第12話:『血の選別』
放送室の狭く防音された空間に、狂気と死臭が濃密に沈殿していた。
「神谷……お前だ……お前が全部悪いんだ……!」
西条拓海は、清掃用の木棒の先にガラスの破片を太いビニールテープで巻きつけた歪な槍を構え、膝をがくがくと震わせながら創太へ向かって一歩踏み出した。彼の全身は、これまで死んでいったクラスメイトたちの血と脂でドロドロに汚れ、目球は血走り、瞼の縁は皮膚が千切れかかっていた。
その西条の後ろには、二階の廊下の地獄から這い上がってきた六名の生徒たちが、まるで死霊のように肩を寄せ合って群がっていた。男子生徒の加藤、山田、女子生徒の佐々木、谷口、そして名前すらまともに思い出せないほど恐怖で顔を歪めた二人の生徒。彼らの手には、折れた椅子の脚、割れたガラスの刃、血濡れたハサミが握られている。
「西条さん……神谷を殺せば……神谷の血を捧げれば、俺たち助かるんだろ……!?」
「そうだ……神谷が答えを隠してるから、みんな死んだんだ……!」
生徒たちの口から漏れ出るのは、理性を完全に失った者の支離滅裂な呻きだった。彼らは西条の暴虐を恐れながらも、同時に「神谷創太という生贄」を捧げることで自分たちが助かるのではないかという悪魔的な妄想に縋り付いていた。
「やめろ、お前たち!」
創太は葵を自分の背後に押し押し込み、足元に転がっていた鉄製のマイクスタンドを両手で構えた。
「正気を戻せ! 誰かを殺しても問いは止まらない! 俺を殺せば、お前たちの中で次に問いを解ける人間はいなくなるんだぞ!」
「うるせええええええっ!」
西条が咆哮した。
「解く必要なんてねえんだよ! お前が今すぐ正解を言えばいいんだ! 俺を……俺を今すぐ正解させて、この学校から出させろぉぉぉっ!」
西条がガラスの槍を振り上げ、創太の喉元目掛けて飛びかかろうとした、その瞬間だった。
ジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジッ!!!!
放送室内に設置された巨大なアンプと、天井のスピーカーが一斉に、耳膜を直接突き破らんばかりの破滅的なノイズを噴き出した。
「がああぁぁぁぁぁぁっ!?」
西条が両耳を押さえて槍を落とし、床へ転がり回った。他の生徒たちも血の出た耳を押さえ、頭を壁や床に叩きつけながらののしり倒れる。
コンセントの抜かれた大型機器群の真空管が、まるで沸騰した心臓のようにドクドクと不気味に脈動し、赤黒い光を部屋全体へ撒き散らした。壁から伸びる無数の黒い毛細血管のような根が、狂ったように収縮し、床の絨毯を裂いて外へ溢れ出してくる。
そして、そのノイズの渦の中から――これまでのどれよりも低く、重く、地獄の底から響くような「あの声」が降ってきた。
『――ふふ。全員、集まりましたね』
声は楽しげに、まるで実験室のカゴの中で右往左往するモルモットたちを観察する人間のように、酷薄に響き渡る。
『これまでのように、一人ずつ丁寧に解体して差し上げるのは……少し時間がかかりすぎます。あなたたちの醜い保身の醜悪さが、このアンプのノイズをどこまでも美味しく煮詰めてくれましたから』
「な……なにを言叩いてんだ……!?」加藤が血の泡を吐きながら天井を仰いだ。
『集団問答を執り行います』
「集団……問答……!?」
創太の背筋に、冷たい氷の針が刺さった。
アンプのレベルメーターの針が、壊れたようにレッドゾーンを叩き叩き叩き刻み続ける。
『問いかけます。ここにいる、2年B組の残された羊たち全員と掛けまして』
カチ、カチ、カチ、カチ――!
スピーカーの奥から響く歯車音が、これまでの倍以上の超高速で回転し始めた。
『古びた屠殺場の競り市と解く。……その心は?』
「と、屠殺場……!? 競り市……!?」
生徒たちが目を見開いた。
『制限時間は二分。そして……ふふふ。今回は特別なルールを授けましょう』
湿った女の声が、狂気に満ちた「選別」の宣告を下した。
『この問いに正解できるのは、先着で『三人』までです。三人目の正解が出た瞬間、あるいは制限時間が切れた瞬間……残されたすべての者は、同時に『不整』とみなされ、一瞬で解体されます』
「な―――ッ!?」
創太の息が止まった。
先着三人。
ここにいるのは、創太、葵、西条、そして六名の生徒――計九名。
つまり、どんなに全員が正解を知っていたとしても、物理的に「六名以上」が確定で惨殺されるという、逃げ場のない集団殺戮のルールが突きつけられたのだ。
「三人生き残る……!? 三人しか助からないのかよぉぉぉっ!?」
山田が叫んだ。その言葉が放送室の密室に響いた瞬間、部屋の中の空気が、完璧に「共喰い」の狂気へと変貌した。
「三人だ……俺と……西条さんと……誰か一人だ!」
「嫌だ! 私は嫌! 私は残りたい! 私を先に行かせてよ!」
佐々木が悲鳴を上げ、隣にいた谷口の髪を掴んで床へ叩きつけた。
「離せ! 触るな! 殺してやる! お前さえいなくなれば俺が入れるんだろぉっ!」
谷口が叫び返し、持っていた血濡れのハサミを佐々木の太ももへ深々と突き立てた。
「ぎゃあああぁぁぁぁぁっ!」
肉の裂ける不快な音と、噴き出す血潮。
正解を考えるのではない。他人を殺し、傷つけ、自分だけが「先着三人」の枠に滑り込もうとする、醜悪な血の奪い合いが、狭い放送室の中で爆発した。
「葵! 俺から離れるな!」
創太はマイクスタンドを振り回し、狂乱して襲いかかってくる加藤を押し倒した。だが、生徒たちの狂気はすでに創太の言葉すら耳に入っていなかった。
「答えは何だ! 神谷! 答えを言え! 俺に一番最初に言わせろぉっ!」
西条が血のついたガラスの槍を構え、鬼のような形相で創太へ襲いかかってきた。
制限時間、残り一分三十秒。
カチカチカチカチカチカチ――!
爆速で回転する死の歯車音が、生徒たちの狂乱をさらに煽り立てていく。
(屠殺場の競り市……! 2年B組の生徒たち……! 重なり合う概念……!)
創太は脳内回路を焼き切らんばかりの速度で回転させた。
(屠殺場の競り市で何が行われる!? 家畜が値段をつけられ、生贄として選別され、殺されるために競り落とされる! そして俺たち2年B組……今まさに、生き残るために互いの命を量りにかけ、殺し合っている……!)
「答えは……答えは『どちらも、生き残るために命(肉)を競り落とし、仲間を殺戮の場へ引きずり込む』だ!」
創太がその答えにたどり着いた、その瞬間。
西条が創太の胸元目掛けて、ガラスの槍を突き出してきた。
「死ねぇぇぇっ! お前の答えは俺の物だぁぁぁっ!」
ドスッ!!
「がっ……!?」
刃が肉を穿つ重い音が響いた。
だが、刺されたのは創太ではなかった。
創太の前に身を投げ出したのは、声を奪われた少女――白石葵だった。
西条の突き出したガラスの槍の先端が、葵の左肩を深く貫き、鮮血が創太の顔面へと勢いよく飛び散った。
「あ……が……ッ!?」
葵の口から、空気の抜けるような凄惨な悲鳴が漏れる。葵は激痛に顔を歪めながらも、両手で西条の木棒を死に物狂いで掴み、創太へ刺さるのを力任せに阻止していた。
「葵―――ッ!!」
創太の脳内で、何かがブツリと切れる音がした。
「よくも……よくも葵をぉぉぉぉっ!」
創太は手に持っていた鉄製マイクスタンドを、全身の体重を乗せて西条の顔面へ向かって振り下ろした。
ガキィィィィンッ!!
「ぶふっ!?」
鉄パイプが西条の鼻柱と頬骨を豪快に叩き割り、西条の身体が宙を舞って放送コンソールへ激突した。鼻骨を砕かれた西条は、血と歯を撒き散らしながら床へ転がり、狂ったように呻いた。
「葵! しっかりしろ! 葵!」
創太は葵を抱き起こし、彼女の肩から溢れ出る血を制服の袖で必死に押さえつけた。葵は意識を失いかけながらも、涙に濡れた目で創太を見つめ、創太の手を握り返した。
その間にも、放送室と廊下の境界線では、最悪の地獄絵図が展開していた。
「答えは……答えは『家畜みたいに殺される』だぁぁぁっ!」
加藤が叫んだ。極限の恐怖に耐えかね、支離滅裂な答えをスピーカーへ向かって叫んでしまったのだ。
『――不整』
スピーカーから、冷酷な宣告が放たれた瞬間――。
加藤の首の後ろの肉が、まるで巨大な肉フリンジ(肉フック)によって内側から引っ張り上げられたかのように、ズズズッと隆起した。
「ひ……っ! ぎゃあああぁぁぁぁぁぁっ!」
加藤の首の皮膚を突き破り、錆びついた巨大な「鉄の肉吊りフック」が体内から突出し、彼の喉と背骨を貫通して外へ飛び出した。そのフックが天井のアンプ配線へと巻き付き、加藤の巨体を床から軽々と吊り上げた。
「ガあっ……ごふっ……!」
首を吊り上げられた加藤の腹部が、目に見えない肉切り包丁によって垂直に切り裂かれた。彼の内臓――胃、腸、肝臓が、まるで屠殺場の豚のように一気に床へデロリと垂れ落ち、血の海の上へ撒き散らされた。
「ひあぁぁぁぁぁっ! 加藤が吊るされた! 加藤が吊るされたぁぁっ!」
それを見た佐々木と谷口が、狂乱して互いの首を絞め合いながら、出鱈目な答えを叫び散らした。
「答えは『みんな肉になる』! 『死にたくない』! 『助けて』ぇぇぇっ!」
『――不整。ならびに不整』
二人の宣告が同時に下された。
佐々木と谷口の全身の骨格が、内側から逆方向へ折れ曲がった。背骨がS字に砕け、両足の腿骨が腹を突き破って飛び出し、二人は互いの体に骨の刺を突き刺し合って抱き合ったまま、グシャリと肉餅のように潰れて即死した。
「ヒッ……ヒヒッ……あははははっ!」
山田という男子生徒は、壁に頭を叩きつけながら、自らの指で両目を突き刺して狂い死んだ。
惨劇の連鎖。
「三人まで」という悪魔のルールが生み出したパニックにより、生徒たちは自ら回答権をドブに捨て、怪異の『不整』判定を受けて次々と最悪の肉体破壊へ呑み込まれていった。
残された時間は、あと十五秒。
床は加藤の内臓と、佐々木たちの砕けた骨肉、そして大量の熱い血液で完全に埋め尽くされていた。
「はぁ……はぁ……っ!」
創太は葵を抱きしめたまま、血の海の中で立ち上がった。
コンソールへ激突し、顔面を潰された西条が、血みどろの手で創太の足首を掴んできた。
「神谷……頼む……答えを……俺に答えを言わせろ……俺を……助けろ……っ!」
西条の瞳には、かつてのクラスの支配者としての影などどこにもなく、ただ死を恐れる哀れな虫けらの惨めさだけが残されていた。
創太は西条の手を冷たく蹴り飛ばした。
「お前に教える答えなど、最初から存在しない」
創太は葵をしっかりと抱き抱え、不気味に脈動するアンプとスピーカーを見据えた。
「答え(正解者一人目)を提示する」
創太の声が、死の静寂に包まれた放送室に響き渡る。
「神谷創太、および白石葵。正解は――『どちらも、自らの命を守るために仲間を競り落とし、殺戮の場へ引きずり込む』だ!」
静寂。
制限時間、あと三秒。
カチ、カチ……と鳴っていた超高速の歯車が、ピタリと動きを止めた。
アンプのレベルメーターの針が、一瞬だけ中央へ戻る。
『――正解。正解者、二人』
スピーカーから、悔しさと吐息の混ざった女の声が響いた。
「ふぅ……っ……!」
創太はその場に倒れ込みそうになるのを踏みとどまった。自分と葵の分の正解が認められたのだ。
だが、三人目の正解者は――出なかった。
『――制限時間、終了』
スピーカーからの無情な宣告。
「え……? あ……あぁぁっ! 神谷! 頼む! 俺の分は!? 俺の分も言ってくれぇぇぇっ!」
床で血を吐いていた西条拓海が、絶叫した。
『先着枠未達。残された愚者に……不整の裁きを』
次の瞬間。
西条の全身の皮膚の下で、無数の「肉吊りフック」が一斉に生え揃った。
「嫌だぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
ズバババババババババッ!!!!
西条の首、両肩、胸、腹、太ももから一斉に刺し出された金属フックが、彼の肉体を豪快に吊り上げた。西条の身体が天井へと引っ張り上げられ、彼の腹部が縦に破裂して、大量の血と内臓が創太の目の前の床へドバッと落下した。
「あ……ガ……っ……神谷……お前……っ」
天井に吊るされた西条は、自らの内臓を撒き散らしながら血の泡を吹き、やがて首を垂れて動かなくなった。
かつてクラスを暴力で支配し、水野結衣を実験台にして殺した男の、あまりにも惨酷で、救いのない末路だった。
静寂。
放送室内を支配したのは、天井から吊るされた加藤と西条の死体から、ぽたり、ぽたりと血が床の海へ落ちる音だけだった。
生存者は――神谷創太と、傷を負った白石葵の、わずか二人。
2年B組のクラスメイトたちは、この集団問答によって一気に全滅へと追いやられたのだ。
創太は血塗られた床の上で、意識を失いかけた葵を強く抱きしめた。
背中に刺さったガラスの傷と、葵の肩からの出血。二人の体力が限界に達しつつある中で、異界化した校舎は、さらなる狂気の深淵へと彼らを誘おうとしていた。




