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言葉に喰われた街の、逃げられない問い  作者: solune


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第31話:『残された三人』

砕け散った屋上大扉の鉄くずとコンクリートの破片が、夜の静寂を切り裂いて屋上のコンクリート床へガラガラと飛び散った。


全十五段の『死の連続問答階段』。一段踏み外せば大型ノコギリとギロチン刃によって脚を膝から丸ごと切断される惨劇の山を、葵が自らの右腕を旋盤の刃へと突っ込み、骨と肉を噛み合わせることで得た「一秒の猶予」と、二人の狂おしいまでの絆によって突破した二人は、叩きつけられるようにして屋上の硬いコンクリートの上へ倒れ込んでいた。


「ハぁ……ハぁ……ハぁ……ハぁッ……!」


神谷創太は血塗られたコンクリートに両肘と膝をつき、胸の奥から押し寄せる赤黒い血液の塊を床へ激しく吐き捨てた。


背中に深々と刺さったステンドグラスの刃が、息を吸うたびに肺胞と肋骨の隙間を削り、破れた制服の隙間から粘り気のある血液が絶え間なく溢れ出ている。創太の身体は、すでに人間としての原型を失っていた。右頬の皮膚からは長谷川さくらのハサミの鋭利な刃先が肉を突き破って突起し、額の皮膚の下では渡辺大樹の沸騰した血液が泥のようにグツグツと不気味な泡を立て、左目の周囲は水野結衣の色彩豊かなステンドグラスの破片で隙間なく埋め尽くされ、首筋から胸元にかけては菅原の無数の金属針が毛穴からハリネズミのように突き出していた。


正解を重ね、怪異の問いを打ち破り続けるたびに体内に蓄積されていった「言語の毒」は、創太の肉体を確実に異界の器へと変貌させていたのだ。


創太の胸の中で、白石葵が自らの身体を小さく丸め、声帯の途絶えた喉から激しい苦悶の喘鳴を漏らしていた。


回転ノコギリ刃に自らの右手と腕を差し出し、創太に一秒の思考時間を稼ぎ出した彼女。その右腕の肉と皮はズタズタに引き裂かれ、剥がれた指の爪と、断切された血管から溢れ出る生血が創太の胸元を不気味に濡らし続けていた。彼女の顔の左半分は、首筋の黒蝋から伸びた黒い血管状の紋様に覆い尽くされ、左目の瞳孔は粘り気のある漆黒の濁りに完全に呑み込まれている。


声を奪われ、言葉を二度と紡げなくなった少女。

顔面を犠牲者たちの解体部位で継ぎ接ぎされた怪物となった少年。


二人は生き延びた。2年B組の生徒総勢三十余名が次々と惨殺され、肉塊へと変えられていった惨劇の中で、たった二人だけの生存者として、この屋上という名の最終地点へと辿り着いたのだ。


葛葉(くずは)市全体を包み込む巨大な黒い肉のドーム。その天頂へ向かって、旧校舎の最上階から無数の黒い根を這わせた『黒い大樹』がそびえ立っていた。


外界との境界線を物理的に切り断たれ、世界の孤島と化し、地図から消滅した街。地下廊下を埋め尽くしていた腐肉の脂と生の血液、そして強酸の焦げ付くような不快な激臭が、屋上へ吹き込む夜風によって一瞬にして吹き散らされていく。澄んだ風が、創太の血濡れた皮膚を冷たく叩いた。


「葵……葵……聞こえるか……っ!」


創太は自らの歪んだ右手で、葵の力なく揺れる肩を必死で引き寄せた。


葵はかすかに目を開け、傷ついた右腕を庇うように抱えながら、左手で創太の痛々しく変質した頬へそっと触れた。声を出すことはできない。しかし、彼女の濁りかけた瞳の奥には、幾多の死線を共に突破してきた者だけが共有する、深く強固な信頼の光が静かに宿っていた。


フェンス越しに広がるはずだった葛葉市の街並みは消え去り、そこには巨大な黒い肉のドームが立ち塞がっていた。世界から孤立した絶望の街。だが、葵がノートに叩きつけた『ここが世界の一番底なら、この元凶を倒して世界を取り戻せばいい』という血の言葉が、創太の胸の奥で疾風のように吹き荒れていた。


だが――二人が黒い大樹を見据え、最期の覚悟を固めたその瞬間。


ズサ……ッ! ズズ……ッ!


破砕された屋上大扉の瓦礫の影から、コンクリートを削る不快な肉の生音が響いた。


「な……んだ……!?」


創太の覚醒した「過剰な聴覚」が、瞬時にその音の異質さを捉えた。


それは、怪異の操る黒い根の機械音ではない。すでに死んだ傀儡の乾いた擦れ音でもない。


生きている人間の、激しく乱れた喘鳴。

引き裂かれた肺から漏れ出る血の泡の音。

そして――何よりも泥臭く、執念深い、生の心臓がドクドクと不規則に打つ「鼓動の音」だった。


瓦礫の影から血の海を這い出てきたのは――人間だった。


頭髪は自分の血で赤黒く固まり、制服はズタズタに引き裂かれ、右腕の骨は歪んだ方向へ折れ曲がり、腹部からは傷口から覗く生肉が覗いている。


その男は、血みどろの手でコンクリートを掻きむしり、地獄の底から這い上がる怨霊のような眼光で、創太と葵を睨みつけていた。


「西条……拓海……!?」


創太の口から、信じがたい叫びが漏れた。


そこにいたのは、2年B組の元・支配者――西条拓海(さいじょう たくみ)だった。


「嘘だ……お前は……お前は第12話の放送室で……肉吊りフックに吊るされて死んだはずだ……!」


創太の脳裏に、あの惨劇の光景が走る。放送室で『不整』判定を受け、天井から無数の金属フックが生え揃って身体を吊り上げられ、内臓を破裂させて絶命した西条。そして第24話で、釘バットを手に襲いかかってきて創太たちに火で焼き払われた西条の姿。


だが、創太の覚醒した耳は、目の前で地を這う西条の胸の奥から、はっきりと聴き取っていた。


不規則で、途切れ途切れで、いまにも止まりそうな、本物の「生きている人間の心拍」を。


「が……っ! ふ……ふざ……けるな……神谷ぁぁぁっ……!」


西条の破れた唇から、血の泡とともに凄惨な生の言葉が吐き出された。


「俺が……俺様が……そんな簡単に……死ぬわけねえだろぉぉぉっ……!」


真相は、あまりにも狂気に満ちていた。


第12話の放送室で肉吊りフックに吊り上げられ、内臓を撒き散らして死んだのは、西条拓海本人ではなかったのだ。極限のパニックの中、西条は『先着三人』の生存枠に滑り込むため、恐怖で縮み上がっていた別の男子生徒を盾としてフックの直下に強引に押し込み、自らはコンソールの影へと滑り込んで怪異の判定を眩ませていたのだ。


そして第24話で創太たちを襲った釘バットの男は、西条の生前の肉体情報を怪異の黒い根が吸い上げて作り出した、ただの「肉の偽物(傀儡)」に過ぎなかった。


本物の西条拓海は、放送室の崩落と同時に旧校舎の暗闇へと逃げ延び、重傷の身体を引きずりながら、創太たちの後を血の跡を辿って這い回り続けていたのだ。


自分だけが助かりたい。

神谷創太の正解を奪い取り、自分だけがこの地獄から生きて出たい。


その醜悪でドロドロとした自保心の執念だけが、致命傷を負った彼の肉体を死の淵で踏みとどまらせ、この屋上へと這い上がらせていた。


2年B組、総勢三十余名。


長谷川さくら、近藤、武田、工藤、井口、小林、渡辺、水野結衣、菅原、太田、加藤、佐々木、谷口、山田、松本、木村、石井――。


全員が殺された。全員が自らの暴言の対比として肉体をグロテスクに解体され、血の泥となって校舎に沈んだ。かつて賑やかだった教室の日常、グループの派閥、くだらないお喋りや噂話のすべては、完璧に途絶え、完全に消滅した。


そして、今この屋上に立っているのは、あるいは地を這っているのは――。


神谷創太、白石葵、そして西条拓海の、わずか『三人』のみ。


2年B組という集団は、文字通り全滅していたのだ。


「はぁ……はぁ……はぁ……っ! 神谷ぁぁ……っ!」


西条拓海は、くの字に折れ曲がった右腕を引きずりながら、屋上の硬いコンクリートの上へドロドロとした赤黒い血の尾を引いて、創太の足元へと這い寄った。


彼のみっともなく見開かれた血走った瞳には、かつてクラスの頂点で暴力を振るい、他者を踏みにじって支配していた男の面影など微塵も残されていなかった。そこにあったのは、迫り来る死への圧倒的な恐怖と、他人を身代わりにしてでも泥を啜って生き残ろうとする、あまりにも哀れで醜悪な虫けらの執着だけだった。


「ひ……ひぃっ……神谷……助けろ……助けてくれぇっ!」


西条の血と泥で汚れきった左手が、爪を立てるようにして創太の上履きを力任せに掴んだ。骨の砕けた指先が、創太の足首に食い込む。


「頼む……答えを……次の答えを俺に言わせろ……! 俺を正解させて……俺をここから出せぇっ! 俺には……俺にはまだ未来があるんだ……! 親の金もある、陸上の記録だってあるんだ! こんな呪われた学校で……肉片になって死んでたまるかぁぁぁっ!」


西条の破れた唇から漏れ出るのは、反省でもなければ謝罪でもなかった。


一年前、自分たちが教室の陰で鳴海詩織を追い詰め、教科書を破り、言葉の暴力と肉体的な恐怖で死へと追いやったことに対する後悔など、この男の胸には一微塵すら存在していなかった。彼はただ、自らの肉体が破滅へ向かっている事実から逃れたいという、自己保身の獣じみた本能だけで創太にしがみついていた。


創太は、自らの足首を掴み上げて震える西条の左手を、氷のように冷ややかな眼差しで見下ろした。


過剰な聴覚が覚醒した創太の耳は、西条の肉体の内部から響く凄惨な崩壊音を、残酷なほどの精度で拾い上げていた。


折れた肋骨が損傷した肺胞を突き刺し、息を吸うたびに体内に血が溜まっていく湿った音。

破裂した腹部の筋組織が壊死を起こし、黒い粘液となって溶け出している音。

そして――彼の胸の奥で打つ生身の心臓が、血流量の限界を迎えて激しく軋み、死へのカウントダウンを急速に刻んでいる終焉の音。


西条拓海は確かに「生きている」。しかしその命は、もはや嵐の中の蝋燭の火であり、手当てもなくこの風の吹き抜ける屋上に身を晒していれば、問答を受けるまでもなく数分のうちにショック死に至る極限状態だった。


「西条……」


創太の声は、風の音に紛れるほど静かで、そして絶望的なまでに無感情だった。


「お前は……何一つ変わっていないな。クラスメイトが全員死に、校舎が肉の胃袋になり、街が世界から切り離されても……お前はまだ、他人の命を踏み台にして自分だけが助かろうとしている」


「うるせええええええっ!」


西条が狂乱し、創太の足首の皮膚を自らの血濡れた爪で引き裂いた。


「何が悪い! 生きたいと思って何が悪いんだよぉっ! 俺は悪くない! 悪いのは全部あいつだ! 詩織が勝手に傷ついて、勝手に屋上から飛び降りたのが悪いんだろぁぁっ! 俺はただ……俺はただ、いつものように学校を楽しもうとしてただけだぁぁぁっ!」


西条の引きつった叫びが、夜の屋上に虚しく反響する。


その叫びを聞きながら、創太の脳裏を過ぎったのは、これまでに理不尽な解体を被って死んでいった者たちの残影だった。


最初の被害者として体内から数百本のハサミを噴出させて自壊した、長谷川さくら。

太ももの肉をシュレッダーの細切れの紙のように千切られた、近藤。

不可視の重圧によって厚さ三センチの肉餅に押し潰された、武田、工藤、井口。

全骨格がガラス化して粉々に砕け散った、小林。

体内の血液が沸騰して肉体ごと爆破した、渡辺大樹。

体内で色鮮やかなステンドグラスが弾けて微粒子となった、水野結衣。

喉から何千本もの畳針を噴出させて壁に刺し縫われた、菅原。

全皮膚を破られたノートの紙切れとして剥ぎ取られた、太田。

集団問答のパニックで怪異の不整を受け、骨肉を砕かれ、あるいは肉吊りフックに吊るされて内臓を撒き散らした加藤、佐々木、谷口、山田、松本、木村、石井――。


誰もがいじめの加害者であり、あるいは無関心な傍観者だった。彼らは自らが放った暴言の対比として肉体をグロテスクに解体され、血の泥となってこの校舎の底へと沈んでいった。


かつて賑やかだった2年B組の教室、グループごとの派閥、くだらない噂話や笑い声、テストの点数を競い合った日常のすべては、完全に潰えた。


そして、今この異界と化した屋上に立っているのは、あるいは地を這っているのは――。


神谷創太、白石葵、そして西条拓海の、わずか『三人』のみ。


総勢三十余名いた2年B組という集団は、物理的にも、人間的にも、完全に全滅していた。


その時だった。


ズズズ……ズズズズズズッ!


屋上の中央に鎮座する『黒い大樹』の幹が、地鳴りのような不気味な振動を立てて大きく揺らぎ始めた。


太い幹の半透明な黒い樹液の奥で、無数の黒い根に胸元を穿たれて漂っていた少女――鳴海詩織の本尊の残影が、ゆっくりと、その血の滲む瞼を開いたのだ。


ジ……ジジジジジジジジジジジジジジッ!!!!


大樹の幹全体が巨大な「肉のスピーカー」となり、葛葉市を包む黒いドームの天頂を震わせるほどの、殺意に満ちた高周波ノイズを周囲に拡散させた。


『――ふふ……あはははははっ!』


詩織の怨念の声が、屋上全体を叩きつける暴風のような大音量となって降り注ぐ。


『素晴らしい……実に、素晴らしいですね。三十人以上いた2年B組の羊たちが……ついに、たったの【三人】になってしまいました』


大樹の根本から這い出た何十本もの黒い根が、蛇のようにコンクリートの上をうねりながら滑り、創太、葵、そして地を這う西条の三人を取り囲むように、巨大な殺戮の円陣を描き出した。


『直接的な暴力と暴言の刃で私を破壊した、西条拓海くん。

助けを求める声を聞きながら【不快な雑音】として拒絶した、神谷創太くん。

そして……私の救いの現場を目撃しながら、怯えて黙殺して逃げた、白石葵さん』


大樹の中で、詩織の残影が、悲しげに、そして冷酷極まりない愉悦を込めて目を細める。


『残されたこの三人は……私を死へ追いやった【罪の核心】そのものです。一人として……生きてこのドームから出すわけにはいきません』


カチ、カチ、カチ、カチ――!


大樹の内部から、これまでのどんな問答よりも重く、太く、骨を砕くような「最後の死の歯車音」が響き渡り始めた。


創太は、自分の上履きを狂ったように掴み続ける西条の腕を、冷たく蹴り飛ばして振り払った。そして、激痛に歪む自らの体躯を真っ直ぐに伸ばし、傷ついた葵の身体を庇うように自らの背後に押し込みながら、黒い大樹で揺れる詩織の残影を毅然と見据えた。


葵もまた、失われた右腕の痛みに耐えながら、血の手でノートを力強く抱き締め、創太の背中にぴったりと身を寄せて大樹を睨みつけた。


地を這う西条拓海は、自らの余命が尽きかけている恐怖と、迫り来る問いの予兆に「嫌だぁぁぁっ! 助けてくれぇぇぇっ!」と血の泡を吐きながら絶叫し、コンクリートに爪を立ててのたうち回った。


全滅したクラスの罪の核心。

逃げ場のない隔離都市の屋上で、残された三人に対する「最後の惨虐な問答」が、不気味な歯車の回転とともに、ついにその幕を開けようとしていた。

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