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言葉に喰われた街の、逃げられない問い  作者: solune


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第35話:『侵食する校舎』

『――最終問答(ラスト・ゲーム)を始めましょう』


隔離都市の天頂を覆う黒い膜から響き渡った、鳴海詩織の実体による絶対的な宣告。

その言葉が夜風に溶け込んだ次の瞬間、葛葉(くずは)市という世界から切り離された旧校舎の空間構造そのものが、致命的な「物理法則の完全崩壊」を引き起こした。


ズババババババババババババッ!!!!


神谷創太と白石葵が立っていた屋上の強固なコンクリート床が、まるで極薄のウエハースが巨大なハンマーで叩き割られたかのように、凄まじい轟音を立てて四方八方へと爆散した。鉄筋が飴細工のように千切れ飛び、安全であるはずの足場が一瞬にして巨大な暗黒の空洞へとすり替わったのだ。


「なっ……!?」


「あ……が……っ!」


足元を完全に失った二人の身体は、大量の瓦礫の雨とともに、旧校舎の屋上からその真下にある四階の暗闇へ、さらに三階、二階へと、一切の抵抗を許されない圧倒的な重力に従って真っ逆さまに落下していった。


猛烈な風圧が顔面を叩き、視界がぐるぐると激しく回転する。

創太は落下する虚空の中で、自らの怪物化した右腕――手の甲からハサミの刃が突き出し、血と脂に塗れた異形の腕――を死に物狂いで伸ばし、宙を舞う葵の華奢な身体を力任せに抱き寄せた。


葵もまた、回転ノコギリ刃に切り刻まれ、骨が剥き出しになった右腕の激痛に声なき悲鳴を上げながら、残された左腕で創太の首に強くしがみつき、自らの血で染まったノートを二人の胸の間に固く挟み込んだ。


ドクンッ……! ドクンッ……! ドクンッ……!


落下していく最中、創太の覚醒した「過剰な聴覚」が、異常極まりない重低音を拾い上げた。

それは建物の崩壊音ではない。巨大な、あまりにも巨大な生命体の「心臓の拍動音」だった。


二人が落ちていくその空間は、もはや見慣れた校舎の階段や吹き抜け、廊下などではなかった。二人の周囲を囲む「壁」が、無機質なコンクリートから、ぬらぬらと濡れた赤黒い生肉と、どす黒く変色した黄色い脂肪層が折り重なる『巨大な肉の管』へと瞬時に変異していく光景が、落下する創太の目に焼き付いた。


その肉壁全体が、ドクン、ドクンという拍動に合わせて規則的かつ暴力的に脈打ち、二人の身体をさらに深く、底知れぬ地獄の臓腑へと呑み込もうとしていたのだ。


「ぐっ……ぁぁぁぁっ!」


二人の身体は、巨大な肉のトンネルを何十メートルも滑り落ちた末に、グチャァァァァァァンッ!! という、水風船をコンクリートに叩きつけたような不快で湿った激突音とともに、底なし沼のような粘液の海へと叩きつけられた。


「ガハァッ……! ごほっ……げほぉっ!」


創太は全身の骨が粉々に砕けるほどの衝撃に、口から大量の胃液と血の塊を噴き出し、ドロドロの海の中で激しくむせた。


背中に突き刺さったままのステンドグラスの破片が、落下の衝撃によってついに肋骨の隙間を完全に貫通し、肺の表面をゴリゴリと削り取る。創太の顔面に寄生したクラスメイトたちの解体パーツ――右頬のハサミ、額の下で沸騰する血液、左目に食い込むガラス片、首筋の金属針が、落下と同時に一斉に暴走を始め、皮膚の内側から創太の脳髄を直接突き刺すような限界の激痛を走らせた。


「はぁ……はぁ……葵……! 葵、無事か……っ!」


創太は窒息しそうな粘液の泥の中から這い上がり、自らの腕の中で身を縮める葵の身体を抱き起こした。

葵は苦しげに顔を歪め、首筋の黒蝋から這い上がった黒い紋様に侵食された顔を苦痛に歪ませながらも、創太の胸元で小さく、しかし力強く頷いた。


創太は乱れた呼吸を整えながら、二人が叩き落とされた場所の全貌を見渡した。


そこは、旧校舎の地下最深部(死儀の奉納室)よりもさらに深い、概念としての「学校の最底」――。


周囲に広がっていたのは、人間の正気を一瞬で削り取るような、言語を絶するグロテスクな地獄絵図だった。


上下左右、見渡す限りの広大な空間が、ドロドロに溶けて爛れた赤黒い生肉の壁で、隙間なく覆い尽くされていた。肉の壁面には、大蛇のように太い静脈と動脈が何万本も複雑に絡み合い、そこから高熱を帯びた黄ばんだ粘液が、滝のようにボタボタと流れ落ちている。

はるか上空の天井からは、何百、何千本もの巨大な肉の触手が、ネバネバとした糸を引きながら無気味に蠢いていた。


空間全体が、まるで超巨大な生命体の『胃袋(消化器官)』そのものだった。


そして、創太の耳は、その肉壁の奥底から、無数の「人間の悲鳴」が溶け合って響いているのを聴き取った。


「な……なんだ、あれは……!」


創太は戦慄に目を見開いた。

壁を構成する赤黒い生肉の表面に、これまで死んでいった2年B組の生徒たちの顔――西条拓海、渡辺大樹、長谷川さくら、水野結衣、菅原たちの、苦悶と絶望に満ちた無数のデスマスクが、未消化のまま無数に浮かび上がっていたのだ。彼らの顔は肉の壁と完全に同化し、口を大きく開けて声にならない悲鳴を上げながら、互いの顔を押し潰すようにして蠢いている。


ジ……ジジジジジジジッ!


巨大な胃袋全体をアンプのように振動させて、はるか上空の暗闇から、詩織の残酷な声が降り注いだ。


『――ようこそ。私の心の最奥、絶望の【消化器官】へ』


声は、壁面を流れる高熱の粘液を激しく波立たせながら、全方位から創太たちを圧迫する。


『ここは、あなたたちが一年間、教室で私に向かって放ち続けた無数の暴言や、陰湿な噂話、冷たい言葉のすべてが沈殿し、腐敗している場所。……あなたたちの放った毒の言葉が私をドロドロに溶かしたように、今度はこの校舎(私)が、あなたたちの存在を肉から骨までドロドロに消化してあげるのです』


ジュウウウウウウウウウッ!


詩織の宣告と同時に、創太と葵が膝まで浸かっている足元の黄ばんだ粘液の海から、白煙を伴った強烈な硫黄と酸の悪臭が立ち上り始めた。


「なっ……!? 足元が……溶けてる……!」


創太が絶望の悲鳴を上げた。

二人が履いている上履きのゴム底と、ズボンの裾の生地が、血の海に混ざった強力な『怪異の消化液(胃酸)』によって、シュワシュワと不気味な音を立てて急速に溶かされ始めていたのだ。


『最終問答のルールは簡単です』


胃袋の肉壁の内部から、カチ、カチ、カチと、巨大な金属歯車が重苦しく回転する音が鳴り響く。


『これから、あなたたちの罪の根源に迫る【三つの連続問答】を行います』


『一問正解するごとに、足元の消化液の水位は一時的に下がります。しかし……問いの概念を間違えるか、制限時間を一秒でもオーバーすれば、天井から致死量の胃酸が降り注ぎ、あなたたちは一瞬にして骨の髄までドロドロに溶かされて、この肉壁の一部――彼らと同じ未消化の顔面となるのです』


カチカチカチカチカチッ!!


歯車の回転音が、狂暴な死のカウントダウンとなって一気に加速した。


『――休む暇など与えません。第一問!』


『肉壁に浮かび、互いを押し潰し合う【同級生たちの死顔】と掛けまして』


『あなたたちが教室で作っていた、くだらない【偽りのグループ(派閥)】と解く。……その心は?』


『制限時間は、十秒! さあ、消化される前に答えを捻り出しなさい!』


「十秒……!」


創太の口から、血の混ざった呻きが漏れた。


ジュウウウウウウッ!!


「ぐあぁぁぁぁぁぁぁっ!」


創太の足元から、ついに人間の皮膚と肉が強酸に直接焼かれる凄惨な音が立ち上った。上履きを完全に溶かし切った消化液が、創太の両足の裏から足の甲にかけての生身の肉を容赦なく浸食し始めたのだ。


燃え盛る鉄板の上に裸足で立たされたかのような、脳髄が弾け飛ぶほどの激痛。


(考えろ……! 痛みに呑まれるな! 音を……概念の重なりを聴き分けろ!)


創太は自らの舌を噛み切り、口内に広がる血の味と痛みで、強酸の激痛を強引に上書きして意識を保った。


制限時間は、あと六秒。


足元の消化液に浸かっている葵もまた、脚を焼かれる激痛に顔を激しく歪め、声にならない悲鳴を上げていた。だが、彼女は自らの血で染まった右手の指先を震わせながら、ノートの余白へ力任せに『見せかけ』という四文字を走り書きし、創太の視界のど真ん中へ突き出した。


(見せかけ……! そうだ!)


創太の過剰な聴覚と、極限まで研ぎ澄まされた脳内シナプスが、葵の言葉をトリガーにして概念を猛烈な速度で結合していく。


同級生たちの死顔。肉壁の中で一つに溶け合いながらも、自分が消化されまいと互いの顔を押し潰し、蹴落とし合っている醜い姿。

教室の偽りのグループ。上辺だけで仲の良いフリをして繋がり、いじめのターゲット(詩織)という「生贄」を作ることによってのみ、その関係性の崩壊を防いでいた薄っぺらい集団。


残り、あと二秒。

はるか上空の肉の触手から、創太たちの頭上へ向けて、致死量の黄ばんだ胃酸の滝がドバッと放たれる寸前――。


「答えを……提示するぅぁぁぁぁっ!」


創太は、ドロドロに溶けゆく両足の激痛に絶叫しながら、胃袋の巨大な空間に向かって魂のロジックを叩きつけた。


「正解は! 『どちらも、誰かを犠牲(生贄)にして押し潰すことでしか、自分たちの形(関係)を繋ぎ止めることができない、見苦しい張りボテの集まり』だぁぁぁぁぁっ!!」


静寂。


天井から降り注ぐ寸前だった数トンもの強酸の滝が、重力を無視して空中でピタリと停止した。


ガギィィィィンッ!!!!


巨大な胃袋の肉壁の奥深くで、第一の死の歯車が重々しく噛み合い、爆発的に停止する音が空間全体を揺るがせた。


『――正解(ととのいました)』


上空の暗闇から、詩織の忌々しげな舌打ちのような吐息が漏れた。


ズゴゴゴゴゴォォォッ!!


正解の判定と同時に、創太と葵の足元を満たし、二人の皮膚を焼き溶かしていた強酸の消化液が、巨大な排水溝の栓を抜かれたように、床の肉の隙間へと急速に吸い込まれ、排水されていった。


「はぁ……はぁ……はぁ……はぁッ……!」


創太は焼け爛れた両足を引きずり、血と肉の泥の上へと激しく膝をついた。足の裏から足首にかけて、皮膚の表面はドロドロに溶け落ち、その下の赤い筋肉の繊維と白い脂肪の層が痛々しく剥き出しになっていた。あと数秒遅れていれば、足の骨まで完全に溶かされ、二度と立ち上がることすらできなくなっていただろう。


「葵……! 脚は……脚は無事か……っ!」


創太が横に倒れた葵の肩を必死で揺さぶると、葵は苦痛に顔を歪めながらも、自らの両脚を庇い、創太に向かって力強く頷いて見せた。彼女の脚も火傷のような重度の損傷を受けていたが、創太が彼女を抱え上げていたおかげで、致命的な融解は免れていた。


だが、安息の時間など、一秒たりとも与えられなかった。


ズズズズズズズズズッ!!!!


「なっ……!?」


足元の消化液が完全に引いたその直後、今度は遥か上空にあった「肉の天井」全体が、地鳴りのような凄まじい重低音を響かせながら、創太たちの頭上へ向かって、ゆっくりと、しかし数十トンという圧倒的な重量感を持って『下降(プレス)』し始めたのだ。


『――ふふ。足元が引けば、次は頭上です。胃袋とは、獲物をすり潰すために収縮する器官なのですよ』


詩織の冷酷極まりない声が、巨大な面積をもって下降してくる肉の天井から直接響き渡る。


天井から無数に垂れ下がっていた肉の触手が、創太と葵の頭を不気味に掠め始めた。天井が床に到達するまで、あと数メートル。もしプレスされれば、二人の身体はこの巨大な胃袋の筋肉によってペチャンコに圧殺され、完全にミンチ状に消化されてしまう。


『――休む間などありません。第二問!』


カチカチカチカチカチカチッ!


回転速度を倍に上げた第二の歯車の音が、迫り来る肉の天井の絶望的な圧迫感とともに、創太の過剰な聴覚を切り刻む。


『迫り来るこの【肉の天井の重圧】と掛けまして』


『あなたたちが教室で作り出し、私を殺した【同調圧力(空気)】と解く。……その心は?』


『制限時間は、天井があなたたちをミンチにするまでの七秒! さあ、もがきなさい!』


「七秒だと……!? くそぉぉぉっ!」


創太は自らの怪物化した右腕――ハサミの刃が突き出た血まみれの腕を頭上に掲げ、下降してくる肉の天井を力任せに押し返そうとした。


だが、超巨大生物の筋肉のような壁の重量は、何十トンという絶対的な質量となって、創太の腕の骨をへし折らんばかりの勢いで無慈悲に圧し掛かってくる。


六、五――。


天井の肉壁が、すでに創太の頭上わずか数十センチまで迫っていた。垂れ下がる無数の触手が創太の首や腕に巻き付き、ギリギリと締め上げる。


(同調圧力……! クラス全員が、空気を読んで詩織を無視し、誰か一人でも逆らえば自分が標的になるという、あの逃げ場のない息苦しい重圧……!)


四、三――。


天井の圧倒的な物理的圧力が、創太の折れかけた両膝を完全に屈服させ、彼と葵の身体は床の肉泥へと無残に押し付けられた。


バキッ……メリメリッ!


創太の肋骨が嫌な音を立てて軋み、背中に刺さったステンドグラスがさらに肺の奥底へと食い込む。肺が圧迫され、内臓が口から飛び出しそうになる極限の苦しみ。


(肉の天井の重圧と……同調圧力……! どちらも……どちらも!)


葵が、潰されそうになる身体の激痛に耐えながら、自らの血の手で創太の腕を強く叩き、彼に顔を向けて「目」で何かを訴えかけた。


彼女の黒く濁りかけた瞳の奥にあったのは、迫り来る死への恐怖ではなかった。

それは、一年前のあの日、教室を支配していた「目に見えない、抗えない悪意の力」に対する、激しい怒りと拒絶の光だった。


二、一――。


創太の顔面を覆うガラスとハサミが、天井の圧力によって自らの肉へ深々と食い込み、眼球が破裂しそうになったその瞬間。


創太は、自らの血の泡を吹き飛ばし、潰れる寸前の肺から最後の一息を絞り出して絶叫した。


「第二問! 正解は! 『どちらも、個人の意思や抵抗など一切無視して、上から絶対的な力で押し潰し、逃げ場と呼吸を完全に奪い去る』だぁぁぁぁぁっ!!」


ドズゥゥゥゥゥンッ!!!!


創太の頭上、わずか数ミリ。

肉の天井が、創太の髪と葵の顔を完全にすり潰す寸前で、凄絶な衝突音とともに、空中でピタリと完全停止した。


ガギィィィィィンッ!!!!


第二の歯車が、狂ったように逆回転を始めて砕け散る音が響いた。


『――正解……(ととのいました)!』


詩織の怨念の声が、不快なノイズを伴って激しく歪む。


ギギギギギ……ッ。


創太と葵を圧殺しようとしていた巨大な肉の天井が、油の切れた古い機械のように鈍い音を立てながら、ゆっくりと上空の闇へと引き上げられていった。


「はぁ……はぁ……はぁ……はぁっ……!」


創太は床の血泥に大の字に倒れ込み、全身の筋肉の痙攣に悶絶した。

潰される寸前だった。あとコンマ一秒正解が遅れていれば、自分も葵も、この胃袋の中で跡形もなく圧死し、肉壁の一部にされていた。


「葵……大丈夫か……っ!」


創太が横に倒れた葵の肩を必死に揺さぶると、葵は苦しげに咳き込み、口からわずかな血を吐き出しながらも、力強く頷いて見せた。


だが、二人の肉体の限界は、とうに限界の底を抜けていた。

足の裏の肉を溶かされ、全身の骨を圧迫され、顔面の怪物化は刻一刻と進行している。今すぐ気を失ってもおかしくない極限状態。


そして、巨大な胃袋の空間に、いよいよ「最後にして最大の狂気」が満ちようとしていた。


ズズズズズズ……! ズバババババババッ!!!!


胃袋の最奥の肉壁が、縦に巨大な亀裂を走らせて豪快に裂けた。

その裂け目の奥から、どす黒い怨念の塊そのもののような『黒い樹液の竜巻』が、屋上を覆うドームから一直線に吹き荒れ始めたのだ。


『――素晴らしい執念です。賞賛に値します。ですが……これが最後です。第三の問答……私自身の【心臓】を懸けた、最後の問いを授けましょう』


詩織の怨念の実体が、その黒い竜巻の中心から、静かに、そして絶対的な死の宣告を持って姿を現した。

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