モエン・アーツィ
「ここか」
コロウスが言い放つ。
目の前には扉。ただの扉ではない。今までのものと違う雰囲気を醸し出すそれは、褐色に染まった両開きの扉であった。取手は艶がかった黒い木製で作られており、どこか気品を感じさせる。
だが、それを踏まえても異質なのが扉の表面。無数の目のような模様が施されており、まるでこちらを監視しているかのようであった。
コロウスは取手に手をかけると、ゆっくりと扉を――開いた。
「おー、なんと。ここまで生きて辿り着く者がいるとは、素晴らしい」
扉の先は書斎だった。
真紅の絨毯が敷き詰められ、壁一面には本棚が所狭しと並んでいる。そして何より目を引いたのは、部屋の中央だった。開けた空間の床に敷かれているのは、巨大な目の形を模した絨毯。その異様な敷物の上に、一人の人物が佇んでいた。いや――人と呼ぶには無理があった。
顔こそ眼鏡をかけた老年の男のそれであったが、髪はなく、耳は尖っている。胴体から足にかけては一般的な人間と比べれば半分ほどしかなく酷く貧相だ。しかし、肩から腕にかけては鬼人をも凌駕する太さを誇り、その手はコロウスの頭部を軽く掴んで握り潰せそうなほどに巨大であった。
「あれが、モエン・アーツィか」
コロウスが背後に視線を向けず、ベルゼバブに尋ねる。
「あぁ、そうなんだけど……どう思うササキ?」
「そうね。何か変ね。私の知っているモエンはもう少し小さい気がするわ」
「だよな。サイレントアプデでも入ったのかも。少し気を付けた方が良いかも」
「そうね」
ササキは右手を横に差し出すと、空間を裂くようにして巨大な斧――呪鬼を顕現させる。
腰を深く落とし、呪鬼の柄を両手で強く握り締めた。瞬きすらも忘れた瞳はモエンだけを捉えている。
「それ程の敵と言うことか……。バルちゃん、これは気を引き締めた方が良さそうだぞ」
ササキの尋常ならざる殺気に触発され、コロウスもまた闇の剣を構えた。誰よりも早く地を蹴り出せるよう、右足を大きく前に踏み込んだ極端な前傾姿勢。
「コロウス様。ご忠告ありがとうございます」
追従するようにバルバトスも、あの凛とした立ち姿で剣を突き立てる。
「素晴らしい。私を倒そうという気配が凄く感じます。私を倒せばこの知識の本はあなたのものです」
モエンは両手を広げた。そして、壁一面の本棚を見せびらかすかのように、くるくるとその場で何度も周り出す。
「さて、また今日も知識が増えますかな」
『知識の番人 モエン・アーツィ』
モエンがピタリと止まった時、彼の頭上にボスアイコンが表示された。ただのボス演出の筈、だがこれに不審がる人物がいた。
――ベルゼバブとササキだ。
彼等が不審がったのは、ボスアイコンではない。その前にモエンが発した言葉であった。
「バブちゃん、モエンにあんなセリフってあったけ?」
「いや、俺でも知らないな。普通は"知識を授けて下さい"の筈だが……」
ベルゼバブは眉を顰めた。その台詞は聞き間違えるはずがない。モエン周回は数百回どころではないのだから。
「ごちゃごちゃ言ってなくても、とりあえず切ってみれば分かることよ!」
先陣を切ったのはコロウスだった。下段に構えた闇の剣の先端を地面にこすりつけながら、モエンへと無防備に突っ走る。
「コロちゃん!」
ササキは叫ぶように声を荒げるが、コロウスは自信満々に笑って見せる。
「俺で試してみりゃ良いだろ! 三回まで死なないからよ!」
鼻先にはモエンの姿。
(捉えた)
切り上げ一閃。闇の剣がモエンの腹部を切り裂いた。
『Critical 421』
「えっ?」
誰からともなく声が漏れた。スキルなしの通常攻撃。倍率補正もないため、威力に期待できないのは確かだ。それでも、あまりにも低すぎた。
「残念」
モエンが巨大な腕を後ろに引いた。
コロウスには時が止まって見えた。
感じたのは恐怖。
絶対的な死だった。
「あなた知識の糧にならない」
モエンは拳を振り抜いた。
――刹那、鼓膜を破らんばかりの爆音が書斎に轟く。
目に見えぬ早さで飛ばされたコロウスは味方の脇をすり抜けて、壁へと深く埋まっていた。あわよくば、もう少しで壁を貫通していただろう。
『Critical 118752』
『HP 0/30000』
(ふざけやがって、ただの殴りだぞ。敵側が一撃でプレイヤーを消し飛ばすような火力って与えられていないだろ)
第一ゲージを瞬時に吹き飛ばされた壁の中で、コロウスは元ラスボスだからこそ、その異常さを肌で理解していた。
「コロウス様ー!」
悲鳴めくバルバトス。目を白く輝かせモエンを睨みつけた。そして、下肢を折りたたみ、深く腰を落とす。
「バルちゃん! 駄目よ!」
主を無惨に一撃で葬られ、怒りに我を忘れているバルバトス。ササキの忠告など、全く聞こえていなかった
「魔技【点死羽】」
曲げた下肢を伸ばし――地面を蹴って空高く飛び上がるバルバトス。
「魔技【点死突】」
標的はモエン、コロウスが切り裂いた胴体目掛けて、刃を突き立てて落下する。
重力を無視して堕ちるその速度は、先程のステイの時より非にならないほど早い。
「残念」
モエンが掌を開き前へと突き出す。
『Abnormality DEATH』
『HP 0/24000』
――肉が砕ける、鈍い音がした。
バルバトスの刃が届くよりも早く、モエンの異形な手が、その頭部を容赦なく握り潰していた。
即死エフェクトと共に、二万を超えるHPバーが強制的にゼロへと書き換えられる。
「バルちゃん……っ!」
今度は自分が地を蹴ろうとするササキ。だが、その肩を背後から凄まじい力で掴み、「待てっ!!」ベルゼバブの激しい怒号が、彼女の足を強引に止めさせた。
「明らかにおかしい。モエンの強さじゃない」
声を落とすベルゼバブ。
「あぁ、明らかにプレイヤーを殺しに来てやがる」
ベルゼバブは気配を感じ振り返った。
振り返った先は、先程コロウスが埋め込まれたクレーターのように抉れた壁の窪み。しかし、そこに彼の姿はなかった。
「ここだ」
ベルゼバブは視線を落とす。すると、そこにはどす黒い霧が漂い――その禍々しいオーラの中心で、胡座をかいて座り込むコロウスが不敵に笑っていた。
「とりあえず、第二フェーズ開始だな」
不気味に揺らめく霧を纏わせながら、コロウスはゆっくりと立ち上がった。
「バルバトス! 大丈夫か」
バルバトスの頭部は握り潰され、歪な形となり赤黒いエフェクトが激しく犇めく――その指先が僅かに動いた。
「……我が主の声……しっかり聞こえました。私も第二フェーズです」
赤黒いエフェクトが禍々しいノイズとなり、バルバトスの頭部を覆う。次の瞬間、ノイズが弾け飛ぶと、握り潰されていた肉体は完全に再生していた。
バルバトスもコロウス同様、第二フェーズへと移行していたのだ。
空気を蹴るような軽快なステップでモエンの間合いを抜け出すと、吸い込まれるようにコロウスの側へと鎮座した。




