↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
言葉に喰われた街の、逃げられない問い  作者: solune


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

17/50

第17話:『理科室の融解』

『――神谷創太……および……白石葵と……掛けまして……』


地下廊下に響き渡る、死体たちの合唱音。かつて2年B組の教室で笑い合い、怯え、互いを裏切り合ったクラスメイトたちの声が、何重にも折り重なって創太の鼓膜を直接揺さぶる。


『――立ち並ぶ……骸の廊下と……解く……。……その心は?』


カチ、カチ、カチ、カチ――!


死体たちの体内で、骨と肉が噛み合う「死の歯車音」が超高速で鳴り響いていた。


「創太……!」


声を失った白石葵が、血塗られたノートを創太の視界へ強く突き出した。そこには歪んだ文字で、こう殴り書きされていた。


『骸(死体)の本質は「言葉を発しない肉塊」! でも私たちはまだ「言葉」を諦めていない!』


葵の文字を目にした瞬間、創太の脳内でバラバラだったピースが一気に噛み合った。


立ち並ぶ骸。

それは、怪異の問いに答えられず、言葉を奪われ、思考を停止して肉体解体を受け入れた者たちの無残な姿。


そして、神谷創太と白石葵。

二人もまた、クラス全員を失い、絶望的な傷を負い、葵は声を失った。しかし、二人は他人の罪になすりつけることなく、言葉の意味(ロジック)を諦めず、互いの絆で意思を紡ぎ続けている。


(重なり合う概念……! どちらも……!)


「答えを提示する!」


創太は背中の刺創に耐え、葵の手を強く握り締めながら、前方に立ち並ぶ死者たちの群れに向かって叫んだ。


「神谷創太、および白石葵。正解は――『どちらも、声(日常)を失い、死と隣り合わせの闇の中に置かれているが、言葉(理由)を諦めた者(骸)と、言葉を紡ぎ続ける者(俺たち)として背中合わせになっている』だ!」


静寂。


カウントダウンの歯車音が、ピタリと止まった。


死体たちの口から漏れていた不快な合唱音が途切れ、一瞬の静寂が地下廊下を包み込む。


『――正解(ととのいました)』


死体たちの喉の奥から、悔しげな吐息が合唱となって漏れ出た。


「ふぅっ……!」


創太はその場に膝をつきそうになりながらも、葵の身体を抱き起こした。問いは解けた。だが、死体たちが消滅したわけではない。死の固定化が一時的に解除された骸たちは、再び不気味な関節音を立てて身を震わせ始めていた。


「ここを抜けるぞ!」


創太は立ち並ぶ死体たちの間――一瞬だけ生じた隙間を縫うようにして、葵を引き連れて地下廊下を全力で駆け出した。


死体たちの手が、ハサミの刃が、ガラスの骨が創太たちの服の生地をかすめる。だが、二人への追撃が始まる手前で、創太は廊下の途中にあった分厚い木製の扉――「旧第一理科室」のプレートが掲げられた部屋へと滑り込み、内側から太い金属の閂(かんぬき)を叩き落とした。


バシャアンッ!


扉が閉じられ、重い木枠が軋む。


理科室内は、暗闇と激しい「試薬」の匂いに包まれていた。


長年密閉されていた室内には、ホルマリン、塩酸、アンモニア、そして乾燥した薬品の粉末が混ざり合った、ツンと鼻を刺すような化学薬品の異臭が立ち込めている。中央には黒い人工大理石の実験台が数列並び、壁の棚には白く濁った液体や褐色の試薬瓶が無数に並べられていた。


「ハぁ……ハぁ……ッ!」


創太は実験台に背中を預け、荒い息を吐いた。


葵もまた、創太の隣で胸を激しく上下させていた。彼女の左肩の傷口から滲み出た赤黒い血が、理科室の床にぽたり、ぽたりと滴り落ちる。


葵は血塗られたノートを開き、震える指先で鉛筆を走らせた。


『助かったの……?』


「いや……一時凌ぎに過ぎない」


創太は自らの過剰な聴覚に意識を集中させた。


理科室の木製扉の向こう側。


ギチ……ギチギチギチ……。


ドスッ! ドスッ!


廊下に残された死体たちが、扉の木枠に向かって自らの頭や腕を叩きつけ始めていた。長谷川さくらのハサミが木扉を削り、小林のガラス状の骨が扉を叩き割ろうとする嫌な音が響く。この分厚い扉も、長くは持たない。


「葵、この部屋の奥に抜ける扉がないか確認してくれ」


葵が小さく首を頷かせ、実験台の陰へと向かった。


だが、創太は理科室の内部の「異変」に気づき、身を硬くした。


部屋の奥――棚に並べられた試薬瓶の群れ。


壁の内部から這い出してきた「黒い血管状の根」が、試薬瓶のガラスをツタのように巻き付き、被覆を破って内部の薬品を吸い上げ始めていたのだ。


濃塩酸、濃硫酸、硝酸――。


強力な酸性薬品を満たしたガラス瓶が、黒い根の吸い上げによって次々と内圧を高め、ピキピキと細かなヒビを深め始めていた。


(薬品……? 怪異が薬品を吸い上げている……!?)


創太の背筋に、冷たい悪寒が駆け抜けた。


怪異の法則は明白だ。周囲にある「環境」や「物質」を取り込み、それを人間の肉体破壊のロジックとして変換する。


そして今、外で扉を叩き続けている死体たちと、この理科室内に充満する強力な酸性薬品が、怪異の黒い根によって悪魔的に結合されようとしていた。


バキィィィィィンッ!!


ついに、理科室の木製扉が外側から豪快に蹴破られた。


破損した扉の隙間から滑り込んできたのは、全身からガラスの針を噴出させた小林と、太ももの肉がシュレッダーにかかったように千切れている近藤の死体だった。


彼らは壊れた人形のように首を180度回転させ、見開かれた眼球のくぼみから黒い汁を流しながら、創太と葵を見据えた。


そして、彼らの肉体の表面から――ジュウウウウウウッ、という、肉が焼ける凄惨な蒸気が立ち上り始めた。


ジュウ……ジュウウウウウウウウウウッ!


理科室内に充満していたツンとする化学薬品の匂いが、一瞬にして「生の肉と骨が酸で溶ける強烈な激臭」へと変化した。


「な……んだと……!?」


創太の目が大きく見開かれた。


侵入してきた小林と近藤の死体の表面から、激しい白煙が立ち上っていた。彼らの肉体に穿孔していた黒い根から、理科室の棚から吸い上げられた濃硫酸と濃塩酸の混合液が、直接彼らの血管と内臓へ注ぎ込まれていたのだ。


チチチチチ……ボコボコボコボコッ!


死体たちの皮膚が、強力な酸によって内側から黒く炭化し、膨れ上がり、ドロドロの肉泥へと融解し始めた。


小林の体内にあった数千本のガラスの骨が、高濃度の強酸によって白く濁り、ドロドロに溶けた肉とともに床へ崩れ落ちる。近藤の千切れた太ももの肉の帯もまた、酸の泡を吹いて溶け出し、赤黒い液体となって床のタイルへ垂れ落ちた。


「ガあ……っ! ぐあぁぁぁぁぁっ!」


死体たちの口から漏れたのは、言葉ではなかった。自らの肉体が強い酸によって炭化し、溶けていく激痛の悲鳴。


しかし、彼らは死なない。


肉体が溶ければ溶けるほど、その「溶けた酸性肉泥」そのものが生き物のように床を蠢き、周囲のコンクリートや木製の床板をジュウジュウと激しい音を立てて溶かしながら、創太たちへ向かって拡大し始めたのだ。


床のタイルが黒く焦げ、煙を上げてドロドロに溶け落ちる。


「創太……っ!」


葵がノートを抱きしめたまま、実験台の上へと跳び乗った。


酸性の肉泥は、床一面へ津波のように広がり、理科室の足場を瞬く間に奪っていく。触れれば、人間の足など一瞬で骨まで溶かされる強酸の海。


その時、棚の試薬瓶が一斉に破裂した。


ガシャァァァンッ!!


強酸の試薬と死体たちの融解肉が混ざり合い、天井のスピーカーから――いや、溶け落ちる死体たちの喉そのものから、あの濡れた女の声が、沸騰する泡の音とともに響き渡った。


『――ふふ。溶けて混ざり合うのは、実に気持ちが良いですね』


声は、酸の気泡が弾ける音に合わせて、不気味に揺れていた。


『詩織さんが浴びせられた言葉も、このような酸のように、彼女の心をドロドロに溶かしたのですよ』


カチ、カチ、カチ、カチ――!


溶ける死体の肉泥の中で、死の歯車音が響く。


『十つ目の「整い」です。……問いかけましょう』


融解する酸の肉泥が、実験台の脚をジュウジュウと溶かしながら、創太たちの足元へ迫ってくる。


『強酸の中に沈む、理科室の死体たちと掛けまして』


『かつてあなたたちが詩織さんに与えた、冷たい嘲笑と解く。……その心は?』


『制限時間は一分。……足元から溶けて、骨になりなさい』


「くそっ……!」


創太は葵を実験台の上で庇いながら、必死に思考を巡らせた。


制限時間はわずか一分。


足元の実験台の脚が、強力な酸性の肉泥によって削られ、傾き始めている。あと数十秒で、実験台ごと強酸の海へ叩き落とされる。


(強酸の中に沈む死体……! 冷たい嘲笑……! 共通点……!)


創太の過剰な聴覚が、酸が肉と大理石を溶かす「ジュウジュウ」という不快な泡の音の裏側にある「音」を捉えた。


泡が弾ける音。

肉が炭化する音。

相手を容赦なく削り取り、形を崩し、跡形もなく消し去る破壊性。


一年前、クラス全員が鳴海詩織に対して放った「嘲笑」。

それは単なる笑い声ではなかった。彼女の存在、彼女の尊厳、彼女の心を、酸のように少しずつ溶かし、削り取り、最後には消滅へ追いやった毒。


(溶かす……削り取る……跡形もなく……!)


「答えは……!」


創太の脚を支える実験台が、ガタリと大きく傾いた。


「答えは、どちらも『対象の形(尊厳・肉体)を跡形もなく溶かし尽くし、存在そのものを消し去ってしまう』だぁぁぁっ!」


創太の叫びが、沸騰する理科室に響き渡った。


静寂。


実験台が床へ崩れ落ちる間一髪の瞬間――。


カチ、カチ、と鳴っていた歯車の音が、ピタリと止まった。


『――正解(ととのいました)』


スピーカーから、不満げな吐息が漏れた。


正解の判定が下された瞬間、創太は葵の腰を抱き寄せ、傾く実験台から隣の実験台へ向かって必死の飛び移りを敢行した。


ドスンッ!


間一髪。


創太と葵が飛び移った直後、さっきまで乗っていた実験台が、強酸の肉泥の中に崩れ落ち、ジュウウウウウウッ! と激しい煙を上げて一瞬で黒く炭化していった。


足元を埋め尽くす強酸の肉泥は、正解を得たことでその爆発的な拡散を止め、グツグツと沸騰しながらゆっくりと床の亀裂へと沈み込んでいった。


「はぁ……はぁ……はぁ……っ!」


創太は隣の実験台の上で倒れ込み、激しい息を吐いた。


葵も創太の胸に顔を埋め、声の出ない安堵の息を漏らしていた。


理科室の床は、強酸によってドロドロに溶かされ、下の階への大きな穴が開いていた。溶けた死体たちの残骸は、その穴の底へとドロッと流れ落ちていく。


危険な理科室の罠を、創太の過剰な聴覚と極限の洞察力によって、間一髪で突破したのだ。


創太は葵を抱き起こし、溶けた床の穴を見下ろした。


その穴の先――旧校舎の地下最深部から、冷たい風と、真の怪異の吐息が吹き上がってきていた。


「行くぞ、葵。深淵へ」


葵は力強く頷き、創太の手を握りしめた。


二人は溶けた床の縁を渡り、地下最深部への扉へと、再び歩みを進めていくのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
最後までお読みいただきありがとうございます。 もし少しでも「面白い」「続きが気になる」と思っていただけましたら、作品ページや各話下部にある【ブックマーク追加】や評価(★マーク)をいただけますと、今後の執筆の大きな励みになります!
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。