↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
言葉に喰われた街の、逃げられない問い  作者: solune


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

43/50

第43話:『本尊顕現』

黄金色の光に照らされた、上層へと続く一本の階段。

冷たく無機質だった神殿の底から、確かな外の空気――アスファルトの乾いた匂いと、微かに混ざる朝露の湿り気が、上空から静かに吹き下ろしてくる。


トツ……、ズリッ……。


神谷創太の上履きの底が、階段の石段を重く擦る。

その一歩を踏み出すという行為自体が、今の彼の肉体にとっては、脳髄をヤスリで削り落とされるような極限の苦行であった。


「はぁ……はぁ……はぁ……ッ」


創太の気道からは、すでにまともな呼吸音は鳴らない。

胸のド真ん中に穿たれた拳大の貫通傷。そこから体外へ漏れ出すのは、黒く変色した血の泡と、肺を満たす湿った生臭い空気だけだった。息を吸い込もうとするたびに、折れた肋骨の断面が肺の表面をゴリゴリと削り、その激痛が首筋から頭蓋骨の裏側へと突き抜けていく。


右耳は、自ら金属針を深々と突き立てたことで鼓膜も三半規管も完全に破壊され、ドロドロの血の塊が耳の穴から首元へこびりついている。自傷によって肉を深く抉り、大腿骨まで達した左太ももの裂傷は、一歩体重をかけるたびに筋肉の繊維がブチブチと悲鳴を上げ、創太の意識を強引に白濁させようとしていた。


「……っ、……っ」


創太の右腕を自らの首に回し、その折れそうな体躯を必死に支えながら隣を登るのは、白石葵だった。


彼女の顔の左半分は、黒紫色の根の紋様に侵食され、皮膚の下で微かに脈打っている。回転ノコギリ刃に切り裂かれ、骨が剥き出しになった右腕は力なく垂れ下がり、強酸で皮膚を焼き溶かされた両脚からは、歩を進めるごとに生血がポタポタと石段へ滴り落ちていた。


声を失った彼女は、言葉を発することができない。

しかし、彼女が創太の腰に回した左手からは、彼女の命そのもののような強烈な体温と、「絶対に倒れさせない」という狂気じみた執念が伝わってくる。創太が足を滑らせそうになるたび、葵は自らの溶けた脚の激痛を無視して全体重をかけ、創太の身体を支え直した。


(もう少しだ……。この階段を登り切れば……)


創太は、唯一残された水野結衣のステンドグラス片に覆われた左の眼球を、必死に見開いた。

階段の先には、崩壊した黒いドームの隙間から覗く、青みがかった朝の空が見える。


一年前、鳴海詩織がたった一人で背負い込んだ絶望。

そして、この葛葉市を隔離し、何十人ものクラスメイトを肉の塊に変えた狂った怪異の理不尽なルール。

それらすべてを、自分たちは命を懸けて否定し、拒絶し、そして打ち破ったのだ。詩織の魂は光となって昇華し、生贄を要求する天秤は粉々に砕け散った。


だから、この道は必ず外へ繋がっている。

創太は、薄れゆく意識の底で、ただその確信だけを頼りに足を動かし続けていた。


トツ……。


十五段目を踏みしめた、その時だった。


チュチャッ……。


創太の過剰なまでに研ぎ澄まされた左耳の聴覚神経が、足元から鳴った「ある異音」を微かに捉えた。


(……なんだ? 今の、音は……?)


石の階段を上履きで踏む、硬い音ではない。

水溜りを踏んだような音でもない。

それは、生温かい肉の塊を、素足でねちゃりと踏み潰したような、極めて生理的な嫌悪感を煽る湿った摩擦音だった。


ズリッ……、グチュッ……。


次の瞬間、創太と葵の足元の「感触」が、決定的に変質した。


硬く安定していたはずの石の階段が、突如としてトランポリンのようにブヨブヨとした弾力を持ち始めたのだ。

上履きのゴム底が、足を踏み込むたびに、表面の何か粘り気のある液体にズルリと滑り、深く沈み込む。


「……っ!? 葵、止まれっ……!」


創太の喉から、掠れた警告が漏れた。

葵も異変に気づき、創太の腰を支えたまま立ち止まる。


二人が足元へ視線を落とした瞬間、彼らの瞳孔が、極限の恐怖によって針のように収縮した。


黄金の光に照らされていたはずの石の階段が、いつの間にか、ぬらぬらと濡れた『赤黒い舌の束』へとすり替わっていたのだ。

無数の太い舌が何層にも折り重なり、表面にびっしりと生えた巨大な味蕾(みらい)の粒が、二人の靴底を舐めるようにドクドクと蠢いている。


「な……んだ、これは……っ!?」


創太が驚愕の声を上げたその刹那、彼らを包み込んでいた「黄金の朝日の光」が、まるで古い蛍光灯が寿命を迎えたかのように、ジジジッ……という不快なノイズとともに、ドス黒い黄ばんだ脂肪の光へと瞬時に反転した。


上空から吹き下ろしてきていた爽やかな朝の風は、強烈な胃酸と、放置された内臓が放つ腐敗臭、そして鉄錆のような血の臭いが混ざり合った、致死的な『死臭の熱風』へと変わる。


ボタッ……ボタボタボタッ!


空から、雨が降ってきた。

いや、それは雨ではない。天井から垂れ落ちる、粘り気を帯びた熱い『唾液の雨』だった。


「嘘だろ……! 詩織の怨念は……あの核は、確かにぶち壊したはずだっ!」


創太の絶叫が、生温かい空間に虚しく響く。

葵が恐怖に身を震わせ、創太の背中にしがみつく。


彼らは気づいてしまった。

背後で崩壊していたはずの神殿の壁が、そして葛葉市を包んでいたドームの天蓋が、消滅したのではなかった。

空間のすべてが、まるで裏返された胃袋のように赤黒い粘膜と筋肉の繊維で覆い尽くされ、全方位から彼らを包み込むように、ゆっくりと、ゆっくりと『隆起』し始めていたのだ。


ズルルルルルルッ……! ゴルゴルゴルゴルッ……!


地鳴りのような、巨大な生物の腹鳴りが、空間全体を振動させる。


(……詩織の怨念は、確かに消えた。……だが……!)


創太の脳内で、凄惨な推論が組み上がる。

鳴海詩織という「悲しみを持った少女の魂」は、確かに彼らの回答によって浄化され、天へ還った。

しかし、この葛葉市には、この一年間で蓄積された『数万人の市民が放ち続けた悪意の言葉(言語の毒)』と、怪異によって殺され、解体された『2年B組の三十余名のクラスメイトたちの肉体パーツ』が、莫大な怨念の質量として、まだここに残されていたのだ。


魂(コントロールを司る心臓)を失ったそれらの膨大な毒と肉片は、消滅するどころか、タガが外れたことで完全に暴走を引き起こした。


理性を失い、ルールを持たず、ただそこにある全てを喰らい、咀嚼し、消化するためだけに存在する、純度百パーセントの悪意の塊。

それこそが、この怪異が最後に到達した、真の姿――『言葉の化物(本尊)』だった。


「あ……あぁ……っ……!」


葵の残された右目から、絶望の涙が溢れ出した。


空間が、蠢く。

上下左右、すべての粘膜の壁が波打ち、そこから、吐き気を催すようなグロテスクな「器官」が次々とその姿を現し始めた。


メチャッ……バキバキバキッ……!


壁の粘膜を突き破り、最初に現れたのは、巨大な『歯』の群れだった。

しかし、それはただの骨の歯ではない。


「ヒィッ……!」


創太は思わず一歩後ずさった。

壁から生え揃った何万本もの巨大な歯。その一本一本が、すべて『死んだクラスメイトたちの切断された身体パーツ』を強引に繋ぎ合わせて形成されていたのだ!


右側の壁から突き出した巨大な牙は、長谷川さくらの何十本もの腕が複雑に骨折した状態で絡み合い、先端に彼女自身のハサミを握りしめたまま、鋭利な切っ先を形成していた。


頭上の天井から垂れ下がる臼歯は、渡辺大樹の沸騰して赤黒く爛れた胴体が何百体もブロック状に圧縮され、グツグツと血の泡を吹きながら重しのように連なっている。


足元の舌の海からは、西条拓海の引きずり出された腸が幾重にもトグロを巻き、水野結衣のステンドグラスの破片がびっしりと突き刺さった、おぞましい剣山のような歯茎が隆起してくる。


菅原の金属針が毛のように生えた歯、工藤の眼球が表面に無数に埋め込まれ、ギョロギョロと動く歯、顔の皮だけを剥ぎ取られて何重にも縫い合わされた歯――。


彼らと机を並べていた、三十余名のクラスメイトたちの成れの果て。

彼らの手、足、眼球、皮膚、臓器が、意思を持たない『化物の咀嚼器官』として、巨大な壁画のように空間全体に構築されていく。


そして、その無数の肉の歯によって囲まれたこの空間の正体。


「ここは……階段じゃない……っ!」


創太の口から、絶望の真実が漏れ落ちた。


「俺たちは……超巨大なバケモノの……『口の中』にいるんだ……っ!」


黄金の光に見えたのは、化物の喉の奥から漏れ出る黄ばんだ瘴気。

階段だと思って登っていたのは、化物の下顎に生えた、舌と肉の隆起。


怪異は、街を包むドームそのものを、一つの超巨大な「肉の口腔」へと変異させていたのだ。


『ゴガァァァァァァァァァァァァァッ!!!!』


突然、空間全体を震わせる、鼓膜が破裂するような絶大な咆哮が、喉の奥底から吹き荒れた。


それは、クラスメイトたちの声帯がすべてミキサーにかけられ、何万倍にも増幅されたような、一切の言語を介さない「純粋な殺意のノイズ」だった。


創太の残された左耳が激しい痛みを訴え、彼は耳を塞ごうとしたが、両手は鉄パイプと葵を支えるので塞がっている。


ドズゥゥゥゥンッ! ドズゥゥゥゥンッ!


上下の壁に生え揃った、クラスメイトの肉体で構成された巨大な歯の群れが、プレス機のように上下に動き始め、空間を狭めようと接近してくる。

噛み砕かれる。

このままここにいれば、間違いなく、彼らもまたこの化物の「歯」の一部として肉片になるまですり潰される。


「葵……! 走るぞ……っ!」


創太は、折れかけた左太ももに、残されたすべての生命力を注ぎ込んだ。

限界を超えた肉体が、ブチブチと筋肉を断裂させる音を立てるが、今の創太に立ち止まるという選択肢はなかった。


「この口が……完全に閉じる前に……! 喉の奥へ……いや、外へ向かって駆け抜けるんだ!」


しかし、出口はどこだ?

前も、後ろも、上も下も、蠢く肉と、クラスメイトたちのパーツでできた歯の群れが迫り来るだけ。


言葉の化物・怪異の真の本尊。

一切のルールも、問答も、知性も存在しない。

ただ圧倒的な暴力と質量で、彼らの存在を咀嚼し、消化しようとする、究極の絶望の口腔。


血と唾液の雨が降り注ぐ中、創太と葵は、クラスメイトたちの肉片でできた巨大な歯が迫り来る『肉の迷宮』の中を、最後の生還を賭けて死に物狂いで走り出した。


ドズゥゥゥゥゥンッ! ドズゥゥゥゥゥンッ!!


上下左右の肉壁から突き出した、クラスメイトたちの手足や臓器で構成された巨大な『歯の群れ』が、プレスマシンのような凄絶な重低音を響かせながら、容赦なく迫り来る。


「はぁッ……! はぁッ……! 葵、絶対に離れるなっ!」


神谷創太は、焼け爛れて骨が露出した左太ももの裂傷からドバドバと血を垂れ流しながら、トランポリンのようにブヨブヨと波打つ赤黒い舌の海の上を、死に物狂いで駆け抜けていた。

彼の右腕の奥に抱きかかえられた白石葵も、強酸で皮膚を溶かされた両脚の激痛に声なき悲鳴を上げながら、創太の制服を破れんばかりの力で握りしめ、必死でその歩みに食らいついていた。


グチャッ! バキバキバキバキッ!


二人のすぐ真後ろで、天井から落下してきた長谷川さくらの腕が絡み合った牙と、床から隆起した西条拓海の腸がトグロを巻いた剣山の歯茎が激しく衝突し、凄まじい肉の破砕音を立てて噛み合った。


あと一秒遅れていれば、二人の身体はあの悍ましい肉の歯車に挟まれ、一瞬にして骨の髄までミンチにされていた。


「クソッ……! どこだ!? 出口はどこにある……!」


創太の左目――水野結衣のステンドグラス片に覆われた眼孔が、激しく明滅する黄ばんだ瘴気の空間を必死で睨みつける。


怪異の魂(鳴海詩織の怨念)はすでに浄化された。

今のこの空間は、統制を失い、ただ目の前にあるものを喰い潰すことだけを目的に暴走する『純度百パーセントの悪意の肉塊(暴走本尊)』に過ぎない。


問答も、知性あるルールも、もはや存在しない。

ただ圧倒的な物理的暴力が、二人の命を咀嚼しようとしているだけだ。


「ガハッ……! げほぉッ!」


創太の胸の貫通傷から、再び赤黒い血の泡がボコッと吹き出した。

失血による酸欠が脳細胞を急速に死滅させ、視界の端から徐々に黒いベールが降りてくる。過剰な左耳は、自らの心臓の鼓動が、もはや不整脈すら通り越して「痙攣」に近い状態で震えている終焉の音を、絶望的なまでに鮮明に拾い上げていた。


(だめだ……身体が……重い……。脚の感覚が……もう無い……)


創太の意識が、フッと遠のきかけた、その時。


「……ッ! ……ッ!」


腰に回された葵の左手が、創太の脇腹を狂おしいほどの力で抓り上げた。

爪が肉に食い込む鋭い痛みが、創太の意識を強引に現実へと引き戻す。


葵の残された右目が、「あそこを見て!」と訴えかけるように、前方の暗闇の一角を強く見据えていた。


「あれは……」


創太が視線を向けた先。

巨大な口腔の最奥、喉仏のあたりに相当するであろう粘膜の壁の一部に、かすかに白く光る「亀裂」のようなものが走っているのが見えた。


それは、詩織の魂が昇華した際に、街を覆う黒いドームの天蓋に走ったあの「浄化の光の亀裂」の残滓だった。

あの亀裂の向こう側にだけは、確実に現実の朝の光が、現実の世界(葛葉市)の空気が存在している。


「あそこだ……! あの光の隙間が、現実への最後の出口だ!」


創太は血に塗れた鉄パイプを強く握り直し、光の亀裂へ向かって一直線に駆け出そうとした。


だが、暴走する言葉の化物が、それを許すはずがなかった。


『ゴオォォォォォォォォォォォッ!!!!』


空間の空気をすべて吸い込むような、絶大な吸引の咆哮。

次の瞬間、口腔の粘膜全体がドクンッと大きく脈打ち、天井と床から、これまでとは比較にならないほど巨大で、醜悪な『究極の歯列』が一斉に姿を現したのだ。


ズズズズズズズズズズッ!!!!


「なっ……! なんだよ、あれは……っ!」


創太の足が、恐怖で完全に硬直した。


光の亀裂へと続く道を完全に塞ぐように隆起してきたのは、他のクラスメイトたちのパーツをすべて融合させた、巨大な「城壁」のような二枚の肉の壁(歯)だった。


その壁を構成していたのは、無数の『人間の顔面』だった。


目玉をくり抜かれた顔、唇を縫い合わされた顔、ハサミが突き刺さった顔。

それら無数の苦悶の表情を浮かべた顔面が、溶けたロウのように互いに癒着し、巨大な肉のブロックを形成している。


そして、その顔面たちすべての口が、一斉にパクパクと動き出し、強烈な瘴気とともに、かつて教室で詩織に向けて放たれていた『数万の呪詛の言葉』を、物理的な黒いヘドロの弾丸として全方位へ乱射し始めたのだ!


『キモイ』『死ねよ』『こっち見んな』『近寄るな』『ウザイ』『お前が悪い』『空気読め』『消えろ』――!!


「がぁぁぁぁぁっ!?」


言葉のヘドロ弾丸が創太の右肩を掠め、制服の生地と皮膚を一瞬にして黒く腐らせていく。強酸以上の腐敗毒。触れれば骨まで溶かされる。


「葵、後ろへ下がれっ!」


創太は自らの身体を盾にするようにして、葵を背後へ庇った。

だが、巨大な顔面の城壁(歯)は、左右からゆっくりとスライドしながら、二人を挟み潰すべく確実に距離を詰めてくる。


「クソッ……! 隙間がない……! このままじゃ、押し潰される!」


言葉の弾幕が雨霰と降り注ぐ中、創太は鉄パイプを構えたまま、絶望の汗を流した。

肉体が限界を超え、動体視力すら低下している今の彼に、あの弾幕をすべて躱して壁の向こうへ抜けることなど、絶対に不可能だった。


(ここまで来て……。あそこに、外の光が見えているのに……! 万策尽きたって言うのか……!?)


創太が血の涙を流し、死の歯列が彼らを挟み潰すまであと数メートルに迫った、その絶体絶命の瞬間だった。


「……あ……ああ……ッ」


背後の葵の喉から、奇妙な音が漏れた。


創太が振り返ると、葵は自らの両手で、自分の首元――喉仏のあたりを覆っていた黒い熱蝋の塊(呪いの封印)を、力任せに引き剥がそうとしていたのだ。


「葵……!? なにをしてるっ! やめろ!」


創太が止める間もなく。


メリメリッ! ブチブチブチブチッ!!


葵は、自らの声帯を焼き切り、声を奪っていたその黒い熱蝋の塊を、肉と血管ごと、自らの素手で強引にむしり取ったのだ!


「ガァァァァァァッ!?」


葵の喉から、鮮血が噴水のように吹き出した。

あまりの激痛に、彼女の小さな身体がくの字に折れ曲がる。


だが、彼女は崩れ落ちなかった。

血みどろの喉を押さえながら、彼女は創太の前に進み出た。そして、真っ直ぐに、迫り来る巨大な顔面の城壁(歯列)を見据えた。


呪いの蝋を引き剥がされたことで、彼女の破壊されていた声帯が、わずかに空気を震わせる隙間を取り戻した。


葵は、自らの命のすべてを燃やし尽くすように、胸の奥底から息を吸い込んだ。


そして――。


「ぁ……あぁ……」


最初に出たのは、掠れた血の泡の音。

しかし、彼女は諦めなかった。


一年前、自分が見て見ぬふりをした罪。

恐怖から逃げ出し、声を出せなかった自分の弱さ。

そのすべてを清算し、愛する創太の道を切り拓くために。


白石葵は、その失われた声を、魂の力だけで、巨大な物理的音波へと変換して、絶叫した!!


『――――――――――どきなさいよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!!!!!』


ビキィィィィィィィンッ!!!!


それは、言葉を超えた、究極の「拒絶の咆哮」だった。


葵の喉から放たれた目に見えない音の衝撃波(ソウル・ウェイブ)が、空間の空気を爆発的に圧縮し、迫り来ていた巨大な顔面の城壁へと真正面から激突した!


ドゴォォォォォォォォォンッ!!!!


信じられない光景だった。

何百もの顔面が癒着してできた強固な肉の歯列が、たった一人の、声を失っていたはずの少女の咆哮を受けた瞬間、まるでガラスの壁がハンマーで叩き割られたように、中央から巨大な風穴を開けて粉々に爆散したのだ!


「あ……葵……!」


創太は、その圧倒的な光景に言葉を失った。


だが、咆哮を放ち終えた葵の身体は、完全にすべての力を使い果たし、糸の切れた操り人形のように、パタリと前方へ倒れ込もうとしていた。


「葵っ!」


創太は、自らの左太ももの激痛を完全に無視して、血泥の床を蹴り上げた。

彼は、倒れる寸前の葵の身体を自らの腕の中にガッチリと抱きとめ、そのままの勢いで、葵が開けた『顔面の壁の風穴』へ向かって、決死の跳躍を敢行した!


「おおおおおおおぉぉぉぉぉぉっ!!」


創太と葵の身体が、飛び散る肉片と血の雨をすり抜け、砕け散った壁の向こう側へと飛び込む。


その風穴の先。

口腔の最奥の粘膜に走っていた、あの「光の亀裂」。


創太は、鉄パイプを持った右手を真っ直ぐに突き出し、その亀裂のド真ん中へと、全身全霊の体重を乗せて突撃した!


ガシャァァァァァァァァンッ!!!!


空間の膜が、派手な音を立てて砕け散る。

冷たく、そして本物の「外の空気」が、二人の身体を激しく包み込んだ。


言葉の化物の腹の中から、二人の命が、ついに現実の世界へと吐き出された瞬間だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
最後までお読みいただきありがとうございます。 もし少しでも「面白い」「続きが気になる」と思っていただけましたら、作品ページや各話下部にある【ブックマーク追加】や評価(★マーク)をいただけますと、今後の執筆の大きな励みになります!
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。