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第9話 変わる世界

【前回までのあらすじ】

大陸国との戦争に敗北した日本の首都、東京。

その地下に築かれた地下都市「東京回廊」で暮らす明石直人は、日々地上の瓦礫を漁ってそれらを売却することでどうにか暮らしていた。

そんなある日、彼は瓦礫の中から、かつて戦時中に自らの命を救ってくれた天使を見つけだす。

瀕死の彼女を救うため、親友の秋夜に助けを求める直人。

しかしそこで直人は、彼女が大戦中に日本軍が開発した戦闘用アンドロイドMDD18、コードネームは「AYA」であると知らされる。

そして、心臓にあたるリアクターが大きく破損しており、その影響で彼女の寿命はそう長くなく、2か月もしないうちに死ぬということも知るが、それでも直人は「綾」と新たに名付けた彼女に寄りそう覚悟を決めるのだった。

そんなある日、地上に上った綾は東京の空を再び舞う機会を得る。

そこで様々な厳しい現状を目の当たりにし、さらに自身が占領軍によって指名手配されていることを知った彼女は、直人に何も告げずに彼のもとを去り、過去の戦闘で失ったものを思い浮かべながら綾は回廊の空に身を投げる。

しかしすんでのところで直人に救出された綾は、そこで彼の口から、彼が失ったものの話を聞かされるのだった。

かの大戦が勃発し、開戦前から付き合っていた紗耶香と共に軍に招集された直人。

横須賀の基地で毎日訓練に明け暮れる彼の唯一の楽しみは夜に紗耶香と共に夜空を見上げ、そして将来のことを語り合うことだった。

そんなある日、基地内に空襲警報が鳴り響き、辺りは騒然となる。しかし爆撃機は基地を素通りし、首都東京を目指していることが判明し、警報は解除される。

再び静寂が辺りを包む中、直人と紗耶香は森の中で星空を見上げて互いを語り合う。

だがその瞬間、敗走する爆撃機が投棄した爆弾が紗耶香を直撃し、辺りは炎に包まれる。

最愛の人を失い基地を逃げだして東京回廊にたどり着いた直人は、そこで爆撃に巻き込まれ、綾と出会ったのだった。

戦時中の悲劇を語り終えた彼らは2人、東京回廊を巡って愛を深めていた。

そんなある日、秋夜が直人の元を訪れ、PCFの施設になら彼女のリアクターを回復させる方法があるかもしれないと提案する。

危険を承知でPCFの施設に強襲することを決めた2人は、警備兵をかいくぐって目標地点に到達することに成功するものの、目的のリアクターはすでに破壊されていた。

仕方なくMDDシリーズに関する資料などをありったけ回収して脱出を図る直人だったが、そんな彼の胸を一発の銃弾が貫いたのだった……

『PCFの施設に侵入する』


 いきなりそんなことを言いだした彼を、私は本当にバカだと思った。

 その感想は侵入の目的を、私の為だという話を聞いた今も変わらない。

 だから私は、そんなのむちゃくちゃだと、やめてくれと懇願した。そんなことをしたら死んでしまう。私は君が死んだらどうすればいいの、と、繰り返し彼に言った。

 でも、彼は折れなかった。


『俺は沙耶華を失った時に誓ったんだ。もう二度と、大切な人を失わせないって。だから、これはそのための行動だ』と、そう言って。


 彼が私の為に行動してくれるということに、喜んでいる自分がいることにも気づいていた。そこに嘘はつけない。

 けど、それ以上に私は彼のことが心配だった。

 ここで彼を行かせてしまったらもう二度と会えなくなるんじゃないかと、そう思うだけで、まるで体が心から凍り付くかのような感覚に陥った。


『綾はさ、生き延びれたらどうしたい?』


 座り込んだ私の頭を撫でながら、直人はそう言った。


『そうですね……ベタなこと言いますけど、直人の隣にいたいですね』


 考えた末、私はそう答えた。


『直人は放っておいたら、どこかに行ってしまいそうですから』


 ずっと私のそばにいてほしい。

 ずっと彼のそばにいたい。

 そんな本心を、こんなに不器用にしか伝えられない自分が嫌でうつむく。


『でも、どうなんでしょうか。今回もそうだったように、私がそばにいても君はいなくなるときはいなくなっちゃうんでしょうか?』

『今回は、綾の為だから』


 私の為だ、なんて歯の浮くような台詞を、よく照れもせずに言えるものだ。

 顔が真っ赤になるのを感じながら、それを悟られまいと照れ隠しの言葉を吐く。


『この先もきっと、君はそうやって何かと理由をつけそうな気がしますが』


 涙を拭いて顔を上げると、そこには直人の困ったような笑顔があった。


『私がそばにいても君はすぐどこかに行ってしまいそうですが、私がそばにいれば、自分を言い訳にはしないでしょうから』


 自嘲気味に笑いながらそう言って、私は思い知る。

 彼は、本当は彼自身の為に動いているのだ。彼の為に、私の為に、沙耶華さんの為に。


『……まったく、本当に君はお馬鹿さんですね』

『かもな』


 私は無理に笑顔を作って、そう言うしかなかった。


 そして、直人が重症を負ったという話を秋夜さんから聞かされた。

 一瞬で頭が真っ白になった。けど、そこにはやっぱりという気持ちもあった。

 彼が自分の為に、私の為にとやってることは本当の事じゃないと知った。

 彼は私を救いたいんじゃない。過去に沙耶華さんを助けられなった自分を、自分で助けたがっているのだろうと、そう思っていた。

 直人は私の為の行動の中で死んで楽になりたいのだと、私を助けることではなく私を助ける行動にこそ意味を求めているのだと、どこかで私は知っていた。


「本当に、君はお馬鹿さんですね……」


 それでもなんとか一命を取り留めたという話を後から聞き、心から安堵する。


「ホッとしてるところ悪いんだけど、いくつか話いいかな?」

「話?」

「ああ。今回PCFの駐屯地で回収した物についての話だ。元々は直人に話してもらおうと思ってたんだけど……肝心の本人がこんな状態だからね。代わりに俺が」

「そういうことですか」


 ふー、と息を吐く秋夜さん。


「端的言おう。君は……」


 彼の口から語られたことは、私自身が驚くのに十分で、そして私が私でなくなるのにも、十分な話だった。


 *


 目を覚ますと、俺はベッドの上に寝転ばされていた。


「ん?」

 

 目線だけを動かして左右を確認する。

 どうやらここは、いつか見た秋夜の家の隠し部屋の中のようだ。

 状況をくわしく知ろうと、ゆっくりと上半身を起こし、何とはなしに胸のあたりを擦る。


「……あれ?」


 手に触れる感覚が少し変なのに気づく。

 待て、落ち着け俺。なにがあったのか思い出せ。

 確か秋夜とPCFの施設に侵入して……でも目当てのリアクターは壊れてて……それで、どうしたんだっけ?


「おう、目ェ覚めたか」

「秋夜……」


 相変わらずの白衣姿で部屋に入って来る秋夜。

 普通に歩いているところを見るに、秋夜の足の怪我はそう深くなかったようだ。よかったよかった。


「ん? 怪我?」


 そこで、何があったのかをようやく思い出す。そうだ、俺は撤収時に胸を撃たれたんだった。

 そう思った瞬間、胸のあたりにちくりとした痛みが走る。

 思わず痛みに身を震わせるが、鋭い痛みはすぐに引いていった。

 なんだ、今は一体どういう状況だ?


「まあまあ、混乱するのもわかるが少し落ち着け。大丈夫、お前はもう大丈夫だ」

「大丈夫って……?」

「直人は確かに胸を撃たれたが、撃たれた個所はもう治療しといたからもう大丈夫だ、という意味だが?」

「治療って……お前、そんなことまでできたのか?!」


 一体全体秋夜はどれだけ器用なんだ。というか、神は彼にいくつ才能を授けたら気が済むんだ。


「いや、俺は医者じゃまいからな。そこら辺は荒療治だ。撃たれていた個所をサイボーグ化した」


 読んで字のごとくの荒療治だった。


「え、ってことは……」

「ほれ、見てみ」


 指を指した方を見ると、首筋から胸にかけて、金属感溢れる素材になっている、まるでできそこないの怪物のような姿の俺が、鏡に映っていた。


「大変だったぜ? お前、死にかけて丸一日寝込んでたからな」


 いや、軽々とそんなことを言われても。

 しかし、この傷痕に(と呼んでいいのだろうか?)思うところはないかと言われたら、そんなことはないが、今はそれどころじゃない。


「綾は」

「ん?」

「綾はどうした? ……いや、綾はどうしたっていうか、結局どうなったんだ? 俺たちが文字通りの命がけで持ち帰った品々は、どうだったんだ?」


 俺たちは目的だったMDD19リアクターの奪取は実質的に失敗し、その場にあったMDDシリーズに関する研究成果やそれらに準ずるものらしきものを回収、離脱した。

 俺は脱出と同時に意識を失ったから、その後どうなったのか知らない。

 なにか綾が生き延びる為のヒントがあったのか、解決策は見つかったのか。

 過度な期待をしてはいけないとは思いつつも、こればっかりは聞かざるを得ない。


「いろいろ説明することはあるんだが、とりあえず一つだけ。綾の寿命を延ばす手段は見つからなかった」

「……つまり彼女は前と変わらず、二か月後には死ぬ、と」

「そういうことだな」


 大きなため息をつく。

 わかってはいた。そんな簡単にいかないことくらい。

 それでも、PCFなら何かを掴んでいたのではないか、秋夜なら何とかしてくれるのではないかという考えがこの二日間頭にあっただけに、それはやはり凶報として俺の心をえぐるには十分だった。


「で、他にもいくつか報告が」


 一体これ以上何の報告があるというんだ、と言いかけたその時、部屋に綾が入って来たので口をつぐむ。


「後は直接彼女の口から聞くといい。じゃ」


 俺の肩を叩いて、無責任にもそんな言葉を残して部屋を出て行ってしまう秋夜。

 直接聞けって、そんな……。

 しかし、事態はそんな俺の考えとは全く別の事態に発展する。


「直人、久しぶり」


 綾の口から出たその言葉を聞き、俺の体は硬直する。

 今俺の目の前にいる彼女は、姿かたちも声も、綾そのものだ。

 しかし、その表情や態度、まとっている雰囲気は綾ではなかった。

 綾ではない、誰か。

 そして俺は、その人を知っていた。


「沙耶華、か?」

「そうだよ、久しぶり」


 可愛らしくウインクをする彼女は、かつて俺が失った沙耶華その人だった。


 *


「君は沙耶華、なんだよな……?」

「もう、そうだって言ってるじゃん。何回聞くつもりなの?」


 優しい笑みを浮かべてそう答える綾、もとい沙耶華。

 彼女が沙耶華だと名乗ってからしばらく、俺の脳は完全に停止していた。

 かつて守ることができずに、自分の全てを投げ出すほど後悔した彼女が、なぜここにいるんだ、という疑問はもちろん、綾本人はどこに行ったんだろうかという疑問も脳裏に浮かぶ。

 本当に何が起きたのか、訳がわからない。


「ちょっと、何泣いてるのさ」

「え……」


 目の端に手を当てて、初めて自分が今泣いているということに気づく。

 両目からとめどなくあふれ出す涙を、止めることができない。


「なんで、だろうな……ずっと、もう沙耶華には会えないものだとばかり思ってたから……」

「私言ったよね? 『私は何があっても君のそばからいなくなったりはしない。ずっとそばにいるよ』って」

「……!」


 それは確かに秋夜が俺の前から消えた夜、星空の下で孤独に身を焦がしていた俺に、彼女が言ってくれた言葉だった。


「この子……綾ちゃんも同じ気持ちだったみたいよ?」

「綾が……?」

「そう。今の私は沙耶華であり、綾だからね。彼女の気持ち全部伝わってきてるの」

「一体、何があったんだ? ……いや、何をされたんだ?」

「そうだ、それを説明するんだった。久々に直人を見た感激ですっかり忘れてた」


 えへへ、と笑うその仕草は沙耶華のもので、綾の見た目で言動が沙耶華というのは、なんとも不思議な気持ちにさせてくれる。


「秋夜さんがね、綾ちゃんに言ったの。『君は沙耶華さんだ』って」

「……は?」

「直人、MDDシリーズがどんな仕組みで作られたアンドロイドか覚えてる?」

「身体は普通のロボットと同じで、制御用のAIには人間の脳を使っている……っ!? まさか、そんな……」

「そう。この子、綾ちゃんのAIは私の脳だったんだよ」


 それならあの晩、軍部が俺に対して、沙耶華の遺体を一切見せることなく迅速に処理したのにも納得がいく。きっと、沙耶華の体の損傷はそこまでではなかったのだろう。あまりのショックに茫然としていたせいで記憶があいまいだが、彼女は脳までは死んでおらず、ひょっとしたら、あの時にはまだ生きていたのかもしれない。

 でも、俺が動けなかったばっかりに、軍に回収され、MDD18のAIとして利用された。俺のせいで……。


「直人、なにか勘違いしているようだけど、君のせいじゃないからね?」


 まるで心を見透かしたかのようなことを言われ、思わずぎくりとする。


「あの時、爆撃機が投下した爆弾は直撃でこそなかったものの、衝撃で私の体をバラバラにしたんだよ。即死も即死、生きてなんかいなかったわよ?」

「そう、なのか……?」

「ええ。でも、脳だけは奇跡的に無事だった。爆弾の破片が一瞬で心臓を木端微塵にしてくれたのが、かえってよかったのかもね」


 手を胸の前に持ってきて、どかーんと明るく言い放つ沙耶華だが、目の前で目撃した身としては素直にリアクションしにくいものがある。

 というか、貴女こそ当事者でしょうが。自分でそんなコミカルにしていいんですか。


「だから私はMDD18の、綾ちゃんの脳になったの」

「でも、綾は自身のもとになった人の記憶なんて持ってなかったぜ?」

「そこら辺は……ね? それよりも、ふーん。さっきはツッコミ損ねたけど、へぇー、『綾』ねぇ?」

「……ん?」


 ニヤニヤとした笑みを浮かべ、顔を近づけられる。


「私という人がありながら、他の女の子とそんな関係に、ねぇ?」


 な、なにいっ?!


「ち、違うんだ!」

「『俺はお前の全てを受け入れる』だっけ? いいなー、私もそんなこと言われてみたいなぁ」

「うわああああ」

「直人、私にもそんなこと言ってくれたことないのに、出会って間もないこの子には言っちゃうんだ~」

「待て待て待て、落ち着け」


 そうか、綾の記憶も持ってるんだったらそのことも知っているのか! 不覚っ!


「って、それだよ沙耶華!」

「どれだよ直人?」

「なんでお前がここにいるんだ?! 全然説明してくれないじゃん!」

「いやぁ、久々に直人をからかうと楽しくてさ……」


 ダメだ。こんなことを言うのは心外だが、沙耶華に説明能力を求めてはいけない気がしてきた。


「どう、説明は終わった?」

「お、秋夜。ナイスタイミング」


 振り上げた疑問の拳をどこに振り下ろせばいいものかと、頭を悩ませていたまさにそのタイミングで、部屋に入ってくる秋夜。

 あわてて彼にヘルプを求めると、


「ったく……全く話は進んでないと……」と、思いっきり呆れた顔をされる。

「すまん」


 いや、なんで俺が謝ってるんだよ。


「ま、どうせ感動の再会に打ち震えて話が進まなかったとか、そんなとこだろ?」


 はあー、と大きなため息を一つ。


「直人、一応言っておくが、彼女の記憶は綾の時と同じ状態だ」

「同じ状態?」


 唐突なその発言に首をかしげる。


「そう。去年の八月に死んだときから、昨日目が覚めたところまで、完璧に記憶が飛んでいる」


 その言葉に、思わず俺は沙耶華に尋ねる。


「でも『久しぶりだね』って……」

「秋夜さんにいろいろ説明してもらって……私は一度死んだって聞いて、どうすればいいかわからなくて、それで……」

「直人、これ以上沙耶華さんに負担を掛けない方がいい。綾の時もそうだったろ? まだ彼女は現状を受け入れられていない」


 明るく振る舞ってはいたが、それでも不安だったのだろう。頭を抱えて、しゃがみこんでしまう。

 沙耶華は秋夜から今の話を聞かされて、自分にとっては昨日のような俺との記憶を、さも昔のように話してくれていたのか。合わせてくれていたのか。


「続き、説明するぞ?」

「ああ、頼む」


 再び秋夜に向かい直る。


「今回俺たちがPCFの施設から回収した物に、綾を延命させたり助けたりできるようなものはなかった。結局リアクターの仕組みも闇の中だ。けど、残されていた研究データを調べたら、一つだけ可能なことがあることに気づいた。それは、記憶のサルベージだ」

「記憶のサルベージ?」

「MDDシリーズのAIとして機能を果たしている人間の脳の、本来の所有者の記憶を戻すこと。『前世の記憶を呼び覚ます』とでも言えばわかりやすいか?」

「それで、綾の記憶をサルベージしたのか」

「ああ。データを調べたら綾の脳が沙耶華の脳だと分かったからな。その時点で綾にどうするか尋ねた。速答だったよ、サルベージを受けますとな」


 なるほど、それで今のような状態になったのか。それでもって、あくまで沙耶華の記憶を呼び戻しただけに過ぎないので、今の彼女の頭には綾の記憶も沙耶華の記憶もあるという状況になったわけだ。今彼女は、さながら、二重人格のような状態にあるわけか。


「今の彼女は綾で、沙耶華なのか。そんでもって、寿命は相変わらずあと二か月弱と……」

「まとめてしまえば、そうなるな」

「なるほどな……」


 しゃがみこんだままの沙耶華を見つめ、なんともやるせない気持ちになる。

 沙耶華に会えたことへの嬉しさや、反対に彼女に重いものを背負わせてしまったという自責や、彼女が生きていたことが分かった今、沙耶華を守れなかったという自分自身の想いに対してどう向き合えばいいのかという不安。

 さまざまな感情が渦巻き、考えれば考えるほど心が曇っていく。


「でも、一番不安なのはお前だよな」


 うずくまる沙耶華を後ろからゆっくりと抱きしめ、静かに耳元で「大丈夫。俺がそばにいるよ」と囁く。

 そうだ。沙耶華が不安がっているというのに、俺がこんなでいいわけがない。


「……これじゃあ、逆だね」

「ああ、そうだな」


 世界も環境も心情も、全てが変化して原形をとどめていないのかもしれない。

 ここにいる俺と一年前の俺が同じ人物だなんて、そんな風には考えられないけれど、それでも約一年ぶりに俺たちは再会した。

 理屈なんてどうでもいい。

 今、目の前にあるこの笑顔を見てるだけで、俺は俺でいられるから。

 それだけで、いいんだ。


 *


 その晩、俺と綾、もとい沙耶華は、二人で回廊の第十五層の路地を歩いていた。

 綾と違って、東京回廊という存在すら知らない彼女に対しては、ここからの景色を見せることが一番だと思ったからだ。

 もっとも、彼女は綾の記憶を持っているわけだし、彼女が俺と一緒に景色を眺めたことも知っているのだから、この行動も無駄といえば無駄なのだろう。

 それでも、と、隣を歩く沙耶華を見て思う。

 彼女とここに来ることが、俺の中での、ある種のケジメのような気がするんだ。


「なあ、大丈夫か?」


 沈黙に耐えきれず、俺は口を開く。


「大丈夫なワケ、ないでしょ? 目を覚ましたら戦争は終わってて、ここは地下都市だとか言われるし。それに頭の中に誰のかわからない記憶があるし、その上寿命があと二か月ないって聞いて……私、どうすればいいかわからなかった」


 そう語る彼女の表情はさっきまでとは打って変わって晴れやかで、とても楽しそうだ。


「他にもたくさんあるよ? 消えたって聞いてた秋夜さんが目の前にいたこともそうだし、直人がいるって話もそう。……でも、なにより怖かったのは、そんなあれこれを私は知らないはずなのに、聞かされるたびに頭が納得してるってコト。綾ちゃんが、私の中に生きてるんだなぁって、わかっちゃうんだもの」

「でも、だいじょばないって割には、楽しそうに見えるけど?」

「そりゃ楽しいよ。起きた時は怖くて怖くて不安だったけど、でも、切り替えた。私は去年死んでいたはずなんでしょ? だったら、たとえあと二か月でも生きられるなら、それは幸運ってものだよ」

「それは、生きられたんだから儲けものだ、みたいなこと?」

「うーん、惜しいけど違うかな」


 あ、こっちでしょと、分かれ道を右に行きかけた俺を引き止める沙耶華。綾に道を覚えられていたのか。


「生きるってことは正直どうでもよくて……いや、もちろん死にたいとは思わないけどね? でも、今こうして君と一緒にいられれることが嬉しくて、安心するから」


 俺の前をてくてくと歩きながら、指をくるくるさせる沙耶華。


「安心する?」

「うん。綾ちゃんも言ってたでしょ? 『直人は放っておいたら、どこかに行ってしまいそうですから』って。だから、そばにいたいですって」

「言ってたな」


 確か、PCFの施設に襲撃する前に、そんなことを言われた。


「やっぱり母体になった私の思考に引っ張られるのかしらね?」

「え?」

「私もね、そう思ってたの。君は私がそばにいないと、どこかに行っちゃいそうだなって。だから、そばにいなきゃって」

「そうだったのか。……それで安心する、か」


 俺は、そんなに弱くて脆く見えるのだろうか。

 幾度となく自分に投げかけてきたその問いに、俺はまだ答えられない。


「ここ? 私を連れてきたかった場所って」

「ああ」


 道は開け、無数の星が瞬くシャフトに到着する。

 綾の記憶で見たことがあるとはいえ、それでも沙耶華は目を輝かせて、偽物の星空を見上げる。

 そんな彼女を横目に、俺はあえて上ではなく、ゆっくりと下を覗き込む。

 あの日の星空を思い出させるその光は、穴の奥底まで、どこまでも続いていた。


「秋夜さんがいなくなったあの晩も、こんな星空だったね」


 不意に、沙耶華が隣でつぶやく。


「そうだな。それに、横須賀で見た星空も綺麗だった」

「私にとっては、まるで昨日の出来事のようだけどね」


 俺も沙耶華も、それぞれ別の星空を見つめながら、かつての日々に想いを馳せる。


「約束、覚えてる?」

「約束?」


 その言葉に、俺は彼女の方へと振り返る。


「『毎日一つずつ星にお願い事をしよう』ってやつ」

「ああ、覚えてるよ」


 忘れもしないその言葉に、綾が『どんなに祈っても、所詮人は星に願いを託すことしかできない。けど、どんな絶望の中にあっても、人が祈ることは許されているんですよ』と、話していたのを思い出す。


「あれ、君がどこかに行かないようにって思ったから言ったんだ」

「そうだったのか……」

「毎日お願い事をしようって、要は毎日一緒にいようってことでしょ? だから、さ」


 笑顔で、それでも遠くを見つめるような彼女の表情に目を奪われる。

「綾ちゃんも、同じこと考えてたみたいだしね」

「綾が?」

「本当に、君はお馬鹿さんですね、ってさ……」


 そう言って、俺は彼女に指をからめられる。


「あと二か月だけだけど、一緒にいようね」


 泣きそうになりながらも、それでも笑顔を崩さない沙耶華を見て、もう離れないよと言いたいのを我慢して、俺も自分を殺して笑う。


「約束、だよ?」


 やめてくれ、そんな顔をしないでくれ。そんな目で見ないでくれ。

 俺はお前とずっといたいんだ。

 沙耶華と、綾とずっと一緒でいたいんだ。

 だから俺は、黙って彼女を抱きしめる。

 沙耶華の細い体の端々から伝わってくる体温に身を焦がしながら、俺は彼女の肩を強く抱く。

 この行き場のない悲しみを、どうすればいいのかと、自分自身に問い続ける。


「約束、だ」


 その刹那、煌めくはずのない涙が彼女の目元で、キラリと光った気がした。


 *


 その日、俺はドアがノックされる音で目を覚ました。

 痛む足を気にしながら起き上がり、机の上の時計をぼんやりとした頭で確認する。

 現在時刻、午前三時二十分。

 早い、早すぎる。早朝も早朝、回廊の住人なら、まだまだ夢の国を旅しているであろう時間だ。

 なんだ、最近は早起きがブームにでもなっているのか?

 一昨日はPCFを襲撃するために早起きしたし、昨日も直人の治療と綾の記憶のサルベージで徹夜だったのだから、今日くらいはぐっすりと寝かせてくれてもいいものを。


「はぁー……」


 一瞬のうちに脳内を様々な考えがめぐり、ため息をつく。

 一体、こんな時間に誰だ?

 直人か? だとしたらこんな短時間に一体何の用事だ?

 一瞬脳裏をPCFでではないか、という疑問がよぎるが、すぐに否定する。

 もし彼らなら、ノックなどせずに突入してくるはずだし、そもそもPCFに目をつけられるようなことは何もしていない(いや、したか)。


「まあ、考えてても仕方ないか」


 立ち上がって服をはたき、玄関へと向かう。


「はい、どちら様でしょうか?」


 完全にいつもの天井裏に隠れるという、ドアを開ける前のプロセスを飛ばしていたが、それは完全に寝起きで頭が回っていなかったからだ。まったく、我ながら不用心この上ない。

 ともかく、そんなことをぼーっと考えながら俺は無警戒にドアを開けた。

 すると、そこにいたのは直人でもPCFの憲兵でもなく、綾だった。いや、記憶をサルベージしたのだから、今の彼女は霧島沙耶華であると言うのが正しいのだろうか? まあいい。今は便宜上「彼女」と呼ぶことにしよう。

 とまれ、そこには彼女が立っていた。

 こんな朝早くにどうしたのだろうか。そもそも直人と一緒じゃないのだろうか?

 目覚めた時にうわごとのように直人と一緒にいたいと、繰り返しつぶやいていたのを思い出す。


「秋夜さん。昨日はお世話になりました」


 ぺこりと頭を下げる彼女を見て、なるほど、この子は綾ではなく霧島沙耶華なんだなと、今更ながらに痛感する。なんだか少し寂しいな。


「いや、直人の頼みだったからな。それに、サルベージ自体は綾がやりたいって言ったことで、俺はあくまで彼女に『お前のもとになった人物は霧島沙耶華だ』と伝えただけだから……って、そうか。ここら辺の話も綾の記憶があるから知ってるのか」

「ええ、その辺は。それでも、サルベージしてくれたのは秋夜さんですし、綾として、沙耶華としてお礼は言わせてください」


 お礼、か。あまり言われ慣れてないんだよなぁ……。


「直人とはどうだ? 大丈夫なのか?」


 余計なお世話かな、とも思ったが、俺は二人の関係を心配しているというよりは、彼女の記憶を戻した張本人として彼女のことが心配なのだと、自分に言い聞かせる。

 これで直人とこじれたりしたら、責任は感じるしな。


「綾ちゃんの事とか、直人が私のことで深く傷ついてた事とか、色々ありますけど、それでも私たちは大丈夫ですよ。少なくとも今は、私は私に残されたあと二か月弱を、彼との時間に使いたいと思ってるので」

「そうか」


 真っ直ぐに俺のことを見つめてくる彼女を見て、この子はすごいなと思う。流石MDD18の母体になった人と言うべきだろうか。


「ならいいんだ。で、何の用だ? そんなことを言うために、わざわざここに来たわけじゃないだろ?」

「そうですね」


 ようやく、というかなんというか、俺は本題に入る。


「秋夜さんに、お願いがあります」


 そう言って深々とお辞儀をする彼女の頼みを、俺は受けた。


 *


 沙耶華が目覚めた次の日もその次の日も、俺たちは互いのことを話したり、回廊を散歩したりして、二人の時間を過ごしていた。

 俺と彼女の間には、話すことが沢山あった。

 たくさんのことを彼女に語った。

 沙耶華を失った時のこと。

 訓練地から逃げ出し、東京回廊へと逃げ込んだこと。

 そこで空襲に遭い、綾に救ってもらったこと。

 彼女はまるで天使のようだったということ。

 そして戦争が終わり、回廊で秋夜に再会したこと。

 地上で綾を見つけ、彼女と再会したこと。

 綾が俺の為と言って、飛び降りて死のうとしたこと。

 それでも俺は彼女と一緒にいたいと思ったこと。

 彼女の為に、もう二度と大切な人を失わないために全力を尽くしたこと。

 そんな、この一年やこの一週間のことを、沙耶華に語って聞かせた。


「よかった」


 俺の話を聞いて、沙耶華は笑みを湛えて言った。


「直人ったら、なんだかんだ言っても、ちゃんと生きてるんだもの」


 それは言い変えてしまえば、死ぬ勇気がないだけなのだろうが、そういう言い方もあるのか。

 いくら自分を責めても死ねなかった、自分を許そうとしてしまったと言うのではなく、生きようとしていたと。生きてくれてよかったと、そう言ってくれた。


「そりゃ、俺だって今お前と一緒にいることや、綾と会ったことを踏まえたうえで考えれば、生きてた方がよかったと思うけど、それでもお前や綾と再会する前の俺は、ほとんど死んでいたようなものだったから」


 常に無気力で、沙耶華の死を自分に対しての都合のいいように捉えて、死んだように生きていた過去の自分。

 もしあの日、あの場所で綾に会っていなかったら、案外俺は今頃どこかでくたばっているかもしれない。

 あの日、一つでも違う選択をしていたら、今の俺はここにいなかっただろう。

 少し外出するのが遅かったら、エレベーターを素直に待っていたら、闇市で今日の狩場の情報を売っていたら、彼女のことを無視していたら、秋夜にどうするか尋ねられた時に、彼女のことを起動しないという選択肢を取っていれば……。

 思い返すだけでも、本当に奇跡のような選択肢の結果が、今の状況なんだと思い知る。


「でも、君は生きてる。ここにいる君は、幽霊じゃなくて本物でしょ?」

「どうだか。もしかしたら本物の俺は先週くらいに死んでいて、今の俺は幽霊かもしれないぞ?」


 そんな、まるで世界五分前説のようなことを言ってみる。


「けど、実際どうなんだろうな」


 それでも、よくこの現状にたどり着けたなという気持ちと同時に、もっと上手くやれたんじゃないかという気持ちがあるのも事実だ。

 初めから綾の気持ちにもっと親身に寄り添っていれば、彼女は死のうとなんかしなかったのではないか。俺の選択が綾を苦しめてしまったのではないか。

 リアクターの話にしたってそうだ。俺が希望を捨てずに秋夜にもっと突っかかっていたら、もしかしたら破壊される前に回収することができたんじゃないか? そうしていれば、沙耶華は寿命に苦しむこともなかった。そうすることも、もしかしたら可能だったんじゃないか?


「でも、そういうことは考えても仕方ないんじゃないかな」


 俺の内心を知ってか知らずか、隣でつぶやく沙耶華。


「考えても考えても答えなんか出ないだろうし、過去は過去なんだからさ。君にもたくさんの後悔があるように、私にもたくさんの後悔があるもの。きっと、人はみんな後悔を抱えて生きてるのよ」


 後悔を抱えて生きている。それは秋夜や、綾もそうだったのだろうか。


「過去は過去、ねぇ? そんな風に割り切れたら楽なんだろうけどさ、少なくとも俺の中でお前を失った時の事は、過去として切り捨てられるようなものじゃないからな……」

「トラウマってやつ?」

「かも」

「君にとってそのトラウマは、自分に対する教訓? それともただのトラウマ?」


 じっとりとした目で見つめられ、俺は答えに詰まる。

 綾に散々振りかざした「もう二度と大切な人を失わない」という言葉も、そう問われてしまえば意味が変わってしまう。

 うーんと唸り、少し考えて


「……正直、今はただのトラウマだな。『もう二度と大切な人を失わない』って心に誓って、自分自身への戒めにした。けど結局は、ただトラウマから逃げるための物になっちゃっているような気がする」と言った。


 人のことを思いやる奴から、自分の事しか考えていない奴へと変貌してしまう。


「それ、綾ちゃんも気づいてたよ」

「へ?」

「綾ちゃんもね、口には出さなかったけど思ってたみたいだよ。『直人には自分のトラウマを克服してほしい。そうしないと前に進めない』って」

「前に進めないってのは、誰かの為に行動できないってことか?」

「たぶんね」

「そうか……」


 だとしたら俺は綾に対して、ただただ意味のない見栄を張り続けていたにすぎないんだろうか?


「でもね」

 

 優しく微笑み、言葉を続ける沙耶華。


「綾ちゃん、それでも嬉しかったみたいだよ? 例えどんな見栄でも、意味のない言葉でも、君が言ってくれたことが嬉しかったみたい」

「……敵わないな、お前にも、綾にも」


 宙を見上げてそうぼやく。


「私はそんな君を知ったうえで、綾ちゃんはそう言ってもらえたことに救われていたって言ってるんだよ」

「……もう、なんだかわかんなくなってきちゃったな」

「そうだね。話し合いたい事が多すぎて、頭の中で回っちゃってるや。なら、なにか楽しい話でもする?」


 沙耶華と面と向かって話をしていると、どうしても俺の話は重くなってしまう。

 でも要は、こういう場でもっと軽い話をできるようになれってことなんだろうなぁ。

 ぼんやりとそう考えながら、沙耶華の話に耳を傾ける。

 初めて俺と会った時のこと。

 大学時代の友達のこと。

 初めてキスをしたクリスマスのこと。

 秋夜がいなくなり、悲しみに暮れていた俺のこと。

 その後一緒に星を見上げたこと。

 二人で横須賀の訓練地に送られて、毎晩星に一つずつ願い事をしたこと。

 そして、死んでしまったこと。

 自分のことのはずなのに淡々と死んだことを語る彼女の姿が、俺にはまぶしすぎた。

 思えば、綾もそうだった。自身が撃墜されたことを、仲間がみんな死んでしまったことを、感情を殺して淡々と語っていた。


「色々あったんだね。私が寝てる間に」

「そうだな。世界も俺も大きく変わった。変わらざるを得なかった。それがいいことかどうかとなると、何とも言えないけどな」

「ほら、また言ってる」


 パシッと頬を叩かれる。


「そうやって、すぐに重い話にするのは悪い癖だよ?」

「ごめんな。いかんせん、今まで話し相手と言えば秋夜くらいで、ここに来てからは秋夜とも話さなくなって、話すときは決まって重い話だったから……」

「言い訳しない」

「はい」

「まったく。困った子だねぇ」


 ふふふ、と不敵に笑う沙耶華。

 やめてくれ、なんだか自分がみじめになる。

 と考えてふと、沙耶華にからかわれていることに気づく。


「はぁー」


 大きくため息をついて顔を手で覆う。

 ずっとからかわれ続けてるな、俺は。


「おりゃ」

「……なにしてんだ、お前」


 しゃがみこんでいた俺の首に、背後から腕を回す沙耶華。


「べーつにぃー?」

「……変わってないな、お前は」

「直人こそ」

 

 なんだかんだ言って、似た者同士なんだよなぁと、そう考えて思わず苦笑いを浮かべる。


「だな」

「だね」


 あはは、と愉快そうに笑う沙耶華。

 そんな風にたくさん話して、話して、俺たちは空白の一年間を埋めていった。

 時に笑い、時に怒り、時に泣いたその二日間は、俺にとってすごくいい時間だったと思う。そう思えた。

 そして、運命の十月四日。


 俺たちの物語は、突如として最終局面へ突入する。

次回更新は5月8日(金)の20時、いよいよ完結です。

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では、また次回。

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