第468話 エピローグ(1)
「ふぅっ……」
自室のパソコンの前で、キーボードをタッチしていた俺は、一息をつく。
ようやく第七部が完成だ。
やっと半分を超えたあたりで、まだまだ先は長い。
異世界での出来事を、物語調にまとめようと思って書き始めたはいいが、想像をはるかに超える大仕事になってしまった。
首や肩を動かし、コリをほぐす。
ティーカップに手を伸ばし、口に運ぶが、少しだけ残った紅茶はすっかり冷めていた。
リビングのほうから、声が聞こえてくる。
「大地くーん、お風呂沸いたけど、先に入るー?」
風音の声だ。
俺は椅子から立ち上がって、自室を出てリビングへと向かう。
「どうしようかな。ちょうど一息ついたところだから、入ってもいいんだけど。風音が先に入りたかったら、俺は後でいいよ」
「ううん、私は後のほうが都合がいいから。よければ大地くん、先に入っちゃってよ」
リビングに出ると、風音がキッチンで夕食の支度をしている姿が見えた。
エプロン姿で野菜を切っている。
またリビングには、もう一人と一体。
火垂はソファに寝そべって、だらけきった様子でテレビを見ていた。
今日は夕食当番じゃないからって、こいつ……。
火垂は俺の姿を見つけると、その瞳に喜色を浮かべてこう言ってきた。
「あ、先輩お風呂入るんすか? なんならうちも、一緒に入ってもいいっすよ♡」
後輩は、にひひっと笑う。
こいつももう二十歳だというのに……。
見た目は少し大人びても、中身はろくに変わらない。
相変わらず、事あるごとに俺をからかわないと気が済まないらしい。
でもそこは、危険ゾーンだと思うけどなぁ。
「……ほーたーるーちゃん?」
「ひぃっ……!」
台所から飛んできた風音の声は、普段より一段低かった。
包丁を手に、火垂に笑顔を向ける風音。
その瞳の奥は、まったく笑っていなかった。
ほらな、そこはダメだって。
あと風音の手にある包丁の刃がギラついているの、怖いんだけど。
「じょ、冗談っすよ冗談。あははっ、嫌だなぁ風音さん。うちが風音さんを差し置いて、本気でそんな抜け駆けするわけないじゃないっすか」
「だよねー、よかった。大地くんとのイチャイチャは、平等だよ?」
「う、うっす。心得てるっす。風音さんには逆らわねぇっす」
「うん、よろしい」
料理を再開する風音。
ホッとした様子で、胸をなでおろす火垂。
どうしてわざわざ危険ゾーンを踏みに行くのか。
火垂の俺に対するからかいは、実は脊髄反射のようなものなのかもしれない。
俺は苦笑しつつ、二人と一体に声をかける。
「じゃ、お言葉に甘えて、先に入らせてもらうわ。グリフも一緒に入るか?」
「クピッ、クピィッ♪」
火垂と一緒にテレビを見ていたグリフ(もちろんペットサイズ)が、後輩のもとからパタパタと飛んできて、俺の腕の中に収まる。
「いいっすよねー、グリちゃんは。先輩と一緒にお風呂入れて」
「クピィッ?」
「ほら火垂ちゃん、グリフちゃんに嫉妬しないの」
「はぁいっす」
そんなやり取りを背中越しに聞きつつ、風呂場に向かう。
脱衣所に入って、服を脱ごうとしたところで、スマホが鳴った。
……ん、誰だ?
ズボンのポケットからスマホを取り出して見ると、そこには「防衛省ダンジョン探索局長 佐竹」と表示されていた。
佐竹さんか。
こんな時間に珍しい。何かあったのかな。
と思っていると、ほぼ同時に──
ウゥウウウウウウウウーーッ!
けたたましい警報が、家の外から聞こえてきた。
あー、このパターンは──
俺は事態を半ば予想しつつ、スマホの着信を受ける。
「はい、六槍です」
『すまない六槍くん、緊急事態だ。川崎の河川敷ダンジョンで、再びオーバーフロー現象が起こった』
「やっぱりそれですか」
オーバーフロー現象。
ダンジョンから地上にモンスターがあふれ出してくる異常事象のことだ。
本来であれば、探索者が定期的にダンジョンに潜り、一定数以上のモンスターを狩り続けていれば起こらないはずの現象……のはずだった。
しかし近年、その原則が崩れるケースが全世界的に頻発しているのだ。
ちょうど俺たちが異世界から戻ってきた頃──今から二年ほど前からだ。
『大迫を中心に探索者たちが対応しているが、ファイアジャイアントの複数出現も確認され、戦力的に危うい状況らしい。そこに小太刀くん、弓月くんも一緒にいるか?』
「はい。オヤジさんたちだけだと、確かにキツそうですね。分かりました、二人も連れて急行します」
『いつもすまない。例の件も、働きかけてはいるのだが……』
「分かっています。今は時間がないので、切りますね」
『すまん。頼む』
通話しながら、リビングに戻っていた俺。
風音と火垂が何事かという様子で、俺のほうを見ていた。
通話を切ると、二人に伝える。
「河川敷ダンジョンで、オーバーフローが起こったらしい。オヤジさん達が対応しているけど、戦力が足らないって」
「またぁ? 最近どうなってるのよ」
「異世界から戻ってきて、あとは楽できるかと思ったら、なかなかそうもいかないっすね」
全員、自室で手早く着替えてから、憩いのマイホームを出る。
俺はガイアアーマーにガイアヘルム、神槍に盾。
風音は黒装束姿で、腰には二振りの短剣。
火垂はローブと三角帽子の魔法使い姿に、青白く輝くフェンリルボウ。
風音が戸締りを確認する一方で、俺は玄関前で【テイム】を使用。
巨大化したグリフに、俺と火垂がまたがる。
風音は自ら【フライト】の魔法を使い、宙へと浮かび上がった。
「そういえば大地くん。さっきの佐竹さんだよね。一夫多妻の件、何か言ってた?」
「働きかけてはくれているみたいだけど、なかなか難しいみたいだ」
「そりゃそうっすよね。やっぱうちら海外移住を考えたほうがいいんすかねぇ」
「それは日本政府も困るから、真剣に検討してるわけだろ。もう少し待ってみようぜ」
「私たちもずいぶんわがまま言ってるよね。ま、退く気もないけど」
「うちらみたいなのが力を持ってると、政府の中の人たちも大変っす」
「クアーッ」
グリフが羽ばたいて空へと飛びあがり、河川敷ダンジョンへと向けて速度を上げていく。
その隣には、魔法の力で飛行する風音が並んだ。




