って死ぬの」
「比喩」
「分かってる」
採血が終わる。小さな綿を押しつけられた。
医者が再び記録を開いた。
「地下で診てもらってた?」
「診る人はいる」
「医師?」
「知らない」
「資格は」
「知らない」
「使ってる薬は」
「地上から来たやつ」
「名前」
「知らない」
医者の眉が寄る。
「知らない多いな」
「困る?」
「困る。次に同じ薬を出すとき、重なったら困る」
「薬の子が飲んでるやつなら」
「君じゃないの?」
「俺じゃない」
「じゃあ今はいい」
端末を操作する。
「地下に医療記録ある?」
「あると思う」
「持ってこられる?」
「……分からない」
「無理なら無理でいい」
「怒らない?」
「何で」
「持ってこないと」
「困るけど、怒っても記録は生えない」
主人公は少し考えた。
「地上の薬、地下で使っていいの」
「処方された人が使うなら」
「旧人類でも」
「旧人類だから薬効が逆になるわけじゃない」
「でも身体違うって」
「違う部分もある」
「どっち」
「何と何を比べてる?」
主人公は止まった。
「……人間と」
「人間の何と?」
「今の」
「今の何?」
「だから」
言葉が出ない。
医者は急かさず待っていた。
「共生人」
「うん」
「旧人類と共生人」
「違うところはある」
「同じところは」
「ある」
「どっちが多い」
「質問が雑すぎる」
「じゃあどう聞くの」
医者が主人公を見る。
「何を知りたい?」
主人公は口を開いて、閉じた。
姉のこと。
移行のこと。
無常ちゃんのこと。
自分のこと。
地下と地上。
頭の中にあるものは多いのに、質問の形にならない。
「……分かんない」
「じゃあ、分かってから聞けばいい」
「今聞いちゃ駄目?」
「今でもいいよ」
「どっち」
「どっちでもいい」
「それ一番困る」
「そう?」
診察が終わった。
「骨は大丈夫そう。脇腹は打撲。手も軽い。頬は冷やして」
「終わり?」
「採血結果待ち」
「何分」
「少しかかる」
「また待つの」
「待つ」
主人公は露骨に嫌な顔をした。
「待つの嫌い?」
「役に立たないから」
「待つのも治療」
「何もしてない」
「身体がしてる」
「俺じゃない」
「君の身体でしょ」
主人公は黙った。
医者は次の患者の記録を開く。
「外で待って」
「警察いる?」
「いる」
「逃げたら」
「また追われるんじゃない?」
「医者は止めない?」
「私は診療中」
主人公は診察台から降り、扉へ向かった。
「先生」
「何」
「旧人類でも医者になれる?」
医者が見る。
「なってるけど」
「そうじゃなくて」
「何?」
「……いい」
扉を開ける。
待合には警察官がいる。その横で、普通の患者たちが順番を待っていた。
子供。
老人。
角のある人。
皮膚の透けた人。
人間にしか見えない人。
診察室では、旧人類の医者が次の患者を呼んでいる。
誰も振り返らなかった。
誰も騒がない。
主人公だけがその光景を何度も見直し、自分の中にあった「普通」の置き場所を探していた。




