第22話 残る
扉は開いていた。
地下の空気が来る。
湿っている。
古い金属。
水。
油。
家の匂い。
主人公は立っていた。
紙袋を持ったまま。
一歩。
入ればいい。
警察車両の音が近づいてくる。
「……」
足を上げる。
地下側へ。
置く。
身体の半分が扉を越える。
暗い。
落ち着く。
肩から力が抜けた。
「帰った」
誰もいないのに言った。
声が壁に返る。
帰れる。
本当に。
三番線。
養父。
訓練担当の男。
工具を貸してくれるやつ。
薬を待っていた子。
暖房。
食事。
寝床。
全部ある。
地上で見たものを話せる。
店のこと。
強硬派のこと。
変な店員たちのこと。
無常ちゃんが変わったこと。
警察から逃げたことは怒られる。
たぶん。
「帰れる」
もう一度言う。
今度は少し嬉しかった。
それで。
思い出した。
姉。
名前。
番号。
研究棟。
持ち帰ったデータ。
地上のどこかに。
生きているかもしれない。
あの店で聞くつもりだった。
古い記録。
まだ聞いていない。
「……あ」
それだけだった。
主人公は紙袋を見る。
開く。
冷めたバーガー。
残り。
食べる。
地下の入口で。
地上の店のものを。
変な感じだった。
「姉ちゃん」
口に出す。
答えはない。
昔の顔を思い出そうとする。
うまく出ない。
声。
手。
名前。
断片。
自分は何のために地上へ出た。
薬。
それは届いた。
研究棟。
行った。
データ。
持ち帰った。
役に立った。
なら。
もう帰っていい。
そういう順番だった。
なのに。
姉のことだけ。
終わっていない。
警告音が近づく。
主人公は振り返る。
地上側。
まだ誰も見えない。
走れば。
地下へ入れる。
扉を閉める。
内部経路を変える。
追跡を切る。
できる。
知っている。
何度も訓練した。
手が認証部へ伸びる。
《閉鎖しますか》
表示。
押せばいい。
指が止まる。
警察に戻りたいわけじゃない。
捕まりたいわけでもない。
地上が好きになったわけでもない。
共生人を信用したわけでもない。
あの街が正しいと思ったわけでもない。
ただ。
姉の痕跡が。
地上にある。
「……まだ」
指を下ろす。
扉は開いたまま。
奥から音がした。
主人公は振り返る。
足音。
一人。
訓練担当の男だった。
止まる。
「お前」
「……ただいま」
男は主人公を見る。
紙袋。
開いた扉。
地上。
「警察から連絡が来た」
「うん」
「逃げたとも来た」
「早い」
「何をしてる」
「帰ってきた」
「なら入れ」
「うん」
主人公は動かない。
訓練担当の男が眉を寄せる。
「何だ」
「姉ちゃん」
「……」
「まだ、何も分かってない」
「それで?」
「戻る」
「どこへ」
主人公は地上を見る。
「上」
「警察が探している」
「分かってる」
「捕まるぞ」
「たぶん」
「なら何で」
「姉ちゃん探す」
訓練担当の男は黙った。
「連れて帰るんじゃなかったのか」
「そうする」
主人公は即答した。
そこはまだ変わっていない。
「見つけて。話して。連れて帰る」
「同じだな」
「何が」
「出る前と」
「悪い?」
「別に」
男は主人公の顔を見る。
「ただ、お前は今、帰れるのに戻ると言った」
主人公も黙った。
そこだけ。
確かに違った。
「養父に」
主人公が言う。
「怒ってた?」
「心配してる」
「そっち?」
「怒るのは後だ」
「帰ったら?」
「帰ったらな」
主人公は少し笑う。
「じゃあ」
「何だ」
「まだ帰らない」
訓練担当の男は長く息を吐いた。
「俺が許可すると思うか」
「思わない」
「止めたら」
「行く」
「警察に突き出したら」
「困る」
「だろうな」
男は扉の横へ寄った。
主人公は身構える。
止められる。
そう思った。
「一つだけ」
「何」
「地下へ追手を連れてくるな」
「分かってる」
「分かってないから今こうなってる」
「……うん」
「連絡しろ」
「どうやって」
「考えろ」
「そこ教えてよ」
「自分で戻ると言ったのはお前だ」
主人公は口を閉じた。
「あと」
「まだある?」
「生きて帰れ」
それには。
すぐ答えられなかった。
「……うん」
小さく言う。
主人公は地下側から地上側へ出た。
さっき通った境界を。
逆に。
一歩。
もう一歩。
空がある。
広い。
やっぱり嫌だった。
警告音。
近い。
主人公は両手を見える位置へ上げた。
「ここ!」
自分から声を出した。
車両が止まる。
警察官が降りる。
「動かないで!」
「動かない!」
「なぜ逃げた!」
「帰りたかった!」
「ではなぜ戻ってきた!」
主人公は答えようとする。
長くなる。
やめる。
「姉ちゃん探すから」
「……何?」
「地上にいるかもしれない」
警察官は意味が分からない顔をした。
「その話は署で聞きます」
「またそれ」
「今度は逃げないでください」
「たぶん」
「たぶんでは困ります」
「じゃあ逃げない」
警察官が近づく。
主人公は逃げなかった。
後ろ。
地下への扉はまだ開いている。
訓練担当の男が立っている。
帰れる。
今でも。
主人公は前を向いた。
地上に残った。




