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言葉に喰われた街の、逃げられない問い  作者: solune


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第33話:『自壊の美学』

黒いドーム状の肉壁に完全に封鎖された、葛葉(くずは)市の夜空。


外界の音をすべて削ぎ落とされた完璧な静寂と、地下からせり上がってくる生の血肉の腐敗臭が重く淀む旧校舎の屋上で、すべてを狂わせた元凶の男の命が、ついに潰えようとしていた。


「あ……が……っ……俺の……正解……」


創太の「異形の右拳」によって胸郭を粉砕された西条拓海は、コンクリートの血の海の上でビチビチと痙攣していた。彼の周囲を取り囲むように蠢いていた『黒い大樹』の根が、獲物を捕食する大蛇のように、彼の首、両腕、両脚、そして砕かれた胸の傷口へと一斉に突き刺さったのだ。


ズズズ……! ズチュッ……!


「ヒガぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」


黒い根が西条の肉の奥深くまで侵入し、彼の体内に残された血液や体液を貪るように吸い上げ始めた。誰もが、彼がこのまま怪異の「養分」としてミイラのように干からび、惨めな最期を遂げるのだと思った。


しかし、鳴海詩織の怨念は、西条拓海という「直接的な死の引き金」となった男に、そんな生易しい幕引きを許しはしなかった。


ドクンッ……! ドクンッ……!


「な……っ!?」


創太の覚醒した「過剰な聴覚」が、異常な逆流音を捉えた。


西条の肉体に突き刺さった黒い根は、彼の体液を吸い上げるのをピタリと止め、逆に、大樹の幹から「高純度の黒い怨念の粘液」を、西条の血管へと直接、爆発的な圧力で注入し始めたのだ。


「ア……ガガガガガガガガッ!!」


西条の白目を剥いた両目から、真っ黒な涙がドバッと噴き出した。


折れ曲がっていた右腕の骨が、体内で膨張した黒い根の圧力によって、バキバキバキッ! と不気味な音を立てて強制的に真っ直ぐに矯正される。創太に砕かれた胸の肋骨も、黒い粘液がセメントのように固まることで、強引に繋ぎ合わされた。


怪異は、西条を殺すためではない。彼を絶望の淵から無理やり引きずり起こし、最後にして最悪の「見世物(ゲーム)」の舞台へ立たせるための、悪魔的なカンフル剤を打ち込んだのだ。


「ギ……ギギギ……神……谷ぁぁぁっ!」


西条の身体が、マリオネットのように不自然な挙動でコンクリートの上から跳ね起きた。


彼の口の端からは黒い泡がこぼれ落ち、その瞳孔は極限の痛覚と怨念の薬効によって、完全に正気を焼き切られた「狂戦士(バーサーカー)」のそれへと変貌していた。


西条は、先ほど落としたサバイバルナイフをコンクリートの床から拾い上げた。黒光りする鋼鉄の鋸歯が、彼の黒い血で濡れて妖しくギラついている。


「俺は……俺様は! 最後の正解者になるんだぁぁぁっ!」


それは、完全なる狂気だった。


脳を黒い毒に侵されながらも、彼の根底にこびりついた「他人を殺してでも自分だけは生き残る」という身勝手な妄想だけが、彼の肉体を前へと駆動させていた。


「来るぞ、葵! 離れろ!」


創太は鉄パイプを構え直し、自らの背中を庇う葵をさらに後方へと押しやった。胸を砕かれてなお立ち上がる西条の突進力は、先ほどまでの比ではない。人間としてのリミッターを完全に外された、文字通りの「狂刃の突撃」が来る。


「死ねぇぇぇっ! 神谷創太ぁぁぁっ!」


西条が、コンクリートを蹴り砕くほどの踏み込みで、サバイバルナイフを頭上高く振りかざし、創太の喉元目掛けて一直線に襲いかかってきた。


だが、創太が鉄パイプを振り上げようとした、その瞬間だった。


カチッ。


世界から、すべての音が消え去った。


吹き荒れていた夜風の音も、西条の狂った咆哮も、創太自身の激しい心音すらも、無音の真空へと吸い込まれた。


そして、ただ一つ。


西条拓海の「右耳の真横」の空中で、透明な歯車がゆっくりと、しかし絶対的な死の宣告を持って回転する音が響いた。


チチチチチチチチ……!


創太の「過剰な耳」は、その異常な音の偏りを完全に捕捉していた。


(怪異の問いが……俺たち全体じゃなく……西条ただ一人に向けられている……!?)


西条の狂刃が、創太の鼻先わずか十センチのところで、見えない壁にぶつかったかのようにピタリと静止した。


西条の瞳孔が驚愕に見開かれ、彼の全身が金縛りに遭ったように空中で硬直している。


彼の耳元――否、脳髄の奥底に直接、あの鳴海詩織の濡れた声が、甘く、そして氷のように冷酷な囁きとなって滑り込んだのだ。


『――ふふ。自分だけが助かるために、同級生を切り裂こうとするその姿。……まさに、あなたが教室で見せていた【真の姿】ですね、西条くん』


「あ……が……っ?」


硬直した西条の口から、間の抜けた呻きが漏れた。


怪異は、創太を襲おうとする西条の動きを物理的にロックし、彼一人をターゲットとした『処刑の問答』を開始したのだ。


『あなたは第12話の放送室で、身代わりの生徒を肉吊りフックに押し込み、自分だけは「内臓」をぶち撒ける刑から逃げ延びましたね。……でも、私は忘れていませんよ? あなたが捧げるべきだった、その汚い腹の底(臓物)の借金を』


伏線は、ここで回収された。

放送室の惨劇で、他人の命を盾にして自らの内臓(腹)を守り抜いた西条の狡猾な罪。怪異の帳簿には、西条拓海の「引きずり出されるべき臓器」が、未回収のまましっかりと記されていたのだ。


カチカチカチカチカチッ!


西条の耳元で、超高速の死の歯車が回転を始める。


『――西条拓海くんに、最後の問いを授けましょう』


『教室でふんぞり返っていた西条拓海くんの【薄っぺらいプライド】と掛けまして』


『縫い目が解けかかった【安物のぬいぐるみ】と解く。……その心は?』


『制限時間は、五秒。……さあ、見事正解して、最後の生存者になってごらんなさい?』


五、四――。


「ひっ……!? あ……あぁっ!?」


西条の眼球が、恐怖と狂乱で左右に激しく泳いだ。


空中で動きを封じられたまま、たった五秒という絶望的な時間の中で、自らの命を懸けた論理を構築しなければならない。


だが、西条の脳髄はすでに黒い粘液によって焼き切られ、残されているのは肥大化した自己顕示欲と、空っぽの保身の言葉だけだった。


(安物のぬいぐるみ……!? 俺のプライドが……!? 違う、俺は安物なんかじゃない! 俺はこのクラスで一番強くて、一番価値のある人間なんだ!)


三、二――。


西条は、怪異の提示した概念の重なり(ロジック)を読み解くことを放棄した。自らの「弱さ」や「醜さ」を認めることが正解に繋がる問いであるにもかかわらず、彼の強大すぎる自己愛が、それを全力で拒絶したのだ。


「分かった……! 分かってるぞ俺はぁっ!」


西条は、残り一秒の瞬間、創太を睨みつけながら、自らの身勝手な願望と誇大妄想だけで構成された『歪んだ回答』を絶叫した。


「答えは! 『どちらも、外見は誰よりも立派で美しく、みんなから愛される特別な存在』だぁぁぁぁぁっ!!」


一。零。


西条の絶叫が、夜風の中に虚しく吸い込まれた。


静寂が、一秒だけ屋上を支配した。


創太の背筋に、これまでにないほどの凄まじい悪寒が走った。(違う……西条、それはお前のただの願望だ! お前は自分の罪と、腹の底の醜さを何一つ直視していない!)


次の瞬間。


西条の耳元で囁いていた女の声が、地獄の底から響くような、酷薄極まりない嘲笑を含んで宣告した。


『――不整』


ガギィィィィンッ!!!!


死の歯車が、西条の脳内で爆発的に砕け散る音が響いた。


第33話:『自壊の美学』(後半)


『――不整(ふせい)』


そのたった二文字の絶対的な宣告が、屋上の夜風を凍りつかせた。


ガギィィィィンッ!!!!


西条拓海の脳内で、彼の最後の希望であった「正解」の歯車が爆発的に砕け散る音が響いた。


「え……?」


空中で物理的にロックされていた西条の身体が、見えない呪縛から唐突に解放された。彼は前のめりにバランスを崩し、ドシャッ!と無様にコンクリートの血の海へ膝を突いた。


彼の右手に握られたサバイバルナイフが、力なく床に垂れ下がる。


スピーカーと化した『黒い大樹』の幹から、鳴海詩織の怨念の声が、これまでで最も冷酷で、最も嘲笑に満ちたトーンで屋上全体に響き渡った。


『……残念ですね、西条くん。あなたの言う【外見は立派で美しい】というのは、ただのあなたの肥大化した妄想(自己愛)に過ぎません。……誰もあなたのことなど、本当は特別だなんて思っていなかったのですよ』


「ち、ちがう……俺は……俺様は……!」


西条が首をガクガクと振って否定しようとするが、怪異は容赦なく「真の正解」を彼の脳髄へ直接叩きつけた。


『正解は――【どちらも、薄っぺらい外側の皮(虚勢)が破れれば、中から汚く醜い中身(臓物・嘘)がドロドロと溢れ出し、二度と元には戻せない】ですよ』


「あ……あぁ……っ!?」


『あなたは第12話の放送室で、他人の命を盾にして自分の腹(内臓)を守りました。……さあ、その借金を返す時間です。あなたのその薄っぺらい皮を破り、中に詰まった醜い臓物を、自らの手で世界に晒して証明しなさい』


その言葉が宣告された瞬間だった。


「ひっ……!? な、なんだ!? 俺の……俺の腕がっ!?」


西条拓海の右腕が、彼の意志を完全に無視して、ギギギギギッ……と奇怪な機械音を立てて動き始めた。


彼の手に握られていた、鋸歯のついた黒光りするサバイバルナイフ。その鋭利な切っ先が、ゆっくりと、しかし絶対的な力で、西条自身の腹部――黒い根で無理やり縫い合わされていた破裂寸前の傷口へと向けられたのだ。


「や、やめろ……! 違う! 動くなっ! 俺の手ぇぇっ!」


西条は左手で自らの右腕を必死に押さえ込もうとした。しかし、怪異の黒い粘液によって駆動される筋肉は、人間の腕力を遥かに凌駕していた。


第27話で神谷創太を襲った「自傷行為への洗脳(精神汚染)」とは違う。

今の西条に起きているのは、完全なる「肉体の強制支配」だった。いや、それだけではない。極限の恐怖と、プライドを粉々に砕かれた西条の脳髄は、怪異の命令に対する逃避として、恐るべき「妄想」へと逃げ込み始めていた。


(そうだ……俺の中身が汚いだと? ふざけるな! 俺の中身は、誰よりも強くて、誰よりも美しいんだ! それを……それを見せて証明してやればいいんだ!)


自らの正当性を証明しなければならないという狂った強迫観念。それが、怪異の呪いと完全に融合した。


「ほら……見ろぉぉぉっ! 神谷ぁぁっ!」


西条は両目で創太を凝視しながら、狂気に満ちた凄惨な笑みを浮かべた。


「俺は特別なんだ! 俺の中身は……誰よりも立派なんだよぉぉぉっ!」


ドスッッ!!


西条の両手が、サバイバルナイフの柄を逆手に握り締め、自らの腹部のド真ん中へ、刃の根元まで力任せに深々と突き立てたのだ!


「が……ゴぼぁぁぁぁぁぁぁっ!?」


西条の口から、凄まじい量の血液が噴水のように吹き上がった。


創太の「過剰な聴覚」が、ナイフの鋼鉄が西条の腹筋を貫通し、胃壁を突き破り、腸管を切り裂く生々しい切断音(スプラッター・サウンド)を、鼓膜を破らんばかりの爆音で拾い上げた。


ブチュッ! ズグチュチュチュチュッ!


「やめろ……西条っ!」


創太は思わず一歩踏み出しかけた。どれほどの悪人であろうと、自らの手で腹を切り裂くというあまりにも凄惨な自壊の光景は、見る者の精神を激しく削り取った。創太は自らの背後にいる白石葵の目を、手で咄嗟に覆い隠した。


「見るな葵! 目を閉じろ!」


だが、西条の凶行は止まらなかった。


「ヒヒ……アハハハハハハハッ! 痛くねえ! 全然痛くねえぞぉっ!」


すでに痛覚神経を焼き切られ、エンドルフィンの過剰分泌と怪異の毒によって狂戦士と化した西条は、腹に突き立てたナイフを両手で握り締め、そのまま横へ向かって真一文字に腹を掻き切ったのだ。


メッッッッチャァァァァァァァァァァァッ!!!!


人間の皮と肉が、ノコギリ刃によって強引に引き裂かれる凄絶な破裂音。


西条の腹部が、右脇腹から左脇腹にかけて、見事にパカリと大きく切り開かれた。


「あぁ……ああぁぁぁぁぁぁっ!」


横一文字に切り裂かれた傷口から、耐え難いほどの重力と内圧に従って、西条の「中身」が一気に外の世界へと雪崩を打って溢れ出した。


紫色の小腸、どす黒く変色した大腸、生温かい胃袋、そして脂肪の塊が、デロデロデロデロォォォッ!! と凄まじい水音を立ててコンクリートの床へ零れ落ちたのだ。


「見ろ! 神谷! 見ろぉっ! 俺の……俺のすげえ中身をよぉぉっ!」


西条はナイフを投げ捨てると、今度は自らの両手を、自分の切り開かれた腹の中へと直接突っ込んだ。


ズブチュッ!!


血と脂に塗れた自らの両手で、自分の体内からこぼれ落ちそうになる腸や臓器を鷲掴みにし、まるで素晴らしい宝物を披露するかのように、力任せに自らの身体から「引きずり出し」始めた。


「俺は……安物のぬいぐるみなんかじゃねえっ! 俺の中には……こんなにすごいもんが詰まってるんだぞぉぉっ! 綺麗だろ!? 俺は……俺は選ばれた人間なんだぁぁぁっ!」


ブチブチブチブチィィィッ!!


自らの手で内臓を引っ張り出すたびに、体内の血管や神経が千切れ飛ぶ嫌な音が屋上に響き渡る。


西条の足元には、数メートルにも及ぶ彼自身の腸が血の海の中にトグロを巻き、彼の腹の中は文字通り「空っぽ」になろうとしていた。


その光景は、もはや恐怖を通り越して、一種のグロテスクな「自壊の美学」すら感じさせるほどに異様で、狂気に満ちていた。自分を飾り立て、虚勢を張り続けた男が、最後の最後に自らの醜い中身を自らの手で全て掻き出し、虚無に還っていく姿。


「あ……あぁ……っ……かみ……や……」


数十秒に及んだ狂気の解体ショーの果て。


自らの臓器のほとんどを体外へ引きずり出した西条拓海の身体から、ついにすべての運動エネルギーが失われた。


極限の失血と、内臓の完全な欠損。


西条の瞳孔から最後の光がフッと消え去り、彼が自らの腸を握りしめていた両手が、力なくダラリと下がった。


「俺……の……かち……だ……」


その最期の最期まで、自分が一番であるという歪んだ優越の言葉を唇に乗せたまま。


西条拓海の巨体は、自らが引きずり出した臓物の山の上へと、ドシャァァァァッ! とうつ伏せに崩れ落ちた。


ピク……ピクピク……。


数回の痙攣の後、2年B組を恐怖で支配していた男は、二度と動かなくなった。


第12話の放送室で、身代わりをフックに掛けて逃れた男の結末。

それは、怪異に殺されるのではなく、自らのプライドと狂気によって「自らの手で腹を裂き、内臓を世界に晒す」という、これ以上ないほど惨めで残酷な『伏線回収』であった。


「はぁ……はぁ……はぁ……ッ!」


創太は、西条の絶命を見届け、激しい吐き気と悪寒に襲われながら、崩れ落ちそうになる膝を必死に保った。背中に庇っていた葵も、創太の制服を強く握り締め、激しく肩を震わせていた。


西条拓海、死亡。


これで、2年B組の生徒は、完全に創太と葵の「二人だけ」になった。


ズズズ……! ズズズズズズズズズズッ!!!!


西条が絶命した直後、屋上の中央にそびえ立つ『黒い大樹』が、狂ったような歓喜の脈動を開始した。


大樹から伸びた無数の黒い根が、コンクリートに散らばった西条の内臓と血液の海へ一斉に群がり、ズチュズチュズチュッ! と凄まじい音を立てて、その高純度の怨念の残滓を最後の一滴まで吸い上げ始めた。


西条という「極上の罪の供物」を呑み込んだ黒い大樹の幹が、ドクンッ!! と屋上全体を揺るがすほどの巨大な鼓動を鳴らし、暗闇の中で赤黒い不気味な光を煌々と放ち始めた。


幹の内部の半透明な樹液の中で、眠るように漂っていた鳴海詩織の残影の『両目』が、カッ! と完全に見開かれた。


『――ふふ。……あはははははははっ!』


屋上全体、いや、葛葉市を包む黒いドーム全体を震わせる、鳴海詩織の絶大な怨念の笑い声。


『素晴らしい……! これで、不純な雑音はすべて消え去りました!』


大樹の幹がメリメリと音を立てて裂け、その中から、巨大な「黒い茨の玉座」がせり出してきた。そして、その玉座の中央に、黒い粘液と樹液にまみれた鳴海詩織の怨念の実体が、ついにその完全な姿を現したのだ。


彼女の顔には、もう無数のハサミも針も刺さっていなかった。

彼女は、一年前のあの日、屋上から飛び降りる直前の「最も美しく、最も哀しい姿」のまま、創太と葵を見下ろしていた。


『残されたのは、私に最後の絶望を与えた「傍観者」の二人だけ。……さあ、神谷創太くん。白石葵さん』


詩織の怨念が、冷たく、そして狂おしいほどの憎悪を込めて手を差し伸べた。


『あなたたち二人との、この世界(葛葉市)の存亡を懸けた【最終問答】を始めましょう』


隔離都市の屋上で、すべての元凶である本尊との、真の最終決戦が幕を開けた。

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